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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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畑ヶ鳴峠(7) ★★★ |
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畑ヶ鳴峠(はたごなるとうげ)の取扱説明書 世の中には地図に刷られている峠名と現地に掲げられている峠名がマッチングしない案件が存在する。国道484号線の畑ヶ鳴峠もその一つだ。ひとつの峠に複数の呼称があるのは然程珍しい訳ではない。峠の前後左右で名称が異なるのは何等不自然ではないし、どれが間違っていてどれが正しいとも言い切れない。世に出回っている地図の原本となる国土地理院の地形図は、2018年現在山の神峠と謳っている。その為市販の地図はそれに従い山の神と刷り込んである。現場は取るに足らない平易な峠で、未来永劫歴史の道踏査報告書で取り扱う日は来ないであろう、そう思い込んでいた、つい最近までは。ところが無視する訳にはいかない驚愕の事実に直面する。全ては知る人ぞ知る秘境カフェ「ナップビレッジ」に始まる。ここに立ち寄ったが最後、単なる峠越えに終始しないコアな世界へと引き摺り込まれていく。本来は酷道として名高い畑ヶ鳴峠であるが、その殻を打ち砕くに十分な破壊力を秘めている同区の真髄を御覧頂こう。 |
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◆ほぼ二車線規格で架設された昭和38年竣工の物見橋 昭和38年と言えば、東京オリンピックが開催される前年にあたる。あの頃の高揚感を僕は知らない。ただアジア初の五輪開催というものが、どれほどの熱気に包まれていたであろうかくらいは容易に想像が付く。先の戦争で国民のほぼ全てが大なり小なり心身に傷を負っている。 昨日まで鬼畜米英を連呼していた先生が、今では平気な顔をして英語を教えている。最早何を信じていいのか分からない国民に、「つまずいたっていいじゃない、人間だもの」と相田みつおは言うけれど、疲弊した一般市民は戦争の後遺症に苦しみ喘いでいた。 |
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◆欄干がガードレールという異質な昭和48年竣工の善木橋 中でも後回しにされていた道路の復旧は遅れに遅れ、戦時中から放置されていた道路改修は遅々として進まなかった。その事は昭和31年に発表されたワトキンスレポートでも明らかなように、当時の日本の道路事情は極めて劣悪で、幹線路のほぼ全てが狭い砂利道という列島総酷道状態にあった。 国家として長きに亘り鉄道優位政策を採ってきたツケが廻ってきた格好で、特に道路頼みの鉄道空白エリアの流通は、慢性的に滞っているに等しい悲惨さであった。この現状を嘆いたワトキンス調査団は、道路建設費用を当初予算の3倍にするよう日本政府に働きかけた。 |
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◆橋梁とは気付き難い昭和48年竣工の長尾尻橋 その甲斐あってかGDPの0.7%程度であった道路予算が、ワトキンスの提言後には2%へと拡大され、以後同程度の予算が維持される事となる。結果日本の道路は昭和30年代に急速に良化し、同44年に再来日したワトキンスは、道路状況の変貌ぶりに驚愕する。 拡大解釈をすれば善木下橋及び物見橋は、共にワトキンスの恩恵に授かっていると言っても過言ではない。それまで騙し騙し供用されていた木造橋が、粗悪なコンクリートとはいえ永久橋に付け替えられた意義は計り知れない。もう腐食を懸念する事も、大雨の度に流される心配も無いのだ。 |
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◆進行方向右手側面に長尺の石垣を捉える 昭和37年の暮れに念願の首都高が開通し、同38年夏には名神高速道路の開通で100km/h巡航が可能となり、同39年には夢の高速鉄道新幹線開業と、戦前とは一線を画した新交通システムが立て続けに産声を上げ、来たる東京五輪を大いに盛り上げたのは言うまでもない。 最早戦後ではない、このフレーズはこの時に発するべきだったと思うのは僕だけではあるまい。昭和31年を以て日本の道路事情は大転換を遂げる事となる。しかし改修はあくまでも我が国を取り巻く大動脈から始まるのであって、地方の地方まで順番が巡ってくるには、それ相応のタイムラグがある。 |
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◆平成30年現在も国道を擁護する年代物の石垣 見てくれ、この見事な石垣の法面を。かつてこの山道の大部分を擁護していたと思われる年代物の側壁が、そっくりそのままの形で現存する珍しい区間である。それも二車線に拡幅した工区であるから、併走する小玉川の一部に迫り出す形で拡張されたであろう事は間違いない。 山側を削るプランも検討されたではあろうが、結果的に石垣温存工法となった事で、平成最後の年に於いても迫力ある往時の造形美を惜しげもなく曝け出している。この決断を下した当時の指揮官には無条件に拍手を送りたい。この石積みの壁を意識したが最後、誰もが舗装路とのギャップに萌えるだろう。 |
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◆石垣と二車線快走路とのギャップが堪らない 少なくとも昭和年間は四輪同士の擦れ違いも厳しい狭隘区で、昭和50年頃まで当山道は砂利道であった可能性が大だ。この道にワトキンスの意図が反映されるには、凡そ20年近くの歳月が流れていると考えていい。都会がアスファルトを謳歌している頃、ここは戦前由来の劣悪な環境のままであった。 センターラインが敷かれる二車線化が果たされた今でこそ、涼しい顔をして通り過ぎる現代車両の姿が良く似合う。しかし一昔前はT型フォードというよりも、荷車の往来が嵌まりそうな悲壮感漂う断崖の狭隘路で、無人地帯が長らく続くこの路線が、東京五輪の熱狂と無縁である点は今も昔も変わらない。 |
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◆渓谷美を堪能しつつ緑の回廊を潜り抜ける 敗戦からの復興を国の内外に知らしめた半世紀前の五輪と、震災からの復興をアピールする一大イベントとなるであろう2020東京五輪。だがその盛り上がりぶりとは対照的に、ここはいつも通り川のせせらぎと小鳥の囀りだけが響き渡る異空間にある。 動的なものは皆無で額縁を用意すればまるで絵画のようだが、この被写体は紛れもない道路にして現役路線、しかも国家がお墨付きを与えた選ばれし特別な路線である。しかし生活臭は全く感じられず特別感はまるで無い。 畑ヶ鳴峠8へ進む 畑ヶ鳴峠6へ戻る |