教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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千升乢/千升峠(8)

★★

千升乢(ちますだわ)の取扱説明書

どういった理由かは定かでないが、地図上から峠名が抹消されるケースがある。この峠も然り、いつの頃からか名無しの峠となっていて、原本たる地形図に記載が無いものだから、当然市販の地図にも反映されず、結果現場を往来する現代人は峠名を知らぬまま行政界を越して行く。実際に行き来する者の肌感覚では、勾配のきつい坂が待つ紛れもない峠道なのだが、紙上から本来の呼称を消し去られて久しい峠を意識する者は皆無に等しい。有耶無耶にされつつある現状とは裏腹に、沿線にはこれ見よがしに旧道の痕跡が見て取れ、スルーするのが罪深き如し存在感を醸し出している。この峠道に埋もれし史実に光を当て、本来得られるべき正当な評価を下すのが、我々に課された使命と考える。行き交う者の誰もが旧道の存在に気付きつつも、情弱により無関心を装わざるを得ない現況に終止符を打つ。

 

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◆桜並木の終盤に数軒で構成される小集落が待つ

桜は5〜10mの距離を保ち左右に並んでいる。中には枯れてしまったものもあるし、駐車場にとって代わった場所もあり、歯抜け感からけして見栄えが良いとは言えない。かつては等間隔に植樹されていたのかも知れないが、長い年月で風化が進み、全盛時と比し半減以下かも知れない。

それでも今尚人の手が入り、次世代に継承されている状況に感銘を覚えると同時に、地域の御花見会場として整備されている点も感心する。桜並木を挟んだ旧道の向こう側には、会場に足を運ぶ人の為の駐車場が設けられていて、もしかしたらシーズン中は夜店なんかの出店も無きにしも非ずだ。

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◆右に大きく舵を切る現道の道端に旧道の痕跡アリ

シーズンオフであれば桜並木に気が付きもせず、よくある車窓のワンシーンとしてスルーするであろうが、春の最盛期ともなれば流石に目に留まる。大抵の日本人なら満開の桜が琴線に触れないはずはなく、この道を日常的に往来している者ならば知る人ぞ知る行楽地として心得ていよう。

なので駐車場の完備は当たり前の様にも感じられるが、どうやら事はそう単純ではないらしい。というのも駐車場に割り当てられている白線があるにはあるのだが、間隔もおかしければ向きも変なのだ。大きく右へ弧を描く現道からのアクセスは円滑で、全景を俯瞰しても花見客の駐車場にしか見えない。

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◆かつては直線的に伸びていた二車線路を廃止した跡

しかし現道と接するギリギリの箇所を精査してみると、路面に薄らと縦線の痕跡の様なものを捉えた。これってもすかして完全に消しきれなかったセンターラインの跡じゃね?雑草に覆われた車止めの背後には、倉敷方面へと伸びる国道の姿が認められる。前後はかつて繋がってたんジャマイカ?

そう考えると全ての辻褄が合う。黒谷橋を渡ったあとに右に大きくカーブする国道であるが、かつての線形は桜並木を挟み込む形で旧道と併走していたのではないか。車止めの前後から確認すると我々がよく目にする新旧道の交点にしか見えないし、それを補って余りあるのが違和感のある駐車ラインだ。

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◆旧道と現道以外の第三の路をセンターラインが示唆

初見こそ花見見物客の車両をどういう割り振りするの?と首を傾げたが、これって駐車配分でも何でもなく、センターラインの名残とくれば合点がいく。桜並木の1.5車線路が第一世代の路で、併走する二車線路が第二世代の路、そして大きく離れた現在の国道筋が第三世代と、親子三代の変遷に疑う余地はない。

これが後付けの駐車場であるならば、縦にラインを敷かない真っ更なアスファルトもしくは等間隔で横或いは斜めの駐車ラインを敷くはず。わざわざありもしない旧道仕立ての駐車場を造っちゃいましたキャハッ!なんていう暇も時間も金も行政には無い。精々放置プレイが関の山だ。

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◆旧道と旧旧道に挟まれた桜並木より黒谷ダムを望む

サイドから眺めると遠目からも石積みと分かる黒谷ダムを拝める絶好のロケーションで、勾配に目を瞑れば毎春御座を敷いての宴が満喫出来よう。新黒谷橋の竣工が平成6年であるから、その前後を司る桜並木の二車線路は、平成黎明期にゼロベースで建設された公算が大だ。

集落のおばちゃんが言っていたように、現在国道筋となっている大方が田畑を買い上げている事から、ここも山林や畑を買い取っての増築であろう。平成の始めに産声を上げ、令和の始めに退役しているという事は、桜並木の第二世代の路は約四半世紀の短命に終わったと推察出来る。

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◆短命に終わった旧道を挟み込む親子三世代の峠道

ぱっと見は必要にして十分な幅員で、今現在でも仕様に耐え得る規格を有すが、実際に大きく迂回する新道が設けられている点から、通行上何等かの支障を来す問題が発生したのかも知れない。短期間で用無しとなる道路の無駄使いとも言えるが、道路史的には親子三代の共演は一定の旨味がある。

若干の誤差は無視して昭和年間を旧旧道が担い、平成年間を旧道が、そして現在の路が令和年間を引き継ぐ親子リレーは、この峠道の見所の一つであるのは間違いないが、それは我々現代人が視覚で捉えた一側面に過ぎない。見えない部分を掘り下げぬまま前へ進む訳にはいくまい。

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◆ゴミステーション付近で交わる第一世代と第二世代の路

凱旋桜と黒谷橋にはタイムラグがある。片や明治の晩年で、片や昭和初期である。桜の後植えは考え辛く、旧旧道は明治39年の時点で車道として供用されていたと考えるのが妥当だ。そこにテッコンカンクリートの強靭な橋ときている。

大正年間を挟んだ前後を繋ぐキーワードとして見えてくるもの、それが木造の旧橋だ。桜並木は黒谷橋を中心に植樹されている。即ちそれは先代の旧旧黒谷橋を軸に植樹されたに他ならない。年季の入った古橋は二代目と考えるのが自然だ。

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