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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>廃道>北海道>静狩峠 |
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静狩峠(16) ★★★★ |
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静狩峠(しずかりとうげ)の取扱説明書 その昔、猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられた礼文華山道。その行程は長万部から豊浦にかけての気が遠くなる程の長大山道で、一般には筆頭格と目される礼文華峠のみが取り沙汰されるが、礼文華山道とは大小連なる複数の峠の総称であり、その全体像を掴むには個々の峠を丁寧に精査するしかない。それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、僕が本気で死を意識し一枚の写真も収められなかった峠がある。それが静狩峠だ。読んで字の如しサイレントハンターはトラップに嵌まり衰弱する僕を静かに見守っていた。夕刻迫る発狂寸前の渦中でふと我に返った僕は、間髪入れずに敵前逃亡を図る。あれから十余年が経ち機は熟した。あの日あの時あの瞬間の忌まわしい借りを返すと同時に、返す刀で礼文華山道の全貌を白日の下に晒す。 |
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◆明治の馬車道を彷彿とさせる前時代の拙い道路規格 あの日あの時あの場所で何があったのかは正直誰にも分からない。出役した囚人の約二割が過労死となった史実、また遺体は鉄丸と共に沿道に埋葬された事実、そして中央道路建設に携わった者達の末裔に辿り着けないという現実、それらを総合判断し我々は想像を駆使するより他ない。 中央道路完成直後の帰還命令により千人超の集団は網走集治監に向かって動き始める。だが昼夜を問わない数カ月に及ぶ激務で疲労困憊した者が、吹雪舞う氷点下の山中でまともに歩けるはずがない。彼等は軽装の上に二人三脚で縛られ、鉄丸まで引き摺らされている。 |
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◆視界前方を遮る物がない見通しの利く希少な直線区間 その上に飲まず食わずであったとすると、下山開始早々脱落者が続出したとしても何等不思議でない。集治監送りとなった者の中には旧幕派の政治犯や思想犯が少なくない。彼等は酷役に堪凌ぐ体格も無ければ、長期の重労働に耐え得る体力も持ち合わせてはいない。 アスリートや軍隊のような鍛錬とは無縁の極々普通の一般ピープルである。そんな彼等が日本の道路建設史上類を見ないスピード開削に挑んだ中央道路建設に投入された事自体がナンセンスで、その酷役に耐え抜いただけでも褒められていいし、常人にしては極めて稀な生命力と言えよう。 |
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◆有難い事に手を煩わせない浅藪区がしばらく続く 1150人が投入され215名が死亡する最悪の環境下で、日々鍛錬を積んでいる訳でもない彼等はどうにかこうにか酷使に耐え抜いた。マラソンに例えると彼等はアスリート並みのスピードで40kmを走り抜いたに等しい。マラソン未経験の般ピーが42.195kmを完走するだけでも難しい。 それを公式大会の優勝を争う先頭集団で走り切ったようなものであるから、彼等が限界ギリギリのところで凌いでいた事は想像に難くない。但し行き過ぎた過労は彼等の寿命をじわじわと確実に縮めていく。2kmちょいを猛ダッシュする事は素人でもそれほど難しくはない。 |
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◆山道全体が根曲竹の侵食が抑えられている印象 しかし40kmの長丁場を自身のキャパを超えて猛走した者にとって最後の2kmちょいは悶絶するほどに苦しい。国境の北見峠から網走集治監への帰路はマラソンのラスト2.195kmに等しい。その道中歩行困難となる者が続出するであろう事は容易に想像が付く。 また渦中では仲間を救済する余裕ある者などなく、立ち止まる者は直ちに末端の凍傷を併発する有様で、いよいよ自力ではどうにもならなくなる。大多数の者が基本的に衰弱している上に、何等かの疾患を抱えている囚人は、過労死や衰弱死に加え餓死に凍死とバタバタと倒れていく。 |
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◆緩やかな勾配だが確実に高度を下げつつある山道 その時唯でさえ遠い網走が果てしなく遠くに感じられたであろう事は間違いない。我々現代人が万全の態勢で挑んだとしても、北見峠から網走への徒歩移動ですらギブする者も出て来よう。今と違って道路はバラスさえ撒かれていない純粋な土道で、雪と混ざり合った表面は泥濘状態であったに違いない。 下手すると田んぼの中を延々と歩かされているようなもので、絶えず泥濘に足が取られ思う様に前に進まない道中では、体力の消耗が著しく次第に足が上がらなくなる。まともな靴さえ履いていない彼等は、12月の初旬という通行時分としてはギリギリアウトの状況下で軍隊以上の鍛錬を強いられている。 |
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◆鉱山のものとは明らかに異なる人工的な斜面を捉える 北見峠からはひたすら下りだろという見方もあろう。しかしそれは中央道路の実態を知らない者の戯言に過ぎない。我々は知っている、その先に待つ五号峠と連続する四号峠のW障害が、いかに高い壁として彼等の前に立ちはだかったかを。今であれば遠軽の町の灯が見える。そこで一服するという手もある。 しかし中央道路を拓いた明治24年の時点で遠軽に鉄道も無ければ市街地の影も形もない。海岸線に向かってひたすら下り続けてきた彼等に待っていたのは、僅か数か月前に自分達の手で拵えた稚拙な山岳道路であった。そこで彼等は気付く。自分達はせっせと自身の墓穴を掘っていたのだと。 |
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◆鉱山らしき場所へ近付くも道路状況に大きな変化は無い 中央道路は表向き致死率18%、発病率79%となっている。しかし五号峠を目前に控えた段階で発病率は100%、致死率に至ってはほぼ半数が遠軽手前で息絶え、これより挑む大障害を前に生への執着心さえ失いかけていたのではないか。 赤どじょうに五号峠は越せまい。恐らく四号峠に至るまでもなく一行の自然消滅が成される。政府高官はそのシミュレーションに基づき、ラッセル踏破がギリギリ可能な12月初旬に帰還命令を出し、看守の手を煩わせる事なく一行の黙殺を達成する。 静狩峠17へ進む 静狩峠15へ戻る |