教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>旧道>岡山>東山峠

東山峠(7)

★★★

東山峠(ひがしやまとうげ)の取扱説明書

我らがバイブルツーリングマップルに未記載の峠が数多存在する事に気付いて久しい。個々の理由は定かでないが、廃道のような危険な道については警察から載せてくれるなとの要請があったと聞くし、紙面上のキャパの問題もあろう。ただバスの停留所に峠名がそのまま採用されている場合、未掲載というのはどうにも腑に落ちない。それも県民なら知らない者はいないという知名度を誇る東山峠とあらば、意図的に排除したと捉えられても致し方ない。新幹線停車駅から僅か3kmの至近距離、且つ県内屈指の交通量を誇る主要路ときているから、県民感情としては全く以て看過出来ない。現場は市街地から山を越え市街地へ至る紛れもない峠道で、いかなる車両もそれなりのストレスを伴う峠然とした道程だ。県を代表する峠が市販の地図に未掲載というギャップを埋められるかどうかは定かでないが、普段意識せずに行き来するこの峠道に対する県民の見方が、報告書を一読する前と後でガラリ一変するであろう事だけは間違いない。

 

DSC01367.jpg

◆奥市公園より山裾を駆け上がる1.5車線の旧道

狭い、狭過ぎる。奥市公園まで夢見た馬車同士の相互通行を許す高規格の明治新道説、それは一瞬にして粉砕した。滑り出しこそ5〜6mはあった潤沢な道幅も、今や精々3〜4mと大幅に縮小し、進入当初に比しみすぼらしさこの上ない。スーパー馬車道かと期待値が高かっただけに、正直がっかりだ。

これが旧道本来のポテンシャルと言ったらそれまでだが、多少擁護すると山側から迫り来る木々の枝葉と、ガードレールに挟まれる形で圧迫感は半端無い。障害物や後付けの付帯設備を取り除き、限りなく現役当時の状況を再現すれば、もう少しまともな道に映る可能性も無くはない。

DSC01369.jpg

◆右カーブを曲がり終えると山道感がぐっと増す

ただ奥市公園までの潤沢な仕様とは一線を画し、郊外の路というよりは山道と称した方が正しい容姿ではある。本格的な山岳道路とまでは言わないが、東山山道と呼ぶのがしっくりと来る仕様だ。これが一時代前の幹線路である事実を、昭和新道を行き交う現役世代の多くが知らない。

そりゃそうだ、戦後は一貫して現在の経路が供用されてきたというのだから、現役当時を目の当たりにした生き証人を掴まえるのは至難の業で、どのように捌いていたのか具体的な証言を得るのは厳しい。ただ現場の状況からある程度の察しは付くから、考察に考察を重ねる事で史実に近付けるかも知れない。

DSC01370.jpg

◆斜面をL字にカットしただけの洗練されていない構造

我々現代人が白紙の状態で岡山⇔西大寺間に焦点を絞ると、公共交通機関ではJR赤穂線がいの一番に思い浮かぶ。また道路を伝うとなると、2号バイパスでひとっ飛びと考える。どちらも利便性は悪くないが、地図をよ〜く見て欲しい。どちらも無駄に遠回りで内科医?

岡山県庁と西大寺市役所に定規を当ててみるとよく分かる。東山峠経由がドの付くストレートで、最短最速コースである事実を疑う余地はない。鉄道は時間に正確で、スピードもバスに勝る。鉄道VS路線バスでは各駅停車と言えども、本来であれば市街地をちまちま伝うバスに勝ち目は無い。

DSC01371.jpg

◆二股で唐突に現れる新興住宅地を本線は直進

だとすれば競合する赤穂線に苦戦する路線バスの東山峠線は、大幅な減便或いは廃止を余儀なくされる運命にあるが、実態は規模縮小どころか赤穂線の存続を脅かす事態になっている。赤穂線が30分に1本の運用であるのに対し、バスは15分に1本と使い勝手の良さで鉄道を圧倒している。

しかも地方の末端でよく見る乗客が皆無に等しいガラ空きの状態ではなく、どの便もそこそこの乗車率を誇る。空気を運ぶ田舎のバスとは異なり、走らせれば走らせるほど儲かる明らかなウハウハ路線で、存続を脅かされているのは赤穂線なんジャマイカ?と要らぬ心配をしてしまうほどの好況ぶりなんである。

DSC01372.jpg

◆谷間を埋め立てた現道と新興住宅街に挟まれた旧道筋

それがある日突然そうなったと考えるのは不自然で、その昔から岡山⇔西大寺間には一定の需要があったと捉えるのが妥当で、事実この区間には日本で唯一“黒字倒産”をした鉄道が存在し、半世紀の長きに亘り権益を手放さなかったという過去がある。年配者はそれを“けえべん”と呼ぶ。

地図上から消えて久しいその鉄道路線は、後楽園を起点に東岡山駅を目指し、赤穂線に併走する形で大多羅駅を経て、西大寺を起終点とするローカル線、それが西大寺鉄道と称する軽便鉄道である。その存在を脅かしたのが、戦前から始まっていた隣県の赤穂と西大寺を結ぶ国鉄の海廻り線計画であった。

DSC01373.jpg

◆視界前方の稜線目掛けてほぼ直線的に登坂する旧道

山陽本線の相生から枝分かれした路線は、兵庫最西端都市の赤穂を目指し、昭和26年に一部開業に漕ぎ付ける。播州赤穂駅の開業に伴い赤穂鉄道は廃業の憂き目に遭う。その頃兵庫との県界を跨ぎ岡山方面へ着々と延伸工事が進められ、西大寺鉄道も明日は我が身と戦々恐々とする日々が続く。

昭和37年、遂にその日がやってくる。赤穂線の全線開業、国鉄が描いた山線(山陽本線)&海線(赤穂線)の二刀流の青写真、その悲願は京阪神を貫く弾丸列車たる新快速の起終点が、播州赤穂駅に設定されている事からも窺えよう。その瞬間に於いても黒字をキープする側の苦悩たるや計り知れない。

DSC01374.jpg

◆軽自動車同士の擦れ違いもままならない岡山側最狭区

国鉄とバチバチにやりあうという選択肢もある中で、当時の幹部は競合を避ける為黒字ながら身を引く決断を下す。これが後に大英断と称される。黒字倒産に追い込まれた彼等は、今日現在涼しい顔でここ東山峠を駆け抜けて行く。

そう、西大寺鉄道は最後の最後まで権益を手放さなかった。賢明な西鉄首脳陣は鉄道同士の直接対決ではなく、土俵を変えバスの運行に切り替えた。バス路線に鞍替えする事により、新たな活路を見出すという奇策に打って出たのである。

東山峠8へ進む

東山峠6へ戻る

トップ>東山峠に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧