教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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円城の辻(7)

★★★

円城の辻(えんじょうのつじ)の取扱説明書

いつの頃からか、ライダーの聖地と謳われて久しい道の駅円城。週末ともなれば県の内外を問わず単車が集い、四輪での進入が場違いと思わせるほど凌駕する。山陽方面からも山陰側からも上り勾配のピークに位置する現場は、感覚的にも距離的にも一服するには丁度良い。多くのライダー&ドライバーが日頃何気なく行き来している道でもあるが、99.9%の者が円城へ至る道筋の正体を知らぬまま、この世の春を謳歌している。何を隠そう僕もその一人だ。正確を期せば、僕もその一人“だった”。沿道一帯には旧道のそれと分かる無数の残骸が散見されるが、それらを丁寧になぞる過程で、僕の想像を遥かに超える驚くべき現実を目の当たりにする。これまで培ってきた道路感が音を立てて崩れる、それくらいのインパクトは必至の炎上、いや円城の辻の真髄を御覧頂こう。

 

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◆パッと見バス停と見間違う城下橋直後の膨らみ

一見すると二車線の快走路に歩道が付け加えられただけの、どこにでもある在り来たりな仕様に映る城下橋。そもそも論として、僅か10m足らずの短橋梁に、そこが橋と気付かずにスルーするドライバーも少なくない。御多聞に漏れず、僕も当現場を長らく意識する事はなかった。

ところがこうして用心深く現場を眺めてみると、パッと見の希薄な印象とは裏腹に、一時代前の面影を色濃く残す貴重なスポットである事に気付かされる。通常は道路沿いにガードレールが延々と続き、時折重厚な鉄パイプやコンクリ製の高欄によって、我々はそこが橋と気付く。

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◆現国道を挟んで膨らみと対峙する1.5車線の狭隘路

ところが現場付近では鉄パイプ同士を組み立てたガードパイプが主流で、そこへもって板状のガードレールがほんの僅かな区間だけ設置されているので、変化に敏感な者であれば違和感を覚えるかも知れない。しかし通常のドライブではほとんど見過ごされるであろう些細な変化に過ぎない。

その違和感に足を止め現場を精査したところで、何がどうしてどうなったのか訳が分からないというのが率直な感想だろう。起点よりここに至るまでの過程を辿った知見と想像力とが相俟って、初めて腑に落ちる。でなければ橋の直後に待つ膨らみも、後付けの元バス停と見誤るだろう。

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◆川沿いの狭隘路に進入してすぐに捉える待避所跡

短橋梁の直後には、丁度バス一台がすっぽりと収まる膨らみがある。目の前には民家が構えており、いかにもバス停があった感がプンプン漂っている。現時点で停留所は認められない。とうの昔に撤去されてしまったという解釈も成り立つ。何故なら現場がバス停跡っぽいシチュエーションだからだ。

しかし現実にはバス停は100m程先の見通しの良い直線上に配置され、しかもバス専用の膨らみなど用意されていない公道上を停留所としている。いかにもバス停と思わしき膨らみは元バス停でも何でもなく、それ自体がかつての本線であったのだと線形は訴える。

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◆待避所にペイントされた法定速度が薄らと残る旧道筋

城下橋の進行方向左手のガードレールは、かつての旧道筋の軌跡そのものを示しており、その先に待つ膨らみは旧道の残骸を再利用したものに他ならない。事実現国道を挟む形で膨らみと対峙する川沿いの路とは対を成し、分断された両者が、かつては一本道であったと主張する。

現場にはかなり擦れてはいるが、30キロの制限速度が路上にペイントされた跡が残されている。大型車同士の交換をギリギリ許す幅員が保たれてはいるが、普通車で5台も許容出来るか否かの範囲でしかない。かつての狭隘路にバス停を置くとしたら、ココしか考えられない。

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◆石垣と桜並木に挟まれた路は四輪同士の離合が不可能

僅か数台の待避を許すのみの膨らみは瞬く間に閉じ、石垣の擁護壁によって国近川ギリギリまで狭められてしまい、現実として四輪同士の交換は叶わない。この現存する狭隘区がかつての山道そのものの偽らざる容姿であり、この糞狭い道一本で往年の車両を捌いていたのだ。

この狭隘区と対を成す城下橋直後の膨らみは、キャパからこの石垣を身に纏う道筋そのものであり、橋を渡った直後に右斜め45度に折れ曲がっていた線形が見えてくる。後年石垣を移設するとか河川変更する等は、理屈上考えられなくはないが、経費や手間を考えると現実的とは言い難い。

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◆ライフラインが埋設されている為存続必至の旧道筋

何よりも現場の状況が往時より微動だにせずと訴えている。上物を失った石垣と樹齢50年は下らない桜並木とが、かつての厳しい山道の現実を今に伝えている。旧道には上水道管を埋設した跡が認められる。この水道管の存在によって、旧道は今後も一定の水準でキープされる事を担保されている。

石垣の上は平坦な更地で、水道管の延伸からもかつて住居があったであろう事は間違いない。その裏手を切り拓く形で、現国道が新設されたのだ。城下橋の銘板には昭和45年竣工とあるが、それは先代の木橋や石橋からの架け替えで、石垣裏手の開削時期及び橋の増設は祇園橋とほぼ同時期であろう。

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◆川沿いの旧道と山裾の現道がぶつかる鍋谷口バス停

川筋から一定の距離を隔て山裾ギリギリのラインを辿る現国道と、島状の平坦地を挟んで併走する旧道とがぶつかった地点には、鍋谷口なるバス停が置かれている。古来置かれていた場所は、旧道筋の待避所と考えるのが自然だ。

旧道筋を通らなくなったのだから現道上に移設するのは当然だが、バスにぴったりフィットの城下橋直後の膨らみに停留所を設けなかったのは何故だろう?停留所名を城下橋にすればよくね?と考えるのは僕だけではあるまい。

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