|
教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
|
|
トップ>旧道>岡山>千升乢 |
|
|
千升乢/千升峠(11) ★★ |
|
|
千升乢(ちますだわ)の取扱説明書 どういった理由かは定かでないが、地図上から峠名が抹消されるケースがある。この峠も然り、いつの頃からか名無しの峠となっていて、原本たる地形図に記載が無いものだから、当然市販の地図にも反映されず、結果現場を往来する現代人は峠名を知らぬまま行政界を越して行く。実際に行き来する者の肌感覚では、勾配のきつい坂が待つ紛れもない峠道なのだが、紙上から本来の呼称を消し去られて久しい峠を意識する者は皆無に等しい。有耶無耶にされつつある現状とは裏腹に、沿線にはこれ見よがしに旧道の痕跡が見て取れ、スルーするのが罪深き如し存在感を醸し出している。この峠道に埋もれし史実に光を当て、本来得られるべき正当な評価を下すのが、我々に課された使命と考える。行き交う者の誰もが旧道の存在に気付きつつも、情弱により無関心を装わざるを得ない現況に終止符を打つ。 |
|
|
|
◆黒谷ダムで寸断される旧道の続きたる階段を登る 短命に終わった二車線規格の旧道と、玉突きで旧旧道扱いとなった旧道筋の行く末は、唐突に終焉を迎え、トレースを試みる者を酷く落胆させた。階段が用意されているので、行く手を完全に遮られた訳ではない。しかしエンジン駆動車にとってそれは痔・遠藤とも呼ぶべき、受け入れ難い無慈悲な結末である。 この状況は口が開いていると思って苦難を乗り越えようやく辿り着いた隧道が、封鎖されているのを目の当たりにした際のショックに似ている。どうにもならないのでとりあえず耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶが、なんだかな〜by阿藤海感は否めず、ぶつくさ言いながら階段を上り詰める。 |
|
|
◆ダム堰堤より上流域に草道と化した旧道の続きを捉える 九分九里の探訪者は、旧道とは歩いて踏破するものと思っているであろうから、階段が用意されていて前進が阻害されないとあらば、それで良しとするのが常であろう。しかしエンジン駆動車による軌跡踏襲を主目的とする者にとっては、路の寸断や粉砕・覆工・消滅等はかなりの痛手だ。 文句を垂れつつ堰堤まで上り詰めると、どこにでもありそうな湖畔の風景が広がっていた。堰堤の高さと現国道筋に高低差は無く、山裾を横這いに進む湖岸道路の姿が視界に飛び込んで来る。と同時に眼下の水面付近には、旧道筋の続きと思わしき草道が一直線に延びている姿を捉えた。 |
|
|
◆堰堤よりド迫力の巨石群とダム直下の様子を捉える 超巨大なダムの堰堤によって二分される形となった旧道筋。道跡は完全に消された訳ではなく、距離にして100m程の一部がカットされるに止まるのは不幸中の幸いであった。堰堤から眺めるダム直下の様子であるが、旧道との高低差は目測で25m前後とかなりの隔たりがある。 昭和7年に完成した初代黒谷ダム(当時は溜池)の堤高は30mとの記録があり、現在の黒谷ダムの堤高43mは単純に13m嵩上げした事になるが、新堤体の位置が90m下流に築かれている事から、単純な比較は成り立たない。事実堰堤の前後で堤底との落差は、まるで異なるものとなっている。 |
|
|
◆黒谷橋手前の十字路より左へ延びる支線を辿る 下流域に目を向けるとその落差は激しく、足を滑らせたらとんでもない事になるのは想像に難くない。一方堤裏に現存する草道との落差はそれほどでもなく、軽い怪我で済む程度の死を意識するようなレベルにはない。新堤の後方90mに存在したとされる旧堤は、石畳みが僅かに水面に浮かびあがっている。 その脇を前後する草道が旧道の続きで、よく見ると一部の路面はアスファルトが認められ、湖岸道路が舗装路であった事が分かる。そりゃそうだ、ここに至る過程の旧道筋は完全なる舗装路で、その全てがアスファルトに覆われていたのだから、突然未舗装路が出現する方がどうかしている。 |
|
|
◆完全一車線の狭隘路も2トン車クラスの通行は叶う その旧道筋が木造の初代黒谷橋が架かる馬車道由来である事は、凱旋桜が沿道を彩っている点からも裏付けられる。豊水期にはダム底に沈むであろう昔の道は、明治年間に設けられた車道を肉付けする形で当座を凌いできた。当時の堤高は30mである。だとすればダム底には更なる古道が眠っているはず。 旧道の起点から黒谷橋に至るまで、旧旧道の決定的な証拠は掴んでいない。福谷小学校付近でそれらしきものをキャッチしたかにみえたが、最後は尻すぼみで畦道の域を出るものではなかった。馬車道以前の交通状況はいかなるものであったを知る意義は、けして小さくはない。 |
|
|
◆人家が所狭しと密集し今日現在も供用される生活道路 人畜のみが有効の小径から、ある日を境にいきなり車道規格の高規格道路が供用開始されたか否かを知る事は、とても重要であると考える。近現代でも徒歩道から高規格道路へ一足飛びする例は枚挙に暇がない。R283仙人峠然り、R289八十里越然り、R140雁坂峠然り、R152青崩峠然り。 徒歩道サイズの小径から事実上の高速道路への昇華は、段階を経ずにいきなりワープする感覚から、現代人の我々でもどこでもドアに等しいインパクトがある。明治期に人道からトンネルを含む馬車道への大胆な規格改良は、リープフロッグよろしく新時代の到来を予感させる衝撃であったに違いない。 |
|
|
◆明治より更に前の時代を彷彿とさせる屋敷前を通過 果たしてここ千升乢が或る日を境にして、行き交う者に目を見張るほどの変化が生じたのか否かを占う上で、旧堤体の30m底に息を潜めているやもしれぬ、まだ見ぬものの正体を掴むべく、僕は旧黒谷橋手前の交差点に照準を合わせた。 そこにはもしかしたらもしかするかなもしと思わしき小径が、巨大堰堤の足元目掛けてヒョロヒョロと延びているのを僕は見逃さなかった。またどうせ尻すぼみで有耶無耶になると諦めモードで突っ込むも、僕の予想を覆す結末が待ち構えていた。 千升乢12へ進む 千升乢10へ戻る |