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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>千升乢 |
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千升乢/千升峠(18) ★★ |
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千升乢(ちますだわ)の取扱説明書 どういった理由かは定かでないが、地図上から峠名が抹消されるケースがある。この峠も然り、いつの頃からか名無しの峠となっていて、原本たる地形図に記載が無いものだから、当然市販の地図にも反映されず、結果現場を往来する現代人は峠名を知らぬまま行政界を越して行く。実際に行き来する者の肌感覚では、勾配のきつい坂が待つ紛れもない峠道なのだが、紙上から本来の呼称を消し去られて久しい峠を意識する者は皆無に等しい。有耶無耶にされつつある現状とは裏腹に、沿線にはこれ見よがしに旧道の痕跡が見て取れ、スルーするのが罪深き如し存在感を醸し出している。この峠道に埋もれし史実に光を当て、本来得られるべき正当な評価を下すのが、我々に課された使命と考える。行き交う者の誰もが旧道の存在に気付きつつも、情弱により無関心を装わざるを得ない現況に終止符を打つ。 |
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◆快走路に組み込まれた平成7年3月竣工の掛畑口橋 昭和初期或いは大正期に遡るかも知れないモダンなコンクリ橋は、吉備高原方面へ通じる町道の短橋梁で、国道429号線とは何等関りのない全く別路線の付帯設備である。但し足守川上流域に掛かる古風なコンクリ橋は、峠道を精査する上で無視する事は出来ない存在だ。 今では珍しい電話ボックスが置かれるT字の交点は、国道と町道の高低差が無いに等しい。それが意味する所は、その昔から交点の標高は変わらないという事だ。ポツンと一軒家のおばちゃんが言うように、一時代前の路は黒谷ダム堤体より緩い勾配で駆け上がり、T字路の直前で現在の標高に達していた。 |
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◆掛畑口橋より先は沿道にちらほら人家が散見される 仮に町道のモダンコンクリ橋の架橋時期が、黒谷橋に前後する戦前の架設であるならば、既にその頃と令和時代は幅員こそ異なれど、T字路そのものは80年以上変わらない事になる。その橋の直近に佇む一軒家は、現道よりもやや低い位置に構えており、国道の沿線とは言い難い状況にある。 T字路は80年超、下手こくと百年近く不変であり、本来であれば交点の角に佇む一軒家は、道路と同等か道路より一段高い位置にないとおかしい。しかしポツンと一軒家は川沿いに沈み込む形で、二階建ての二階部分がようやく顔を覗かせているという有様で、一体全体何を基準に建てたのか不思議でならない。 |
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◆余裕ある待避所になっている旧道の大きな膨らみ 我が家がジメジメした環境で構わないと思えば、道路より低い位置に家を建て、雨水を一手に引き受ける事で即席の溜池が出来上がり、雨が降る度に水浸しイェーイ!と歓喜する。普通はそれが嫌だから接道より高くするのであって、排水を考えれば常識的にT字路のポツンと一軒家は有り得ない状況下にある。 しかも可能性としては80〜100年近くもイレギュラーな状態をキープしている。建築業界の人間に言わせれば、建て替えません勝つまでは!なる標語でもあんのか?的な意味不明な状態に陥っており、誰かあの一家に業界の常識を教えてやれよ!とは思うものの、遠くから生温かい目で見守るのが関の山。 |
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◆歩道+膨らみと化したかつての旧道筋はS字を描く 確かにパッと見は可哀想なハウスである。現道を基準にすれば、御気の毒にとしか言い様がない。しかしそれは現国道筋を基準にすればという条件付きの話だ。例えば現国道を意識しないで建てたとしたら、或いは現在の国道筋は建築当時影も形もなかったとしたら、あの一軒家の見え方はまるで違ってくる。 僕はモダンコンクリ橋付近を今一度念入りに精査、橋の下は渓谷さながらの様相を呈し、車道はおろか人畜道でさえ取り付けるのは困難を極める厳しい環境にある。湖底に沈んでいる最古の路がどこかを伝って這い上がってきていたはずだが、どこだ?その答えがイレギュラーなポツンと一軒家にある。 |
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◆国道と分離帯を挟んで一線を画す歩道が先代の古車道 国道からは二階部分しか捉えられないポツンと一軒屋、その一階部分へと通じる四輪が通行可能なスロープ、それこそが黒谷池の底から這い上がる道筋なのではないかと僕は睨んだ。積極的に昔話をするタイプの方ではなかったので、長居する事なく早々と聞き取りを打ち切ったが、ほぼほぼ間違いない。 大袈裟に言えば地下室に見えなくもないあの一軒家の一階部分を通過する進入路が、明治20年代頃まで供用されていた最古の車道である可能性が大で、その仮説を前提とすれば、沈み込んだ家の謎も一発で解消する。現在の家屋は御世辞にも現代風とは言い難いが、古民家というほど古い感じでもない。 |
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◆現道と先代の路は互いが全く干渉せずに駆け上がる 戦後の建造であるのは間違いなく、玄関は二階に設置されているので、一階部分が地下室のような扱いとなっている。しかし建て替え以前の玄関は恐らく一階部分にあり、当時の主要路に接していたとすれば辻褄が合う。あの家は鼻から湿気を好んでなどいない。むしろその逆だ。 正面玄関の左手から右手へと緩やかに下る坂道、そこにきちんと雨水を排水していたのだ。今でこそ家が沈んでいるように映るが、最古の路が現役当時は間違いなくポツンと一軒家は道路よりも高い位置にあり、土地の選定ミスでもなければ、排水に無頓着であった訳でもない。 |
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◆付かず離れずで併走し峠を目指す見通しの利く新旧路 現代の様子だけ切り取ると有り得ない格好だが、路線が切り替えられる以前はきちんと成立していたのだ。早ければ明治20年代、遅くとも日露戦争辺りに路線が切り替えられるその日まで、建築業界の常識の範疇に収まる建物であったはず。 遅くとも明治の最晩期には裏山が切り崩され、来たる自動車時代を見据えた馬車道が産声を上げ、二階を玄関とせざるを得ないイレギュラーな仕様に改められたのだと、同一レベルにあるモダンコンクリ橋は訴える。 千升乢19へ進む 千升乢17へ戻る |