教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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円城の辻(18)

★★★

円城の辻(えんじょうのつじ)の取扱説明書

いつの頃からか、ライダーの聖地と謳われて久しい道の駅円城。週末ともなれば県の内外を問わず単車が集い、四輪での進入が場違いと思わせるほど凌駕する。山陽方面からも山陰側からも上り勾配のピークに位置する現場は、感覚的にも距離的にも一服するには丁度良い。多くのライダー&ドライバーが日頃何気なく行き来している道でもあるが、99.9%の者が円城へ至る道筋の正体を知らぬまま、この世の春を謳歌している。何を隠そう僕もその一人だ。正確を期せば、僕もその一人“だった”。沿道一帯には旧道のそれと分かる無数の残骸が散見されるが、それらを丁寧になぞる過程で、僕の想像を遥かに超える驚くべき現実を目の当たりにする。これまで培ってきた道路感が音を立てて崩れる、それくらいのインパクトは必至の炎上、いや円城の辻の真髄を御覧頂こう。

 

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◆窮状を脱した直後の開けた空間で一息入れる

ヒャッハー!

久方ぶりに吐き気を催す程のピンチに陥った僕は、これ以外に表現方法が見当たらなかった。徒歩での通行さえ途絶えて久しい当区の難易度は、紛れもなく当峠随一と言っても過言ではない。安全地帯より振り返れば、実際の距離は然程長くはない。併走する現道ならば、ほんの一瞬の出来事に過ぎない。それでも得体の知れない旧道は、果てしなく長く感じられた。

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◆相対的に大人しく映る視界前方の藪道

手作業で単車一台分の藪を刈り払い、足元の様子を棒で突っつきながら確かめる。単車を亀の如し低速且つ慎重に推し進め、事の一部始終を画像に収めと、当区内の対空時間は軽く見積もっても30分以上を要している。恐らくそれがゆえに豪く長い道程に感じられたのであろう。

とりあえず安全地帯に抜け出たと言っても、そこはまだ激藪の真只中。たまたま中規模の倒木が横たわっていた御蔭で、周囲に雑草が繁茂出来なかった空間に過ぎない。それでも折れそうな心を下支えしていたのは、アスファルト舗装による確固たる基盤に対し、全幅の信頼を置いていたからだ。

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◆旧道沿いに佇む往時の速度制限標識

これより先藪道は続けど、致命的な損壊に非ず。峠下より旧路の足元は一貫して舗装されている。サミットが手の届く位置にあって、突然息切れでもしたかの如く未舗装に切り替わるのは理解し難い。頂上の向こう側が未舗装というならばガッテンだが、尻切れトンボという事態は考え難い。

当路線は生命線にして唯一無二の生活道路である。そげな中途半端な仕様が許されるはずがない。せめて峠道の片面は同一基準で整備されるべきで、予算の都合だとしても途中で匙を投げ出すような工程は許容されまい。但しこの路線が林道上がりであるならば話は別だ。

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◆路面全体が笹藪に覆われるも下層はアスファルト

加茂川市街地で交差するR484畑ヶ鳴峠の片面が、林道上がりであったのは記憶に新しい。当路線も似たような歴史を辿っているならば、この道も未舗装のまま現役を退いた区間があっても驚けない。しかしこの峠道は街道⇒県道⇒国道とステップを踏む王道路線につき、断続的な未舗装の痕跡は無いと踏む。

現に河川と見間違う程の荒廃ぶりである当区間でさえ、急所を抜けた先は単なる藪道に過ぎない。これは知見に基づくアスファルト上に堆積した土砂や瓦礫に植物が根付く“いつわり”の未舗装である証左だ。ショベルカーで堆積物を掻き出せば、一瞬にして即席道路の出来上がり、そんな道だ。

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◆昭和58年10月竣工の青草4号橋で現道に合流

それでも現実として中長期的に放置プレイが続く旧道筋は、般ピーが丸腰で挑むには想像を絶する棘の道であり、夏季はパッと見で戦意喪失、車両での通り抜けなど夢のまた夢という代物だ。ほんの僅かな距離ではあるけれど、僕の手を最も煩わせた区間として記憶に刻まれたのは言うまでもない。

道中には撤去を免れた当時の速度制限標識が認められ、線形のみならず遺構からも旧道筋である事が裏付けられた。往時は30キロの速度制限がかけられており、とてもとても幹線道路とは言い難い御粗末な仕様であった事が読み取れる。相互通行を実現する現在の快走路とは豪い違いだ。

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◆幅広の歩道が旧道筋で事実上三車線でサミットへ

今一度念を押しておくが、たった今僕がヒーヒー言いながら通り抜けてきた藪道を、その昔はバスやトラックが日常的に往来していたのだ。この先に待つ道の駅周辺で聞き取りに応じてくれたジジババの多くが、岡山市内へ鮨詰めの路線バスで通勤した過去を鮮明に覚えていた。

元来汽車が通らない鉄道空白地帯である。古来自動車輸送が盛ん且つ必要不可欠であったから、バスでの通勤通学の苦労話は掃いて捨てるほど出てくる。峠道全体の勾配が緩いので、押した押さなかったの話は聞こえてこないが、のらりくらりと狭隘路を伝う通勤時間の長さに堪えたという意見は一致する。

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◆現道+旧道の三車線+αの幅広のサミット

マイカーが発達した今日では見る影もないが、昔は岡山・倉敷・高梁・真庭と、どこへ行くにもバス便があり、どの時間帯も混んでいたというから、昭和30〜40年代のバス黄金時代は、全便がウハウハのドル箱路線であった様子が窺える。

それらが一堂に会していたのが県道372号線と交わるサミット、即ち道の駅円城が当地域の一大拠点となるバスターミナルだったのではないか!?鼻息荒い僕の大胆な仮説であるが、誠に残念ながらそれは古老の証言より粉砕する破目になる。

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