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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>畑ヶ鳴峠 |
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畑ヶ鳴峠(17) ★★★ |
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畑ヶ鳴峠(はたごなるとうげ)の取扱説明書 世の中には地図に刷られている峠名と現地に掲げられている峠名がマッチングしない案件が存在する。国道484号線の畑ヶ鳴峠もその一つだ。ひとつの峠に複数の呼称があるのは然程珍しい訳ではない。峠の前後左右で名称が異なるのは何等不自然ではないし、どれが間違っていてどれが正しいとも言い切れない。世に出回っている地図の原本となる国土地理院の地形図は、2018年現在山の神峠と謳っている。その為市販の地図はそれに従い山の神と刷り込んである。現場は取るに足らない平易な峠で、未来永劫歴史の道踏査報告書で取り扱う日は来ないであろう、そう思い込んでいた、つい最近までは。ところが無視する訳にはいかない驚愕の事実に直面する。全ては知る人ぞ知る秘境カフェ「ナップビレッジ」に始まる。ここに立ち寄ったが最後、単なる峠越えに終始しないコアな世界へと引き摺り込まれていく。本来は酷道として名高い畑ヶ鳴峠であるが、その殻を打ち砕くに十分な破壊力を秘めている同区の真髄を御覧頂こう。 |
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◆廃道の出口に待つ橋には昭和45年3月竣工の銘板 河平ダム下流域の日山谷川を挟んで対峙する二本の路、それが国道484号線の新旧道と知ってオラびっくらこいただ。ここに至る過程で旧道の残骸が散見されたから、旧道区の存在そのものは驚愕に値しない。びっくりポンなのは往時の標識等の付帯設備が現存していた事だ。 これまでは線形から察した間接証拠の積み重ねに過ぎず、線形頼みの検証はあくまでも考察の域を出るものではない。自信がないと言ったら嘘になる。経験則から十中八九国道の旧道に間違いないと言い切れる。ただ最後の一押しが足りない。ファイナルアンサー!と確信を持って言えない自分がいた。 |
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◆銘板の橋名により旧橋と確定すると共に旧廃道も確定 しかし断続的に現れる道路跡らしき痕跡が、旧道か否かで判断に迷うのもここまでだ。遂にそれらの遺構は自身の何たるやを声高に主張し始めた。大量の落ち葉に覆われ地の道かと思いきや、足元の全てがアスファルトが被された完全な舗装路、しかも交互通行を示唆する警笛鳴らせの道路標識。 加え河川を一跨ぎする堅牢なコンクリ橋など、どう考えても元幹線路っしょ?と疑わざるを得ない仕様の道に、これでもかというくらい強力な助っ人アイテムが出現する。標識&仮橋を捉えた廃道区間、その出口に待っていたのはコンクリ製且つガードレールの欄干を持つ永久橋であった。 |
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◆旧三の原橋の前後に現存する県道時代のデリネーター そこに埋め込まれた銘板には、これ以上の能書きが不要なほどの明明白白な文字が躍っている。三の原橋、それは現国道484号線の河平ダム直下に跨る二車線幅の現役橋梁名に重なる。 日山谷川に架かる二つの三の原橋 姿形は異なれど同名の橋が前後して架かるイリュージョン。その銘板には昭和45年3月竣工とある。橋の構造はこれまでに捉えた橋梁群と遜色ない造りで、いかにも昭和30〜40年代にかけて架橋されたシンプルな体をしている。イレギュラーなのは往時の痕跡を色濃く留めている点だ。 |
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◆普通車同士の離合を許す潤沢な仕様の旧三の原橋 他の橋梁は大なり小なり路線変更時に欄干が外されるとか、一部が埋没もしくは意図的に取り壊されるなどして、何等かの改変が行われているが、ここ三の原橋はほぼほぼ当時の状況をキープしている。その出入口にはデリネーターのオマケ付きで、元県道ですが何か?と自身の履歴を包み隠さず主張する。 そう、この三の原橋こそが昭和45年〜同58年まで供用された先代の橋であると共に、仮橋区を含む廃道区間が現国道に対する旧道、即ち元畑ヶ鳴峠越えの幹線路という訳だ。 謎の併走路=峠道の旧廃路 |
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◆旧三の原橋の直後に待つ杉木立の裏手を伝う旧道筋 僅か13年の短命に終わった三の原橋。その原因は橋梁の耐久性云々ではなく、当時県道であった峠道を国道に昇華させる為の手段として半ば強引に付け替えられた。期成会が国道昇格を国に働きかけるに当り、既成事実として二車線の快走路の確保は必至であり絶対要件であった。 通常の使用であれば平成になっても余裕で持ち堪えられたであろう。現に令和になっても尚そこに踏み止まっている。国道誘致という政治的な力が働かなければ、三の原橋は今も現役を張っていた可能性は否定出来ない。後発だけあって橋幅は普通車同士の離合を許す仕様にある。 |
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◆瓦礫置き場になっているが実態は二車線幅を有す旧道 三の原橋は規格で他の橋梁群に比し頭一つ抜きん出ている。連続する杉木立を挟んで併走する旧道区も二車線幅を有しており、新道筋への切替以前から旧三の原橋の前後が、狭隘山道にしては割と潤沢な仕様にあった点が窺える。新橋の成立と引き換えに旧橋は落とされても不思議ではない。 しかし三の原橋は供用開始から十余年と日が浅く、予後良好につき敢えて取り壊す必要がない。施工不良でもない限り取り壊す意義は見出せないし、解体費用が高く付くという予算的な理由もあろう。兎にも角にも三の原橋は昭和・平成・令和の三つの時代を駆け抜け、只今絶賛記録更新中である。 |
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◆西日本豪雨の影響で大幅な造成が成された杉並木区 先に言ってしまうがもしも三の原橋が落とされていたならば、当報告書はぼんやりとした抽象的なものになっていたかも知れない。仮説考察の積み重ねや間接証拠等である程度までは持って行ける。しかし未確定である点は否めない。 そこに現れた新旧三の原橋は救世主と言っても過言ではない。旧廃道じゃねーの?と旧廃道だった!では豪い違いだ。ここではっきりさせておこう。峠道の左右に散見される路は、いずれも例外なく国道484号線の旧廃道に他ならない。 畑ヶ鳴峠18へ進む 畑ヶ鳴峠16へ戻る |