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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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畑ヶ鳴峠(16) ★★★ |
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畑ヶ鳴峠(はたごなるとうげ)の取扱説明書 世の中には地図に刷られている峠名と現地に掲げられている峠名がマッチングしない案件が存在する。国道484号線の畑ヶ鳴峠もその一つだ。ひとつの峠に複数の呼称があるのは然程珍しい訳ではない。峠の前後左右で名称が異なるのは何等不自然ではないし、どれが間違っていてどれが正しいとも言い切れない。世に出回っている地図の原本となる国土地理院の地形図は、2018年現在山の神峠と謳っている。その為市販の地図はそれに従い山の神と刷り込んである。現場は取るに足らない平易な峠で、未来永劫歴史の道踏査報告書で取り扱う日は来ないであろう、そう思い込んでいた、つい最近までは。ところが無視する訳にはいかない驚愕の事実に直面する。全ては知る人ぞ知る秘境カフェ「ナップビレッジ」に始まる。ここに立ち寄ったが最後、単なる峠越えに終始しないコアな世界へと引き摺り込まれていく。本来は酷道として名高い畑ヶ鳴峠であるが、その殻を打ち砕くに十分な破壊力を秘めている同区の真髄を御覧頂こう。 |
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◆昭和58年8月竣工の河平ダム直下に架かる三の原橋 背後に聳える巨大人工物、それは平成16年末に竣工した比較的新しいダムである。この河平ダムは平成6年に着工し、10年ちょいの歳月を要し完成したと碑文にある。直接的な契機は昭和47年7月の断続豪雨で、この時下流域の浸水家屋三十戸との記録がある。 その後も昭和後期・平成と度重なる水害で、ダム建設の機運が徐々に高まり、平成3年遂に予備調査が開始される。同6年には本格着工と相成り、平成28年に日の目を見た。国道沿いの古野谷とダムの日山谷とが交わる合流地点に、二車線幅の橋が架かる。銘板には三の原橋とある。 |
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◆橋の手前に川を跨がずに左岸を伝う藪道を捉える この三の原橋には昭和58年8月竣工の文字が躍る。二車線幅の質量共に近代的な橋梁は、河平ダムの建設話が持ち上がる以前に供用を開始している。現場には旧橋らしき痕跡は見当たらない。その代わりと言っては何だが、橋の手前に枯れ草に覆われた廃道らしきものが視界に飛び込んでくる。 僕は直感的にその道路跡らしき平坦路を、ダム建設用の作業路と睨んだ。というのもダム直下の公園並びにその堰堤へと続くダム関連道路と藪道は、現国道を挟んで対を成す線形にあるからだ。藪道とダム関連道路は現国道とX状で交わる一本道、即ち同一路線であった可能性が大だ。 |
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◆大量の落ち葉の隙間に見え隠れするアスファルトの路面 ダム工事が終わって用無しとなりポイ捨てされた哀れな作業道、僕の目にはそんな風に映った。ところがだ、ダムの記念碑及び橋の銘板が僕の早計な解釈に待ったをかける。河平ダムの本格着工は平成6年で、3年前の予備調査の時点に於いても、三の原橋は既に供用されていた事になる。 つまり日に何十台何百台と往来するダム建設関連車両は、二車線化が完了した現国道筋を通行していたのだ。確かにいくら交通量が少ない山岳道路とはいえ、大規模公共事業に相互通行が叶わぬ1.5車線路では心許無い。となるとこの枯葉に覆い尽くされた対岸の路は一体全体何なのか? |
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◆土砂に埋もれていた道路標識をレスキューし緊急建立 出た〜! 正直鳥肌が立った。どうやら僕は見てはいけないものを見てしまったようだ。何故ならこの標識は何十年と堆積した枯葉の山に埋もれ、長らく封印されていたからだ。本来は誰にも気付かれずに、そのまま鉄粉と化し地中に吸収される運命にあった。図らずもそれを僕が阻止した格好だ。遂に捉えた旧道を示す物的証拠に、興奮を抑えられない自分がいた。 |
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◆行く手に待つ仮橋を注意喚起する看板も掘り起こす 線形から観てダム関連道路と対を成すであろうこの藪道の正体、それは古来畑ヶ鳴峠を越えて福渡と加茂とを結ぶ唯一にして無二の要路、即ち国道484号線そのものと思って差し支えない。この道が昭和の晩年まで現役を張ったのだ。 国道484号線旧道の真打現る 国道と共に下ってきた古野谷川は、ダム直下で一級河川の日山谷川へと吸収される。二つの河川がぶつかった直後に、三の原橋が架かる現在の姿とは大きく異なり、昭和の晩年まで峠道は日山谷川を跨がずに左岸を伝っていたのだ。 |
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◆大量の石が堆積し河原状と化したかつての仮橋跡 仮橋の為注意をお願いします 埋没していたのは標識だけに止まらない。架設橋に対し注意喚起を促す看板も土砂の下敷きになっていた。すっかり錆び付いて全文を解読出来ないが、かつてこの旧道区に仮橋が設けられていたのは確かだ。 現場には夥しい量の土砂が堆積し、すっかり洗い流された路面は河原状と化して久しい。大小様々な石が吐き出された凹凸の激しい路面は、今やオフ車か四駆でないと乗り越えられないハードな仕様になっている。 |
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◆仮橋跡を跨いた直後に待つコンクリ製の欄干付き旧橋 好むと好まざるとに関わらずかつては誰もがこの道の通行を余儀なくされた。昭和50年代に対岸の新道が徐々に輪郭を現すも、路線切替のその日まで旧来の路は仮橋で凌いだ。その証拠に仮橋跡の前後はきっちりと舗装されている。 未舗装の藪道にしか見えなかった廃路、その足元はまたしてもアスファルトに覆われていた。昭和58年まで現役であるから当然とも言えるが、現場の荒れ具合からして足元が旧態依然とした砂利敷きの路でない現実に驚きを隠せない。 畑ヶ鳴峠17へ進む 畑ヶ鳴峠15へ戻る |