教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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畑ヶ鳴峠(11)

★★★

畑ヶ鳴峠(はたごなるとうげ)の取扱説明書

世の中には地図に刷られている峠名と現地に掲げられている峠名がマッチングしない案件が存在する。国道484号線の畑ヶ鳴峠もその一つだ。ひとつの峠に複数の呼称があるのは然程珍しい訳ではない。峠の前後左右で名称が異なるのは何等不自然ではないし、どれが間違っていてどれが正しいとも言い切れない。世に出回っている地図の原本となる国土地理院の地形図は、2018年現在山の神峠と謳っている。その為市販の地図はそれに従い山の神と刷り込んである。現場は取るに足らない平易な峠で、未来永劫歴史の道踏査報告書で取り扱う日は来ないであろう、そう思い込んでいた、つい最近までは。ところが無視する訳にはいかない驚愕の事実に直面する。全ては知る人ぞ知る秘境カフェ「ナップビレッジ」に始まる。ここに立ち寄ったが最後、単なる峠越えに終始しないコアな世界へと引き摺り込まれていく。本来は酷道として名高い畑ヶ鳴峠であるが、その殻を打ち砕くに十分な破壊力を秘めている同区の真髄を御覧頂こう。

 

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◆峠直前の進行方向左手に辛うじて崩壊を免れる廃屋

ナップビレッジは元小学校だった!

僕にとって庭の如し慣れ親しんだこの界隈に於いて、雲上の小学校という紛れもない事実には正直度肝を抜かれた。そりゃそうだ、日常的に行き来する生活臭ゼロの山岳路線が、まさかまさかの生活道路であったというのだから。

ナップビレッジは元小学校ですた。ハイ、そうですか分かりましたと直ちに消化出来るはずもなく、僕はこのギャップを解消せんとこれまで以上に周囲に目を配った。すると早速それらしき物体を進行方向左手に捉えた。

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◆峠直前の進行方向右手に元住居跡らしき更地を捉える

半壊に等しい朽ち方で風前の灯ではあるが、辛うじて原形を留めているそれは、紛れもない住宅の跡であった。何故人家と断定出来るのか?それは冷蔵庫や洗濯機やテレビ等の生活に直結する家電製品が、建物の内外に散乱しているからだ。主を失ってどれくらい経つであろうか?

20年か30年か、或いはもっと前に営みは途絶えているかも知れない。しかしながらこの辺に人が暮らしていたのは確実で、全くの無人エリアでない事だけは理解した。ただ小学校があるとなるとポツンと一軒家では不成立で、周辺に何軒かの家々もしくはその痕跡が認められなければ不自然だ。

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◆切り通しの直上にも主を失って久しい廃屋を捉える

僕は更に周囲に目を凝らした。すると木々の隙間にもう一軒の廃屋を捉えた。そこにも生活家電やら農機具等が無造作に置かれ、かつてそこに人が暮らしていたのだと訴える。庭と思われる更地には所々に直径10cm大の若木が陣取り、元来の鬱蒼とした森に還ろうとしている。

木々のカーテンに遮られる夏場であれば、その存在に気付かなかった可能性が大で、また興味が無ければ素通りしてしまう点を踏まえれば、無人エリアという思い込みも相俟って、今日の今日まで峠の廃屋群に無頓着であったのも頷ける。畑ヶ鳴は無人地帯などではない。

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◆畑ヶ鳴峠の案内板では20軒ほどの人家が認められる

事実峠に設置された案内図には、周辺に20を超える人家が描かれており、峠付近に的を絞っても5軒ほどが点在するようだ。それらが廃屋を除く現存する家々と仮定した場合、峠付近はかつてそれなりの人口密度を誇っていたと推察される。となると峠付近に小学校があったとしても何等不思議ではない。

確かに福渡の最終集落から市町界に至る過程に、廃屋もその痕跡らしきものも一切認められない。畑ヶ鳴地区が下界との接点を持たない隔絶した世界であるのは間違いない。しかしながらこの天上界にそれなりの集落が存在したのは紛れもない事実で、小学校が成立する条件は満たしている。

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◆峠より単車で僅か数秒の地点にまともな古民家を捉える

僕は案内図に従って峠付近の散策を試みた。すると単車で数秒の至近距離に人の気配が認められるまともな古民家を捉えた。この感触なら周囲を隈なく散策すれば、それなりの数の住居が把握出来るに違いない。それも古来この地に根付く円城小学校加茂分校の卒業生に辿り着けるやも知れぬ。

案内板によると峠界隈は御所地区というらしい。かなり広範囲を圧縮した地図であるから、実際に峠の半径1km以内に点在する人家は5軒前後かも知れない。碑文によると分校の廃止は平成3年となっている。平成になっても尚畑ヶ鳴峠の分校に通う生徒がいた事に驚きを禁じ得ない。

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◆切り通しと巨大な橋桁がミスマッチの畑ヶ鳴峠

加茂分校の最後の卒業生でも現役バリバリの子育て世代であろうから、それ以上の年配者であれば峠の分校時代をリアルに語れるはず。当初は畑ヶ鳴地区にたった一軒のみと思われ悲壮感すら漂っていたが、今や現存する家屋は五軒前後に拡大したのだ。これを光明が差したと言わずに何と言おうか。

僕等はこの峠の事をまだ何も知らない。何せ国道と広域農道が十字で交わる頂上付近に、かつて学校があったという事実を掴んだに過ぎないのだ。沿道に人家が認められないのを理由に、半ば盲目的な踏査に終始しそうな勢いであったが、どうやら道路の亀様はそれを許さないらしい。

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◆広域農道との連絡路がT字状でぶつかる頂上付近

畑ヶ鳴峠は国道484号線上でも特に酷い道として知名度はそれなりに誇るが、それは市民が持つ一般的な国道の概念を超越する有り得ない道程という特異性に焦点を当て、そのギャップに萌えた人々に注目されているに過ぎない。

生活感のまるでない山岳道路は、確かに狭隘路がクローズアップされて然るべきだが、そいつを補って余りある小学校の存在により俄然面白味を増した畑ヶ鳴峠区は、更なる迷宮へと我々を誘う。この時の僕はまだ次の展開を予見出来ずにいた。

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