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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>東山峠 |
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東山峠(14) ★★★ |
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東山峠(ひがしやまとうげ)の取扱説明書 我らがバイブルツーリングマップルに未記載の峠が数多存在する事に気付いて久しい。個々の理由は定かでないが、廃道のような危険な道については警察から載せてくれるなとの要請があったと聞くし、紙面上のキャパの問題もあろう。ただバスの停留所に峠名がそのまま採用されている場合、未掲載というのはどうにも腑に落ちない。それも県民なら知らない者はいないという知名度を誇る東山峠とあらば、意図的に排除したと捉えられても致し方ない。新幹線停車駅から僅か3kmの至近距離、且つ県内屈指の交通量を誇る主要路ときているから、県民感情としては全く以て看過出来ない。現場は市街地から山を越え市街地へ至る紛れもない峠道で、いかなる車両もそれなりのストレスを伴う峠然とした道程だ。県を代表する峠が市販の地図に未掲載というギャップを埋められるかどうかは定かでないが、普段意識せずに行き来するこの峠道に対する県民の見方が、報告書を一読する前と後でガラリ一変するであろう事だけは間違いない。 |
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◆峠の下りの最後は見通しの利く直線も道幅は狭い 旧東山峠を乗合自動車が疾走 東山峠旧道に未着手であった時点に於いても、またこうして実際に踏破をした者の率直な感想としても、旧峠道を乗合自動車が営業運行していたとは俄かには信じ難い。それほどに山道は全域を通して圧迫感がある。 車両同士が擦れ違える場所といったら極々限られた箇所のみで、山道全線の窮屈さは否めない。前途したように当時はこの山道一本で全てを賄っていたため、スムーズな往来とは言い難く、どちらかと言えば激混みと言った方が正しい。 |
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◆かつての本線も立場が逆転した現在は通行制限が掛る これまで見て来た通りどの地点でも容易に擦れ違えるのは、歩行者・自転車・バイクまでで、それなりの車幅のある車両が一度現れれば、山道のどこであっても即脅威と成り得る。それは狭い道でも比較的優位な人力車やミゼットも例外ではなく、交通弱者にとって威圧的な障害物となる。 当時は荷馬車と荷車が主流であるから、実幅1.5m前後のスリムな車体であっても、車両同士の擦れ違いには難儀するであろうし、ましてや現代車両に通ずるフル規格の車体となれば、避け様にも待避する場所が無いという現実に、どちらかが大きく後退を強いられたであろう構図が浮かび上がる。 |
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◆Y字状で現県道との連絡路とぶつかる下り坂の終点 ガソリンの恩恵で楽々前後出来る現代なら、後退する側が舌打ちをする程度で済む話だが、人力畜力でやっとの思いで登坂してきた車両が下がるには、相当な気合いと覚悟を有する。今みたいに挙手して終わりでは済まされないし、登頂の労力を踏まえればそう簡単に引き下がる訳にもいくまい。 想像するに当時の車幅のある対向車は、唯でさえ厳しい峠越えで労力を倍加させる悪であり、そう簡単に容認出来るものではない。勾配ゼロの平地と違って乳酸が蓄積し疲労困憊につき心の余裕がなく、普段ならお互い様の精神に則ってどちらかが遠慮する民族性も、ストレスフルな峠では一切通用しない。 |
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◆Y字の交点の片隅にポツンと佇む道路元標 あっぷあっぷの登り途中で壁の如し現れた対向車に抱く心情たるや、完全一車線の狭隘山道で四輪同士が対峙する現代交通の比ではない。うわっ、マジか!の一言では当然済むはずもなく、どちらも引けぬがゆえの一触即発の危険な状況が常態化していたのではないかと推察される。 明治44年に財田(現在の東岡山駅)⇔観音(現在の西大寺駅)駅間の先行開業に続き、明治45年の森下駅(後楽園の1.3km手前)延伸によって、事実上の岡山⇔西大寺間の鉄道輸送の日の目を見たが、本当の意味での岡山市内への乗り入れは、大正4年の後楽園駅の開業を待たねばならない。 |
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◆微弱な起伏で集落の合間を縫って進む狭い旧県道 元号が大正に変わってしばらくすると、けいべんの終着駅が後楽園駅となり、旭川を渡った対岸に待つ岡山電気軌道への乗り換えが徒歩10分と利便性が高まり、これを以てほぼ完全なる市内同士の連絡が図られた訳だが、開業以来終始黒字決算を誇った西大寺鉄道にも死角が無い訳ではなかった。 東山の丘陵地帯を大きく迂回する距離損は、高速鉄道とは程遠いマッチ箱のような豆汽車の鈍足運行に加え、距離損で無駄に稼いだ分の運賃への転嫁により、どうしても割高感は否めない。一方峠越えのバスは最短最速コースで市内同士を結び、駅前横付けの優位性は如何ともし難いものがある。 |
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◆住宅と田畑が交互に現れる典型的な田舎道を伝う 例え峠の登りで自転車の立ち漕ぎに毛が生えた程度の鈍足と言われようが、平坦路の軽快さと下りの挽回で遅速とも言い難い。何せ鉄道は単線がゆえに数箇所で対向列車待ちを余儀なくされ、所要時間は1時間強を要する。対する峠越えのバスは12kmの道程を、平均24キロのスピードで大凡30分程度。 平均24キロと自転車並みに見積もってこの速達ぶり。勿論当時の未舗装路や渋滞の有無に満席かガラ空きか等を加味せねば実際の所要時間は割り出せないし、鉄路と違って一般交通に紛れての運行は、現代のバス運行状況を以てしてもまちまちであるから、あくまでも平穏時の一般的な所要時間に過ぎない。 |
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◆併走する現県道との連絡路とのY字の交点を左が本線 んがしかし、それにしても峠越えは速い、速過ぎる。大正後期のT型フォードの廉価版が最高速度70キロを謳っていた事実を踏まえれば、当時の地方幹線道路に於ける法定速度の30キロ制限は楽々許容範囲で、爆走するシーンが目に浮かぶ。 市街地での20キロ規制と合わせ、平均24キロで所要時間30分前後という試算の誤差は僅か数分程度に留まり、何故早々に鉄道が潰えて今日でもバスが生き永らえているのかが、この点からも説明が付くのではなかろうか。 東山峠15へ進む 東山峠13へ戻る |