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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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若松峠(3) ★★ |
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若松峠(わかまつとうげ)の取扱説明書 若松峠、市販のどの地図を広げてもそのような名称は刷られてはいない。勿論国土地理院1/25000スケールも例外ではない。北海道の峠を網羅する三浦宏氏のリストからもその名を拾い挙げる事は出来ない。果たして若松峠なるものは実在するのだろうか?答えはYESだ、それも国道の峠である。恐らく多くの者が気付かぬうちに素通りしている。僕もその一人だった、ある古写真を見るまでは。トンネルあるとこ旧道アリ、若松峠は道路業界の原理原則を再認識させてくれる尊い存在で、日常的に行き来する道にも何がしかのエピソードが有る事を教えてくれる。また煮ても焼いても食えなさそうな雑魚も調理次第でどうにでもなる案件で、取り扱う者の腕が試されるデリケートな物件でもある。だが若松峠から目を逸らす事は出来ない。太櫓越へのトライアル的立ち位置から、道路業界に身を置く者として避けては通れない。今宵知らないようで知っている若松峠の今昔を徹底追求する。 |
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◆反転して大きく回り込み更に上を目指す山道を捉える トンネル在るとこ旧道アリの鉄則に従えば、必ずや洞門の前後にそれらしき進入路が見付かるはず。勿論初っ端の車道が隧道というならば話は別だが、鞍跨ぎの峰越えルートの存在がほぼ確実な情勢で現地入りしていた僕に迷いはなかった。一枚の古写真が峠道の存在を雄弁に語っていたのだ。 そいつは戦前の白黒写真で、やや粗めの画像には勾配のある道が映り込んでいる。御当地の日常を映した平易な写真は、峠道そのものに照準を合わせているという訳ではなく、一発で車道だとはっきりと認識出来る訳ではない。但し短いながらも掲載されている地元民のコメントが全てを物語っていた。 |
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◆一般車両も往来可能な良好な整備状況の山道 軍隊が大砲を通すのに苦労 大砲を通す、果たして尋常でない重量の大砲を古来の人畜道で移動せしめるか否かを考えた時、可能性としては十分有り得ると答える者がいたとしたら、僕は声を大にしてこう言いたい。 違うだろー、このハゲ〜! 幾らパーツを細かく分解したとしても、鉄の塊を人畜のみで担いで長距離を移動するのはナンセンスだ。固定式を除き中世ヨーロッパの大砲は車輪を用いている。 |
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◆離合箇所も兼ねる曲率半径30mのヘアピンカーブ 超の付く重量物を動かすには車輪は不可欠、そんな事は500年も前から分かりきっている至極当然の話だ。大砲を移動するにはそれなりの道路が無ければ成立し得ない。そのロジックからすれば軍が大砲を通すのに苦労したというのは、車道の存立が明確且つ大前提という解釈に落ち着く。 苦労とは車輪付きの大砲を前方より引き揚げ、また後方より押し上げる事を意味する。人力のみならず馬の鼻曳きも用いたであろう事は容易に想像が付く。その様子はあくまでも転がり抵抗の凄まじさを示すのであって、砲兵部隊の怪力ぶりを誇示するものではない。 |
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◆眼下に現代の国道を見据えながら併走する新旧道 人畜に因るあらん限りの力を発揮し、前曳き&後押しによる力任せの峠越えだ。そこに在るのは明治黎明期にみる人畜のみ有効の狭小路などではない。下手こくと自動車が疾走してもおかしくはない有効幅2m超えの真っ当な車道で、もっと言ってしまえば現代にも通じる自動車道に他ならない。 事実、僕が捉えた山道はプリウスの進入をも許す極上のフラットダートで、自動車道は言い過ぎでも馬車道としては及第点の文句無しの出来にある。ゲートがあるので物理的に一般車両の侵入は叶わない。しかし道路状況は全く以て見事ととしか言い様がない好環境で、覆し様のない真っ当な車道に映る。 |
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◆道中では一部に待避所らしき膨らみを捉える 例え好奇心に任せ初心者が進入したとしても、おっかなびっくり手探りで進むというレベルではなく、このまま軽快に上り詰めれば山頂に行けるんちゃうん?みたいな感じで、ひょいひょいと足を伸ばせる余裕の整備状況にある。従ってパッと見は未舗装の一般林道にしか見えない。 常時ゲートが解放されているならば、ジムニーや軽トラが散策がてら気軽に入ってきてもおかしくない心地良い砂利道が待つ。それはそれで周辺住民のレクリエーションの一環として役に立つのだから存続意義もあるというものだ。いずれにしても当山道は今日現在必要最低限の整備が成されている。 |
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◆前後する太櫓越に比しやや勾配がきつい印象がある その昔から有ったのか無かったのかは定かでないが、道中では待避所らしき膨らみを捉え、車両同士の擦れ違いが辛うじて叶う仕様にある。またヘアピンコーナーを利した交換箇所も認められ、それなりの往来があっても捌けるような印象を受ける。勿論現在の交通量では許容範囲を超えている為対応不可だ。 あくまでもこの道が現役であった時分の話である。トンネルの銘板を額面通り受け取れば、当山道は昭和48年まで現役を張っていた事になる。連続する太櫓越の峰越えルートが昭和50年代前半まで稼働していた事実を踏まえれば、同40年代後半まで若松越が鞍跨ぎの山道であったとしても何等不思議でない。 |
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◆見通しの利く直線もエンジンが悲鳴を上げる急勾配 ただ僕の経験値から言わせてもらえば若松峠の勾配はきつく、一般道として供用するにはやや無理があるように思う。四輪にとって同一路線上にある太櫓越に比し、若松越は明らかに厳しい道程となっている。 それは大型バスが越せるか否かで判断出来よう。太櫓越は晩年に箱バスが越えていたという実績がある。しかし若松峠はギリギリアウトというのが僕の見立てだ。この点に関して峠下で農家を営む古老が重大な証言を吐露する。 若松峠4へ進む 若松峠2へ戻る |