教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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千升乢/千升峠(12)

★★

千升乢(ちますだわ)の取扱説明書

どういった理由かは定かでないが、地図上から峠名が抹消されるケースがある。この峠も然り、いつの頃からか名無しの峠となっていて、原本たる地形図に記載が無いものだから、当然市販の地図にも反映されず、結果現場を往来する現代人は峠名を知らぬまま行政界を越して行く。実際に行き来する者の肌感覚では、勾配のきつい坂が待つ紛れもない峠道なのだが、紙上から本来の呼称を消し去られて久しい峠を意識する者は皆無に等しい。有耶無耶にされつつある現状とは裏腹に、沿線にはこれ見よがしに旧道の痕跡が見て取れ、スルーするのが罪深き如し存在感を醸し出している。この峠道に埋もれし史実に光を当て、本来得られるべき正当な評価を下すのが、我々に課された使命と考える。行き交う者の誰もが旧道の存在に気付きつつも、情弱により無関心を装わざるを得ない現況に終止符を打つ。

 

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◆砂利敷きの私有地と境界が不明瞭な狭隘舗装路が続く

事の発端は旧黒谷橋目前の十字路にあり、左に折れ曲がる路が細々とダム直下へと続いているように見えるではあ〜りませんか!あくまでも僕の期待値が先行した先走り液満載の、旧旧道だったらいいな的なノリで、道標など根拠となる物は一切捉えていない。駄目元で潰しておくのが主目的のツッコミである。

旧黒谷橋は昭和7年製のコンクリ橋ではあるが、道路脇を彩る凱旋桜の存在が先代の木造橋を示唆し、起源は明治年間に新造された馬車道と推察される。事実そのスペックは完全なる車道規格にあり、両サイドの軒先が迫る住宅街の最も厳しい狭隘区に於いても、大型車一台が擦り抜け可能となっている。

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◆土建業者の敷地と法面の僅かな隙間を突く小径

旧道筋は基本的に自動車道で、その起源は馬車道と仮定した場合、その前ってどこをどう伝っていた?という疑問が自然と沸いてくる。んが或る日を境に徒歩通行(牛馬含む)主体から車両通行へと切り替わるのが自然で、登山道に毛が生えた程度の道筋が車道規格以前の路という業界のコンセンサスがある。

世界遺産にも登録され誰もが知るところとなった熊野古道。路上は縦横無尽に木の根っ子が横断し、道中は階段ありーの、幅はせめーので、外国人観光客にとって富士登山と何等変わらない道程、あれが江戸年間に於ける陸上交通の基本中の基本スペックで、車両通行云々を議論する余地は無い。

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◆路面が舗装された状態でダム底へと通じている細道

従って旧黒谷橋ルートを馬車道と見定めた以上、前身を見出すとすれば当然人畜のみが有効の小径で、それは即ち江戸時代から連綿と続く完全なる徒歩道との解釈が妥当だ。先代の発見に至ったところで畦道であったり、崖っぷちを通らされたり、最悪は自然消滅したりするのがオチだ。

実態はそんなんであるから鼻から期待はしていない。どこかで有耶無耶となって、はぁ〜と肩を落とし溜息をつく。そして元の場所に舞い戻ってくる。また無駄な物を切ってしまった(ジャカジャン!)と五右衛門の如し呟き、骨折り損の草臥れ儲をこれまで何度繰り返してきた事か。

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◆集落とは一定の距離を置く沿道に佇むポツンと一軒家

その空振り率は高く、引き返しを余儀なくされた際のガックリ度は半端無い。事実福谷小学校前の通学路を旧旧道と見定めて突っ込んではみたものの、見事な畦道で、無邪気にスクーターで突っ込むマイナスポイントを差し引いても、徒歩道は徒歩で行くに限ると実感せざるを得ない事態に陥っている。

当然黒谷ダム直下へと通じていそうな感じの小径も、どこかで草ボーボーになるとか不明瞭になる悪寒しかしない。それでも期待値が上回ったのは、路面状況が割としっかりしていたからだ。曲がりなりにも路面は舗装されているし、幅員は全体的に狭いが軽自動車一台分はキープしている。

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◆正面の山肌中腹付近に旧道のガードレールを捉える

単車であれば何等申し分ないスペックで、猛者であればジムニークラスでのチャレンジも有効だ。それに沿道の年季の入った古民家群の存在も興味深く、また番犬が吠えまくって近寄り難いポツンと一軒家も気になる。そして目前には巨大な石壁が聳え立つ大迫力のシチュエーションときている。

路は矛先を巨大な石塊の中央付近に向ける。そこは足守川の流域に重なる。この谷筋の最も深い底辺にあたる。正面の山肌に旧道筋のガードレールを捉え、ロックフィルダムの上辺付近を現国道筋が横断している。尤も川筋に近い谷底を這う道、これを江戸道と言わずに何と言おうか!

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◆路幅は一段階縮小し軽自動車でも厳しい規格に変化

と言いたいところだが、実際はこれといった決定的な証拠は掴めず、ただひたすらダム底目掛けて這い進んでいるに過ぎない。幅員はいよいよ軽自動車サイズを割り込み、いつの間にかミゼットのみが有効の狭隘路へと縮小している。単車だと余裕だが、四輪だと不安がよぎる仕様だ。

両脇は草が刈り払われ、軽トラでのチャレンジも出来なくはない。どちらか片方は舗装路を逸脱するかも知れないが、路肩ギリギリ狙いで何とか凌げる際どい状況にある。まるで何者かが行けるものなら行ってみろ!と挑戦者を煽っている感すらある。事実両脇の路肩は草枯らしを撒いたかの如し枯れている。

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◆視界前方に待ち受けるダム関連施設へと通じる小径

よく見るとそれが除草剤の仕業ではなく、四輪が踏み込んだ轍跡であるのが分かる。視界前方にはダム関連施設らしき物体が待ち受ける。もすかしてこれって黒谷ダムの管理道ってか?だとすれば鮮明な四輪の轍跡も頷ける。

それにしても軽自動車ギリギリアウトの規格って、どう見積もっても狭くないかい?何なんだこの違和感は。この直後、急転直下空前絶後の大ドンデン返しを喰らうのだが、我々は千升乢の峠史に秘められし真髄を目撃する事となる。

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