|
教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
|
|
トップ>旧道>岡山>円城の辻 |
|
|
円城の辻(6) ★★★ |
|
|
円城の辻(えんじょうのつじ)の取扱説明書 いつの頃からか、ライダーの聖地と謳われて久しい道の駅円城。週末ともなれば県の内外を問わず単車が集い、四輪での進入が場違いと思わせるほど凌駕する。山陽方面からも山陰側からも上り勾配のピークに位置する現場は、感覚的にも距離的にも一服するには丁度良い。多くのライダー&ドライバーが日頃何気なく行き来している道でもあるが、99.9%の者が円城へ至る道筋の正体を知らぬまま、この世の春を謳歌している。何を隠そう僕もその一人だ。正確を期せば、僕もその一人“だった”。沿道一帯には旧道のそれと分かる無数の残骸が散見されるが、それらを丁寧になぞる過程で、僕の想像を遥かに超える驚くべき現実を目の当たりにする。これまで培ってきた道路感が音を立てて崩れる、それくらいのインパクトは必至の炎上、いや円城の辻の真髄を御覧頂こう。 |
|
|
|
◆余裕ある待避所に加え山塊を豪快に削り取った大空間 パッと見やり過ぎ感のある巨大な膨らみと、三段で削り採られた山塊とが、いかに大規模な開削であったかを物語る。普段は速度超過によるコーナー捌きに気を取られ、全く以て当現場を顧みる事はなかったが、こうしてまじまじと観察すると、相当な気合いで挑んだ様子が窺える。 元来この現場は山襞の一部が大きく迫り出し、Uの字を描いて突起の先端を迂回する難所であった。当然の如し行き交う車両の全てがここで急減速を強いられ、いつ何時現れるやも知れぬ対向車に怯えながらのコーナリングで、二車線化以前は警笛鳴らせの標識があっても何等不思議ではない。 |
|
|
◆センターラインこそ無いが二車線規格を有する膨らみ 事実この膨らみの手前にある落石現場と合わせれば、当区間はS字状の全く見通しが利かないデンジャラスゾーンで、はち合った対向車と押し問答しているうちに、落石パンチを喰らうデスゾーンでもある。加茂市街地へあと一歩の所で落石ヒットは堪ったものではない。 しかしそのようなトラップは長きに亘り機能し、ドライバー心理に負荷を掛け続けた。大型車も余裕の待避所と化した膨らみは、最狭部でも二車線幅を確保している。どうやら晩年は山塊の突端を二車線規格で迂回していたようだ。それは連続する落石現場が曲りなりにも二車線を維持する点からも頷ける。 |
|
|
◆実質四車線以上に及ぶ大規模なコーナーを振り返る S字の真只中を直線的に貫く現ルートに切り替わる直前の旧道筋は、石材店付近にみる1〜1.5車線の狭隘路ではなく、一応二車線規格を有している。落石が頻発する危険な箇所での通過時間を少しでも短くして、事故を最小に抑える苦肉の策であったのかも知れない。 市街地の役所付近では普通車同士の交換さえ厳しい道程なのに、山間部に入った途端に幅広道というのもどうかと思うが、祇園橋付近のS字カーブに限っては、そうでもしなければ成立し得ぬほどの危険箇所という認識が強かったと思えば、大胆な路線切替も頷ける。 |
|
|
◆S字の難所区を抜けると見通しの良い緩やかな左カーブ 膨らみより先の旧道は歩道へと転用されている。現ルートは山側をガッツリと削り込んだ様子で、落石防護柵や擁護壁が断続的に続いている。対岸で田畑を運営する地主の主張やら水害対策やら何やらで、併走する鍋谷川の川幅を狭めるのは容易でなく、山側を削り取っての拡幅に選択の余地はない。 現国道とは縁石で仕切られているので明らかな歩道なのだが、旧道筋の名残なのか歩道の幅員は、普通車一台の通行を許す必要にして十分な規格を有する。何等かの事情で上下線共に不通で全面通行止になったとしても、パトカー等の緊急車両が行き来出来る点は評価に値する。 |
|
|
◆歩道に転用された旧道筋は最大幅が4m前後を誇る 歩道は場所によって軽自動車同士の擦れ違いが叶う幅広区もあり、旧道のポテンシャルを如何なく発揮している点は褒められていい。部分的には実質3.5車線もある訳で、現場の実態は新旧路フル稼働の贅沢な仕様となっている。これだけの余力があれば、電動車椅子(シニアカー)での移動も余裕だ。 そもそも平日の絶対交通量が少ないので、歩道上での歩行者やチャリとのトラブルも無縁だろう。免許返納した高齢者はバスやタクシーを駆使するのが相場だが、電動車椅子も選択肢に成り得るだろう。超高齢化社会を迎える我が国では、旧道を積極的に活用するのも一考の余地アリと気付かされる好例だ。 |
|
|
◆歩道に転用された旧道と現道は併走し短橋梁に至る 歩道以上車道未満の路が辿り着いた短橋梁、そこでは古来供用されていた二車線の車道に、歩道を増設したかのような格好に見えなくもないが、事実はその真逆となっている。歩道サイズに毛が生えた程度の狭隘路に、フル規格の新道を付け加えたというのが正しい見方で、実際にそのような仕様になっている。 銘板には昭和45年1月竣工とあるが、どこからどう見ても高度経済成長期の代物には見えない。平成になってから、或いは昭和の晩年に架設した近代工法で、祇園橋と同時期の架橋と考えるのが自然だ。この橋が祇園橋と決定的に異なるのは、旧橋を新橋に同化させている点だ。 |
|
|
◆銘板に昭和45年1月竣工とある城下橋は新旧合体橋 旧橋をそっくりそのまま歩道へと転用し、境目無く新橋をくっつけて成立させたその橋を、城下橋という。おいおいおい、さっきから黙って聞いてりゃぁ祇園だの城下だの、まるで山岳都市でもあったかのような物言いでないかい? そう、この時点で我々はまだ何も知らないのだ。この先に待つ天空のオーパーツ(場違いな遺物)の存在を。その片鱗が沿道のあちらこちらに散りばめられている。その違和感を薄々感じ始めたのが、新旧合作のここ城下橋であった。 円城の辻7へ進む 円城の辻5へ戻る |