教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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畑ヶ鳴峠(4)

★★★

畑ヶ鳴峠(はたごなるとうげ)の取扱説明書

世の中には地図に刷られている峠名と現地に掲げられている峠名がマッチングしない案件が存在する。国道484号線の畑ヶ鳴峠もその一つだ。ひとつの峠に複数の呼称があるのは然程珍しい訳ではない。峠の前後左右で名称が異なるのは何等不自然ではないし、どれが間違っていてどれが正しいとも言い切れない。世に出回っている地図の原本となる国土地理院の地形図は、2018年現在山の神峠と謳っている。その為市販の地図はそれに従い山の神と刷り込んである。現場は取るに足らない平易な峠で、未来永劫歴史の道踏査報告書で取り扱う日は来ないであろう、そう思い込んでいた、つい最近までは。ところが無視する訳にはいかない驚愕の事実に直面する。全ては知る人ぞ知る秘境カフェ「ナップビレッジ」に始まる。ここに立ち寄ったが最後、単なる峠越えに終始しないコアな世界へと引き摺り込まれていく。本来は酷道として名高い畑ヶ鳴峠であるが、その殻を打ち砕くに十分な破壊力を秘めている同区の真髄を御覧頂こう。

 

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◆青の洞門を彷彿とさせる断崖絶壁すれすれを行く国道

廃れ行く国道53号線沿線とは対照的に、当分の間は安泰が約束された感のある国道484号線。だがそれは大宮橋界隈という極々短い区間に限られる。大宮橋と津山線の踏切までの直線区間に、資金力に富む運営好調な企業が集まる風景は、まるで公官庁が主導した特区の如しだ。

コンパクトシティが提唱されて久しい昨今、R53沿いに点在するコンビニ等々が出店しては潰れを繰り返し、なかなか定着出来ずに喘ぐ渦中にあって、大宮橋界隈の一極集中は長期的に観ればみれば不確定要素が多いものの、短期的には明らかな成功事例として捉えていい。

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◆使用頻度では国道の大宮橋を上回る市道の八幡橋

事実、建部のマルナカ&ザグザグはこの界隈の住人に不可欠な店舗としてすっかり定着し、岡山や津山へ買い出しに行かねば生活もままならない従来の呪縛を完全に解き放った。両者は共にイオン傘下にある事から、必要最低限の日用品がいつでも入手可能な利便性をこの地域に齎した。

楽天やアマゾンが市民権を得た事により、全国津々浦々の買い物格差は解消されつつある。だが実物を手に取り品定めする行為は依然として課題が残る。アマゾンプライムは今日中にという迅速性を満たすが、今すぐという我が儘には流石に応えられない。そこを埋めるのがリアル店舗である。

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◆八幡橋を渡った直後に待ち受けるトレーラー不可の看板

建部は糞田舎でありながらリアルとバーチャルの美味しいどこ取りが叶う穴場で、地価が岡山市内の1/10である点を踏まれば、移住してでもこの地に居を構えない方がどうかしている。生存する上で必要なものは全て揃っているし、学校や病院にも事欠かない。だが懸念材料が無い訳ではない。

この界隈はインフラが弱い、これに尽きる。平成30年7月の西日本豪雨では、生命線たる国道53号線が通行止という憂き目に遭い、予てから懸念されていた脆弱なインフラが露呈した。国道に通ずるありとあらゆる幹線路がズタズタに破壊され、福渡・建部・金川辺りは一時陸の孤島と化した。

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◆コンクリ製も古臭さが残る昭和45年3月竣工の小玉橋

ここ国道484号線も例外ではなく、大雨警報が出ても避難そのものが不可能という窮状に陥る。早めの避難を心掛けるようにとアナウンスは連呼されるものの、般ピーがどれほどの危機感を持っているかは甚だ疑わしい。ほとんどの人は俺は大丈夫、何故か皆がそう思っているという現実がある。

岡山は災害が少ない県のひとつで、知名度の低さとは対照的に穏やかな気候と相俟って、常に移住先候補地として根強い人気がある。直近では南海トラフ地震が控えているものの、原発事故や火山噴火の影響はほとんど無いに等しく、災害列島に於いて比較的安全なエリアと言っても過言ではない。

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◆小玉橋を渡った後もしばらくは二車線の快走路が続く

そんな安全地帯ですくすく育った岡山県民は、日頃から災害への意識や備えが希薄で、うちは大丈夫という根拠無き自信が蔓延している。大災害に見舞われた経験の少ない岡山県人は、テレビを通じてしか見た事のない被災者になって初めて、あたすっ?と当事者意識の欠如に気付く者が少なくない。

国民の全てが明日は我が身と捉え、最善を尽くす行動を取るのが望ましいが、現実にはそうはならないのが悩ましい。幹線道路には災害時は通行止になりますとの但し書きがある。しかし日頃からそれを意識し、いざという時の迂回路を把握しつつ、避難訓練等を実践している人は皆無に等しい。

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◆無人の建物裏手へと回り込む一時代前の車道

古来地震とは縁遠い地域ではあるが、度々水害に悩まされてきた経緯があり、上の世代から氾濫の恐ろしさは口承されており、治水に対して無関心という訳ではない。ただ金川・建部・福渡界隈が壊滅したのは今から85年も前の昔話で、その間の堤防の整備等も相俟ってリアリティはほとんど感じられない。

あの時とは状況が違うという理屈も分からなくはない。しかし残念ながら気象状況もあの時とはまるで異なるという点が抜け落ちている。戦後必要にして十分な対策は施したであろう。しかしそれは過去に経験した水災害に対してで、今後想定される大規模災害をも許容する施策とは当然言い切れない。

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◆河川氾濫時には堤防の役割をも担う後付けの二車線路

一説には4000ミリの雨を覚悟する必要があるという。西日本豪雨では三日三晩降り続いた雨で、総雨量が1000ミリを超えた地点が存在するが、実にその4倍、地球規模の変動を加味すれば5倍の雨量を想定した施策をせねば万全とは言えない。

 現場に居合わせた当事者として言える事だが、あと1日雨が降り続いたならば、室戸・枕崎・伊勢湾の昭和の三大台風に匹敵、或いはそれらを凌駕する戦後最大級の激甚水害になった可能性を示唆しておかねばなるまい。

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