教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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静狩峠(9)

★★★★

静狩峠(しずかりとうげ)の取扱説明書

その昔、猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられた礼文華山道。その行程は長万部から豊浦にかけての気が遠くなる程の長大山道で、一般には筆頭格と目される礼文華峠のみが取り沙汰されるが、礼文華山道とは大小連なる複数の峠の総称であり、その全体像を掴むには個々の峠を丁寧に精査するしかない。それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、僕が本気で死を意識し一枚の写真も収められなかった峠がある。それが静狩峠だ。読んで字の如しサイレントハンターはトラップに嵌まり衰弱する僕を静かに見守っていた。夕刻迫る発狂寸前の渦中でふと我に返った僕は、間髪入れずに敵前逃亡を図る。あれから十余年が経ち機は熟した。あの日あの時あの瞬間の忌まわしい借りを返すと同時に、返す刀で礼文華山道の全貌を白日の下に晒す。

 

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◆日当たり抜群で解放感溢れる峠の西側初の離合箇所

泰平の眠りから覚めた150年前の我が国に、新政府が大盤振る舞い出来るような潤沢な資金など無いに等しかった。それどころが諸外国からの借金によってどうにかこうにか討幕を果たした明治新政府は、御利用は計画的に!の合言葉を完全に無視した恐怖の借金大魔王と化していた。

当然国直轄事業などそうそう出来るはずもなく、かといって民もいつまでも手を拱いていた訳ではない。先鞭を付けたのは全国津々浦々の資産家や大地主で、彼等の私財を投げ打っての先行投資に、御上は単にゴーサインを出したに過ぎない。或いは黙認という形で道路整備事業が民間主導で履行された。

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◆西側初の待避所の木々の隙間に垣間見える静狩平野

その際富裕層が地域住民を雇用する富の再配分という形であればまだマシで、囚人を雀の涙程度の低賃金で使役し、シベリア抑留と同等かそれ以上の不当な重労働を課す行為は、借金漬けで首が回らなくなった新政府の苦肉の策で、我が国の道路史に遺恨を遺した事実は我々の記憶に新しい。

一緒に網走へ帰ろう!完工間近の中央道路で精根尽きた囚人に対し放った看守の一言は、そう遠くない将来北野武監督作品として日の目を見て、涙なくしては観られない壮絶悲話として後世に語り継がれるだろう。勿論アカデミー賞ではスタンディングオベーション必至である。

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◆難所越えのドライバーが安堵したであろう着地点の様子

聖地巡礼で数多の外国人が網走へ押し掛け、PPAP・ポケモンGOと並び世界のアバシリとして認知される事になるが、北見峠を筆頭とする中央道路の惨劇は、あくまでも囚人道路の一端を垣間見たに過ぎない。中央道路は犠牲者の数が突出していたが為に、囚人道路=中央道路という図式が定着した。

しかし囚人が駆り出された道路建設は中央道路だけに留まらない。いつしか刑務所の内外を問わず過重労働の実態が詳らかとなり、政府は明治27年末を以て囚人の強制労働を中止している。世論に押される形で集治監そのものの廃止が余儀なくされたのだ。

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◆廃道らしからぬハイキングコースの様な快適な路が続く

明治19年に北海道庁に移管された集治監の目的は、北の大地の防衛並びに開拓及び労役後の定住にあった。生かさず殺さず低賃金で重労働を課す政府の目論見は、今日の幹線道路の礎を築いた点一つ取っても、一定の成果が得られたであろう事は間違いない。

世論の圧力に屈する形で明治27年末に強制労働の歴史にピリオドを打つ誤算とはなったものの、凡そ9年に亘る囚人達の事実上の無償奉仕活動は、北海道の発展に欠かせぬ極めて重要な役割を果たした。そのような稀有な労働力を金欠政府が容易く手放すとは到底思えない。

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◆視界を遮るものがなく道跡が鮮明な貴重な区間

明治28年に集治監は北海道庁から内務省へと移管され、道庁時代の惨劇は過去のものとなった。確かに明治28年以降に建設された道路で、あの悪名高き中央道路を凌ぐ進捗状況で建設された路線は見当たらない。明治28年以降では・・・。

僕が完踏を目論む礼文華山道、その初代車道の完成は奇しくも明治27年ときている。世論に押され気味の時の政権が駆け込み需要の突貫工事で、不可能と言われた礼文華山道の開削に挑んだとしても何等不思議でない。

礼文華山道=囚人道路!?

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◆待避所を兼ねた砂利が撒かれている支線との三叉路

これはあくまでも可能性の一つに過ぎない。礼文華山道の竣工がたまたま囚人使役トライアル期間の最終段階に重なったという見方も出来る。トライアルと表したのには訳がある。明治28年以降は囚人に代わってタコがその役割を担う事になるからだ。囚人⇒タコと続く低賃金労働の負の連鎖である。

礼文華山道を語る上で外す事の出来ない本願寺道路、総延長103kmに及ぶ長大路線の敷設事業の最大の担い手も、低賃金で雇えるアイヌであったという事実は無視出来ない。また現代に於いても発展途上国の安い労働力を利して、先進国が潤っているという看過出来ない現実がある。

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◆再び閉ざされし樹海の懐へと潜り込む一車線の山道

いつの時代も格差を利用した詐取が公然と繰り返されている。ほとんど無償奉仕に近く、且つ半強制的に自在に操れる囚人を、開削不可能と言われた蝦夷三大難所のひとつに投入しない手はない。

集治監に収容される連中は極刑を免れない極悪人である。例え開墾の途中で野垂れ死んだとしても誰も文句など言うまい。トライアル終盤という時代背景を踏まえれば、この難攻不落の牙城に囚人を投入しない方がどうかしている。

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