教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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千升乢/千升峠(3)

★★

千升乢(ちますだわ)の取扱説明書

どういった理由かは定かでないが、地図上から峠名が抹消されるケースがある。この峠も然り、いつの頃からか名無しの峠となっていて、原本たる地形図に記載が無いものだから、当然市販の地図にも反映されず、結果現場を往来する現代人は峠名を知らぬまま行政界を越して行く。実際に行き来する者の肌感覚では、勾配のきつい坂が待つ紛れもない峠道なのだが、紙上から本来の呼称を消し去られて久しい峠を意識する者は皆無に等しい。有耶無耶にされつつある現状とは裏腹に、沿線にはこれ見よがしに旧道の痕跡が見て取れ、スルーするのが罪深き如し存在感を醸し出している。この峠道に埋もれし史実に光を当て、本来得られるべき正当な評価を下すのが、我々に課された使命と考える。行き交う者の誰もが旧道の存在に気付きつつも、情弱により無関心を装わざるを得ない現況に終止符を打つ。

 

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◆広域農道吉備街道との交点では格下扱いの旧道筋

白昼は人っ子一人見当たらない閑静な住宅街で、スタート&ストップを執拗に繰り返す原チャは、地域住民からすれば不審者以外の何者でもない。怪しい余所者でも気さくに受け答えしてくれた二人のおばちゃんは、この道一本で全てを捌いていた時代を知る貴重な生き証人だ。

この道が本線であった時代は、塀を擦ったとか瓦に当って欠けた等のクレームは珍しくなく、その度毎に道路拡張話が盛り上がったという。今でこそ沿道の建物を建て替える際には、道路の中心より2m以上離すセットバッグが法律で義務付けられているが、この道が現役時代はそんなものはなかった。

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◆本線の名残である撤去されずに佇む錆び錆びの看板

お前が引け!そっちが引け!の応酬で、道路を挟んだ住民同士が常時対峙する状態にあったのだという。沿線には敷地面積が百坪に満たない家屋がびっしりと連なっている。豪邸であれば1m引いて塀を建て直すのも容易だろうが、ただでさえ狭い土地を削られるなど庶民感情としては堪ったものではない。

都心部であれば10坪前後の狭小住宅は珍しくないが、土地幅ギリギリ寸法で建築した彼等にとって、10cmでも引く事は即死活問題となろう。スペース的に若干余裕のある田舎でも、建物自体が道路寄りにある場合、減築を強いられる恐れもあり、度量のある者でもなかなか許容出来るものではない。

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◆沿道には木製の電柱や石碑等が点々と認められる

仮に自ら土地を提供する旗振役が現れたとしても、一戸でも認めない家があると計画は直ちに頓挫する。全戸一律に一定の敷地を供出して始めて拡張が成立するのであって、一戸でも反対すれば当然不成立となる。これは全会一致でなければ建て替え出来ない老朽化したマンションに似ている。

かくて道路拡張計画はなかなか進展せず、水田や田畑の一部を潰してゼロベースで新規の道路を敷設する案に舵を切ったそうな。結果二束三文の土地が高く売れ、対峙する家々の軋轢も解消し、皆がハッピーとなった。この施策は全国一律にみられる道路あるあるで、当該沿線も例外ではなかった。

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◆酒屋等の専門店が犇めき合う緩やかなS字カーブ

仮に地域住民が一丸となって道路拡張に熱心に取り組んでいたならば、今我々の視界に入る風景は一変していたであろう。原形を留めぬほど朽ち果てた酒屋、閉店セールから四半世紀以上経た文具店、ほとんど一般家屋に還ってしまった呉服店、営業をしてるんだかしてないんだかよく分からない鮮魚店。

やめ時を見誤ったのか今尚細々と営業を続ける理髪店、この地域住民の医療を一手に引き受けていたであろう診療所、当時の面影を色濃く残す一時代前の様相は、幸か不幸か住民の総意によって破壊を免れ、昭和中期然としている。意図しなかったにせよ、情景が一変する事態を住民が阻止した格好だ。

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◆角に一本松が聳える診療所の十字路が集落の一等地

結果的には当該地域には世紀を越えたエキサイティングな線形並びに遺構が展開し、古き良き時代の面影にどっぷりと入り浸れる。江戸時代の街道を彷彿とさせる最狭区があるかと思えば、今度は人力車や馬車の往来を想像させる緩めのS字カーブ、昭和年間に活気を呈したであろう専門店があ犇めき合っている。

江戸(安政)・明治・大正・昭和の四つの時代が玉石混交の様相を呈し、皆様のお越しをお待ち申し上げておられるのである。アスファルトを石畳にするとか、沿道家屋の屋根瓦を赤茶で統一するなどのちょっとした工夫で、観光地に成り得るのではないかというポテンシャルを感じずにはいられない。

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◆診療所跡の脇に佇む懸幡神社と掲げられた鳥居

道端にドーンと構える一本松が目を引く診療所跡、その脇には2トン車の通行がギリギリのやや小さめの鳥居が設けられている。額面には懸幡神社と彫刻されていて、この十字路を中心に専門店が前後に集中している点から、当集落の一等地であろう事は容易に想像が付く。

普段なら見過ごしかねない小さな十字路ではあるが、足元には薄らと白線が敷かれた跡が認められ、かつての横断歩道であった事が分かる。少々離れた位置からは横断標識も確認され、神社への道が通学路を兼ねているのが分かる。という事は鳥居の先に学校があるはず。木造校舎か?

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◆立派な門柱だけが現存する福谷小学校跡地の広場

左折すると正面に校庭らしき広場が視界に飛び込んでくる。その奥には木々に囲まれた懸幡神社の本殿の姿が認められる。しかし肝心の校舎が見当たらない。校庭は田舎にしては広過ぎる。残念ながら校舎は解体され、グランドと一体化していた。

更地と化した福谷小学校の片隅に置かれていた石碑には、在りし日の学び舎の全貌が掘り込まれていた。その姿はどう見ても木造校舎そのものであった。静寂を切り裂く絶叫が轟く。

悔しいです!

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