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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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円城の辻(5) ★★★ |
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円城の辻(えんじょうのつじ)の取扱説明書 いつの頃からか、ライダーの聖地と謳われて久しい道の駅円城。週末ともなれば県の内外を問わず単車が集い、四輪での進入が場違いと思わせるほど凌駕する。山陽方面からも山陰側からも上り勾配のピークに位置する現場は、感覚的にも距離的にも一服するには丁度良い。多くのライダー&ドライバーが日頃何気なく行き来している道でもあるが、99.9%の者が円城へ至る道筋の正体を知らぬまま、この世の春を謳歌している。何を隠そう僕もその一人だ。正確を期せば、僕もその一人“だった”。沿道一帯には旧道のそれと分かる無数の残骸が散見されるが、それらを丁寧になぞる過程で、僕の想像を遥かに超える驚くべき現実を目の当たりにする。これまで培ってきた道路感が音を立てて崩れる、それくらいのインパクトは必至の炎上、いや円城の辻の真髄を御覧頂こう。 |
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◆のっけから即死必至の巨石が散乱している危険な現場 幾度となく往来した“いつもの”道であるが、旧道の断片を精査するのは今回が初であり、全国数多の廃道同様に一定の緊張感があり、また新鮮さこの上極まりない。第一印象は、いつもの道にこのような美味しい箇所があったのか!という驚きにも似た感動である。 現場は旧加茂町役場から目と鼻の先に位置する1kmにも満たない至近距離にあり、加茂市街地の圏内と言っても過言ではない立地だ。そこに緊張感が走る戦慄の現場が息を潜めていた事は、日頃から慣れ親しんだ者にとっては驚愕に値する。一体全体何なんだこのアトラクションは? |
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◆路面はアスファルト舗装で終始ガードレールも備わる コロナ禍で遠出を控えねばならない空気が醸造され、近場の掘り出し物を探すスタイルが定着しつつあるが、加茂町民にとってこの場所は灯台下暗しの意外な新発見になるに違いない。勿論このような現場を渡り歩いている僕にとっては、大きな知見であるのは言うまでもない。 当区間はセンターラインこそ認められないものの、道幅は現行の二車線と遜色ないものであり、路肩にはガードレールが備わっている。パッと見は滅多に人が分け入らない密林にしか見えないが、足元に散見される青く濃く自身の存在を主張するアスファルトが、その前提を強く且つ公然と否定する。 |
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◆徐々に植物の密度が増すも路面は舗装済で安定している それでも人は見た目が大事なので、枯れ草によって勢力を削がれるアスファルトは注視せず、上から下からサイドから襲い掛かる植物の猛威に気を取られ、どこのジャングルかといった有様に後退りするのは必至だ。何の道具も持たずに興味本位で進入したら、間違いなく即撤収となるだろう。 草も平気、虫も平気な猛者であっても、二輪四輪を問わず車両で突っ込むにはそれ相応の覚悟がいるし、通過するだけで何百何千という種子が服に貼り着くとか、無数の棘や枝葉が衣類に大きなダメージを与える等のアクシデントは御約束で、般ピーは許容出来ないであろうし、全く以てオススメも出来ない。 |
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◆四輪での通過が不可能な程植物の繁茂が著しい旧道 せっかく見付けた近所の秘境も、痛い思いをする可能性大であるなら、近付かない方が賢明だ。しかし僕は何が何でもここを攻略する必要があった。何故なら多少の痛手を負ってでも、ここを突破する意義を見出したからだ。当区間は一級河川の鍋谷川と併走する形で上下している。 現場には四輪でも一発で御釈迦の巨石がゴロゴロとしている。かつてから落石に悩まされていたであろう事は容易に想像が付く。最終ジャッジとしてこの区間の運用を諦めて、道路を対岸へ移す形で決着した。線形を変更するには二本の橋が必要で、事実現道は二つの橋で落石現場を回避している。 |
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◆二つの橋で難所を回避する現道の脇で息を潜める旧道 その橋の銘板には祇園上橋・下橋の文字が躍る。そして竣工年は平成元年七月と刷られている。この日付を以て僕は突破ありきで藪中へと身を投じた。何故平成元年だと激藪に突っ込む意義があるのか?それはこの道の辿った昇格の歴史に起因する。戦後長らくこの道は県道のポストにあった。 倉敷と津山は県下でも屈指の主要都市同士であるから、古くから主要街道⇒主要県道の云わばエリートコースを歩んでいたから、ポスト国道は時間の問題であった訳だが、それが日の目を見たのが1982年であった。銘板にある平成元年とは昭和64年とも言い換えられる。 |
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◆落石現場より現道を突っ切った先に待つ一本松の膨らみ 昭和天皇崩御の昭和64年とは、西暦に変換すると1989年、即ち落石現場を迂回する二本の橋は、国道指定から7年の月日が流れた後に架橋されたもので、その間騙し騙し国道として供用していたのだ、あの藪道を。密林状態と化した元国道、そう聞いて食指が動かないはずがない。 たった7年の短期間ではあるけれど、間違いなく落石現場は国道を名乗っていた。過去のデータを改ざんしようが、公文書をシュレッダーに掛けようが、この事実は覆らない。 落石現場は旧(元)国道 |
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◆大型車も休息可能な待避所に転用された旧国道 落石現場だけではない。祇園上下橋を含む現ルートに分断されたかつての道跡は、全て元国道或いは旧国道という肩書を有している。その情報を汲むか汲まないかで、この路線に対する心象は大きく違ってくる。 加茂市街地の外れにこのような道路遺構が存在する事に感嘆すると共に、他にも未知なる遺構が眠っているのではないかと期待せずにはいられない。落石現場の対向に待つ膨らみでさえ、元国道と意識するだけで見る目がまるで変わってくる。 円城の辻6へ進む 円城の辻4へ戻る |