教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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円城の辻(13)

★★★

円城の辻(えんじょうのつじ)の取扱説明書

いつの頃からか、ライダーの聖地と謳われて久しい道の駅円城。週末ともなれば県の内外を問わず単車が集い、四輪での進入が場違いと思わせるほど凌駕する。山陽方面からも山陰側からも上り勾配のピークに位置する現場は、感覚的にも距離的にも一服するには丁度良い。多くのライダー&ドライバーが日頃何気なく行き来している道でもあるが、99.9%の者が円城へ至る道筋の正体を知らぬまま、この世の春を謳歌している。何を隠そう僕もその一人だ。正確を期せば、僕もその一人“だった”。沿道一帯には旧道のそれと分かる無数の残骸が散見されるが、それらを丁寧になぞる過程で、僕の想像を遥かに超える驚くべき現実を目の当たりにする。これまで培ってきた道路感が音を立てて崩れる、それくらいのインパクトは必至の炎上、いや円城の辻の真髄を御覧頂こう。

 

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◆橋梁には見えない昭和58年1月竣工の青草1号橋

広場付縦長の膨らみの末端で、旧道筋は現国道に吸収され痕跡は断たれる。正確を期せば現道は旧道を梃入れしたものなので、足元は旧来の道筋そのものではあるけれど、緩やかなカーブは完全に上書きされてしまっている為、過去の遺構を見失った感がある。

所々に散見される昔の経路が久しく視界から消えた訳だが、逆説的にそれ程この峠区は過去の遺構に恵まれていて、それはかつての線形を容易に読み取れる裏返しでもある。事実カーブの直後に待つ青草1号橋を機に、新旧道は再び袂を分かち、互いに干渉しない別々の経路を辿る。

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◆橋の進行方向右手に普通車一台分のスペースを捉える

非常に緩やかな上り勾配で遥か先まで見通せる直線路、その起点はここ青草1号橋となる。欄干にガードレールが配された短橋梁は、そこが橋梁か否か判然としない構造で、意識しなければ見過ごしてしまうほど前後の車道と一体化している。その進行方向右手には怪しい膨らみが認められる。

ここまで一つ一つの遺構を丁寧になぞって来た者ならば、その正体について疑問の余地すらないのだが、普通車一台の駐車がやっとのスペースと、その先に道があるようには思えないビジュアルとが相俟って、普通の感覚であれば至極自然にスルーする現場ではある。

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◆青草1号橋付近の旧道筋に現存するデリネーター

だがそこには思いも寄らぬ御宝が鎮座していた。藪に塗れて息を潜める遺構は、焼けに焼けて色褪せたデリネーターである。待ちに待った確証級の物証に僕は一人歓喜した。長らく続いた主要県道時代、そして最晩期の国道昇格時代をも知る生き証人、その出現に正直興奮を禁じ得ない。

現道から眺める橋脇の小スペースは、誰がどう見ても道路跡には映らない。徒歩での進入さえ拒む雑木林の壁を前にして、自信をもって道路跡と言える明確な根拠が見出せないのだ。そのような窮状にあって、黄門様の印籠の如し明快な遺構が現存していた事実に、感動を覚えずにはいられない。

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◆元車道の裏付けが得られたので慎重に歩を進める

今にもポキッ!っと折れそうなデリネーターは語る。そこがかつての道路跡であると。激藪の先に続く道が、元生活道路にして幹線道路であると。そして現状からはとても信じられないが、一度は国道を名乗った我が国の主要路線であると。現況との乖離が激しく、元国道と言われても俄かには信じ難い。

デリネーターという強力な助っ人を得たところで、これが一時代前の道ですと言い切るには、やや説得力に欠ける。それくらい青草1号橋付近は強烈なジャングルと化している。かつての人々はこの道を徒歩で行き来していたというならまだ分かる。元徒歩道であればそれなりの理解は得られるだろう。

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◆人が通行した形跡が認められず激藪の開削に難儀する

だが実際問題としてここを自動車が往来していた。それもトラックやバス等の大型車が行き来していた可能性が大で、そうした実績が無ければ国道昇格など夢のまた夢と考えると、ここを日常的に四輪が通行していたのは間違いない。現況とのギャップは如何ともし難く、二度見ならぬ三度見四度見でも足りない。

ここに至る過程で旧道の残骸は必要にして十分な量ではあったが、どれも小粒で切れ端の域を出るものではなかった。しかし青草一号橋を起点とする旧道は距離も長ければ藪密度も半端無い。峠道に於ける旧道の真打登場を予感させるには十分なインパクトで、進入者をそう簡単には寄せ付けない。

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◆護岸の様子から明確な時代の相違が読み取れる

川を挟んだ対岸の現道その道床側面は、板チョコ状の護岸処理が成されている。対する旧道は石積み仕様で、両者の年代は川岸一つとっても明確な相違がある。新旧道のどちらも擁壁上辺は猛烈な藪に遮られ、対岸から互いを認識するのはほぼほぼ不可能な状況にある。

これまで幾度となく当区間を往来してきた僕でさえ、道路跡ではないかと疑りつつも、全く確証を持てずにいた謎の区間へ、ようやく第一歩を記す事となった。しかし小川を挟むだけの至近距離でも対岸の様子が窺い知れないというのは、それだけ藪化が進んでいるという事の裏返しでもある。

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◆シーズンオフでも手古摺る猛烈な藪に右往左往する

事実青草一号橋から人が立ち入った形跡は認められず、単車で云々というよりも、まずは人一人分のスペースを確保する必要に迫られ、細心の注意を払いながらモーゼの十戒の如し藪塊を二分する。シーズンオフでこの状態である。

仮に突っ込む時期が盛夏であるとなると、激藪区から脱する頃にはズタボロの衣服に図鑑に載っていない虫が這いずり回る姿に、一人二輪ピックの盛夏ランナーと揶揄される事はあっても、研究熱心な道路史家と称えられる事はまずない。

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