教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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畑ヶ鳴峠(18)

★★★

畑ヶ鳴峠(はたごなるとうげ)の取扱説明書

世の中には地図に刷られている峠名と現地に掲げられている峠名がマッチングしない案件が存在する。国道484号線の畑ヶ鳴峠もその一つだ。ひとつの峠に複数の呼称があるのは然程珍しい訳ではない。峠の前後左右で名称が異なるのは何等不自然ではないし、どれが間違っていてどれが正しいとも言い切れない。世に出回っている地図の原本となる国土地理院の地形図は、2018年現在山の神峠と謳っている。その為市販の地図はそれに従い山の神と刷り込んである。現場は取るに足らない平易な峠で、未来永劫歴史の道踏査報告書で取り扱う日は来ないであろう、そう思い込んでいた、つい最近までは。ところが無視する訳にはいかない驚愕の事実に直面する。全ては知る人ぞ知る秘境カフェ「ナップビレッジ」に始まる。ここに立ち寄ったが最後、単なる峠越えに終始しないコアな世界へと引き摺り込まれていく。本来は酷道として名高い畑ヶ鳴峠であるが、その殻を打ち砕くに十分な破壊力を秘めている同区の真髄を御覧頂こう。

 

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◆旧橋が取り除かれ新橋に上書きされた二の原橋

はて、この藪道は何じゃろか?もうその心配は御無用だ。現国道と併走する路は、どれも例外なく先代とみて間違いない。現役当時国道を名乗ったか否かはさておき、福渡と加茂を結ぶ元幹線道路である事を疑う余地はない。それを確定せしめたのが三の原橋で、その橋は加茂の玄関口でもあった。

三の原橋より杉木立を挟んだ新旧併走区を抜けると、国道は日山谷川と三度交差する。そこに架かる橋の銘板には、二の原橋と刷られている。三の原橋⇒二の原橋と連続する橋梁名の漢数字が減算されている点から、加茂市街地へのカウントダウンが始まった事を悟った。

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◆二の原橋は三の原橋と同時期の昭和60年3月竣工

まだ沿道に人家は見当たらない。しかしここに来て路の勾配は確実に緩くなり、谷の幅も気持ち拡がっている。間もなく猫の額ほどの水田なり畑なりが現れるのではないか、そんな予感がする二の原橋には、旧橋が存在しない。どんなに目を凝らしても現道の左右にそれらしき痕跡は見当たらない。

現場の状況を以てすれば現在の二の原橋は、先代を上書きする形で架設されたとの解釈が妥当だ。工事中の代替路は左右どちらかに仮橋を設け、付替え完了と共に綺麗さっぱり解体された。従って旧橋の痕跡は1ミリもない。残念ながら二の原橋は過去を清算してしまっている。

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◆三の原橋と同時期の昭和59年3月竣工の一の原橋

だが悲観する必要はない。ここに至る過程に観たいずれの旧橋も、高度経済成長期に架設されたコンクリ橋で、どれも似たような体をしている。ここだけが例外だったと考えるのは不自然で、橋上で四輪同士の交換が可能か否かの一時代前の規格の橋が、現役を張っていたであろう事は想像に難くない。

事実、二の原橋の直後に待つ橋の先代は、姿形こそ無いが土台がくっきりはっきりと残っており、そこから察してこれまでの旧橋に準ずるコンクリ橋が架設されていたであろう事はほぼ間違いない。その橋の銘板には一の原橋とある。三⇒二⇒一ときた橋の向こう側には巨大な施設が建っている。

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◆旧一の原橋へ至る旧道はポンプ場に置き換わっている

ここ一の原橋は加茂市街地の外れに位置し、終着点と見做した加茂の敷居を跨いだとみていい。加茂側で最初に目にした人工物は、田畑でも家屋でもなく巨大な水道施設で、一の原ポンプ場を名乗る一連の設備が、旧一の原橋に至る旧道上のほぼ全てを占拠し、橋桁へ容易に近付けない仕様にあった。

水道関連設備を設置するにあたりアスファルトを引っ剥がしているのだろう。そこはかつて車両が行き交った感じは微塵もせず、ただただその昔から水道関連施設がドーンと構えていたかの様相を呈す。だが僕は怯まない。そんなの関係ねー!とズカズカと敷地内を徘徊する。

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◆板チョコ型擁壁と石垣に挟まれた旧一の原橋の土台

徒歩であればあっさりと旧橋の土台へと辿り着ける。現在の橋から観た旧橋のそれは、これまで同様コンクリの基礎の上に成り立っており、板チョコ型の擁壁を身に纏っている。かつての路上は雑木林と化しているが、引込線を含む旧一の原橋が払い下げられた事に起因する。

土台に至るアスファルトの全てが取り除かれ、道路っぽさの欠片もないばかりか、台帳上もとっくの昔に道路でなくなって久しい。最早旧一の原橋は民間の私有地なのだ。ただ見る者が視れば旧橋のそれと分かる土台&擁壁(コンクリ並びに石垣)は、そこがかつての本線であったと主張する。

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◆桜並木&芝生の広場からポンプ場へX状で交わる旧道

旧三の原橋より杉木立の裏手を抜ける旧道は、進行方向左手より右手斜めに架橋された今は亡き旧二の原橋を一跨ぎし、日山谷川に寄り添う形で大きく回り込み、その反動から現道をX状で突っ切って一の原ポンプ場へと辿り着く。S字状で膨らむ旧道筋を、新道は串刺しにする形で直線に改められている。

三日月状で取り残された旧道の残骸にはびっしりと桜が植えられ、アスファルトを除去し芝生が植えられたそこは、ちょっとした御花見会場と化している。一の原ポンプ場と斜めに対峙する桜並木の広場が、かつて一体を成す生命線であった時代から、既に三十余年が経過していると銘板は語る。

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◆橋台が落とされて久しいかつての本線旧一の原橋

一の原橋の竣工は昭和59年3月、二の原橋は一年遅れの昭和60年3月と、連続する三本の橋は同年代に一斉に付け替えられた事が分かる。どれも短命に終わり消え去ったが、三の原橋だけが林道へのアプローチとして奇跡的に生き永らえた。

加茂市街地の玄関口たる一の原橋を渡ると、終点はもう目と鼻の先にある。長らく続いた旅痔も終着駅へと滑り込むのみ。ところがそうは問屋が卸さない。ツァーリボンバ級の爆弾発言によって、これまで培った僕等の概念は完全に破壊される事になる。

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