教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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畑ヶ鳴峠(19)

★★★

畑ヶ鳴峠(はたごなるとうげ)の取扱説明書

世の中には地図に刷られている峠名と現地に掲げられている峠名がマッチングしない案件が存在する。国道484号線の畑ヶ鳴峠もその一つだ。ひとつの峠に複数の呼称があるのは然程珍しい訳ではない。峠の前後左右で名称が異なるのは何等不自然ではないし、どれが間違っていてどれが正しいとも言い切れない。世に出回っている地図の原本となる国土地理院の地形図は、2018年現在山の神峠と謳っている。その為市販の地図はそれに従い山の神と刷り込んである。現場は取るに足らない平易な峠で、未来永劫歴史の道踏査報告書で取り扱う日は来ないであろう、そう思い込んでいた、つい最近までは。ところが無視する訳にはいかない驚愕の事実に直面する。全ては知る人ぞ知る秘境カフェ「ナップビレッジ」に始まる。ここに立ち寄ったが最後、単なる峠越えに終始しないコアな世界へと引き摺り込まれていく。本来は酷道として名高い畑ヶ鳴峠であるが、その殻を打ち砕くに十分な破壊力を秘めている同区の真髄を御覧頂こう。

 

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◆面白いものを見せようと初老が案内してくれた緑の小径

以前の道はこれじゃ

還暦を迎えて間もない初老が立つ緑道、それが現在の路線が成立する以前の道路であるという。そんな馬鹿な。。そげなはずはない。僕は何ちゃらバズーカ風に何度も主張した。ちょっとまてちょっとまて御爺さん♪と。

しかし彼は一歩も引かないし怯まない。どこからどう見ても道路じゃねーんだよな、これが。隣家同士の人畜が行き来する小道、拡大解釈しても大昔の脇街道といったところか。雑草が刈り払われた土道をスタスタと歩く初老は粛々と語る。

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◆人畜道以上車道未満の全幅1.5m前後の力車道

わしの婆さんが明治29年に福渡から人力車に乗ってここ(加茂)に嫁いできた

出〜た〜!!!

ザ・力車道

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◆初老と辿る現国道筋の左右に現存する古来の峠道

言われてみれば確かにそれなりの幅員が認められる。僕はすかさずポケットからメジャーを取り出し全幅を測ってみた。すると概ね1.5m前後を有する事が分かった。これまでの経験則から人力車を通すには十分な道幅だ。但し現存する区間はそれほど長くはなく、精々家屋二軒分といったところか。

法上の境界を指していると察せられる松の木は、1m前後の間隔で均等に配され、主要街道伝いに観る松並木を彷彿とさせる。直径20cm以内の若木は近年植え替えられたもので、五街道にみる歴史的な重厚さというものは感じられない。だがこの空間だけは確実に異質なオーラを放っている。

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◆人畜のみが往来したという最古の路跡(旧旧旧道)

松並木と対峙する石垣はそれなりに年季が入っており、江戸時代から継承されていたとしても何等不思議でない。もしこの道路とやらが江戸期から使われる小径ベースだとすれば、明治黎明期の文明開化と共に直ちに道幅が拡げられ、人力車を通せるよう突貫で改良されたに違いない。

これまで僕等は岡山県内各地に現存する旧廃道にて、馬車道ではない謎の車道を数多目にしてきた。中でも特筆に値する路線は史料が残る辛香峠で、明治24年に完工した巨大な切り通しの十余年も前から、岡山市内⇔福渡間を人力車が疾走し、シゲノ乢&箕地峠経由で運用されていた事実を突き止めた。

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◆若かりし日の初老が日常的に行き来した旧一の原橋

また県北の休乢では家の裏手を人力車が行き来していたという生の証言を得て、明治36年竣工の馬車道成立以前は全幅が2mに満たない狭隘山道を人力車が往来していた事実が決定打となり、その他路線での人力車情報の実績を積み重ね、交通変遷史に於ける力車道の存在を白日の下に晒した。

教科書では我が国の近代陸上交通は馬車道に端を発しとあるが、ある日突然道路がでっかくなっちゃった!という訳ではなく、江戸期から脈々と続く小径を現代(明治)仕様に改めようという動きがあり、幹線はもとより毛細血管の如し張り巡らされた脇道(後の里道)で、暫定改修供用は珍しくはなかった。

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◆かつては法面があったというが石垣が崩れた古道筋

金欠に悩んでいた明治新政府にゼロベースで新規路線を敷設する余裕はない。かといって明治黎明期に爆発的に普及する人力車の勢いを止める事は出来ず、利便性や即時性を求めた結果今ある道、即ち江戸道を突貫で車道にする形で当座を凌ぐというのが、当時の有力な選択肢の一つに浮上したのだ。

その頃の御上からの許可証等の一次史料が見当たらない云々のツッコミはナンセンスだ。首相官邸にドローンが不時着して初めて政府が大規模な規制に乗り出したのが好例で、いつの時代も最先端技術に政府は対応出来ない。前例が無いを合言葉に身動きが取れないのは今も昔も変わらない。

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◆この辺りを通ってたと初老が指差ししないと単なる斜面

そう、あの時もそうだった。150年前、東京で産声を上げた人力車が、僅か1年で東京市内の駕籠を駆逐するだなんて、誰も想像すら出来なかった。その勢いがたった数年で岡山の山間部にまで波及するだなんて、晴天の霹靂寝耳に水である。

数百年に一度の大変革期の真只中にあって、ありとあらゆるものが自身の手足のようにコントロール出来ると考える方がおかしい。むしろ民は混乱のゴタゴタに乗じて無許可無申告で江戸道の拡張を施し、御上はその全容を把握すら出来なかった。

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