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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>廃道>北海道>静狩峠 |
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静狩峠(6) ★★★★ |
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静狩峠(しずかりとうげ)の取扱説明書 その昔、猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられた礼文華山道。その行程は長万部から豊浦にかけての気が遠くなる程の長大山道で、一般には筆頭格と目される礼文華峠のみが取り沙汰されるが、礼文華山道とは大小連なる複数の峠の総称であり、その全体像を掴むには個々の峠を丁寧に精査するしかない。それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、僕が本気で死を意識し一枚の写真も収められなかった峠がある。それが静狩峠だ。読んで字の如しサイレントハンターはトラップに嵌まり衰弱する僕を静かに見守っていた。夕刻迫る発狂寸前の渦中でふと我に返った僕は、間髪入れずに敵前逃亡を図る。あれから十余年が経ち機は熟した。あの日あの時あの瞬間の忌まわしい借りを返すと同時に、返す刀で礼文華山道の全貌を白日の下に晒す。 |
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◆低山の稜線を目前にして山道は右90度に舵を切る 完全踏破への足掛かりとして事前に行った静狩駅周辺の聞き込みでは、残念ながら完踏に繋がる有力な情報は何一つ得られなかった。今は行けない通れないの繰り返しで、ネガティブな情報のオンパレードだ。ただ幼少時から山には近付くなと言われていたとの証言が得られた。 聞き取りに応じてくれたジジババは80前後の高齢で、幼少の頃とは戦前から戦中時を指す。その時分の室蘭へ通じる山道は明治の車道化を経て、大正・昭和初期の部分改修を含めそれなりの体裁を保っていたと察っせられるが、彼等の証言はそれを覆して余りあるインパクトを持っていた。 |
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◆樹海の真只中に居る様だが走行音は絶えず漏れ届く 山には近付くな 当時の大人達が子供達を山道に近付けさせなかった意図は何なのであろうか?そう考えたとき、幾つかの動機が浮かび上がる。いの一番に出てくるのは、国境線という概念である。現在の北の大地は北海道なる一つの行政区域になっている。 しかし県単位でみた場合管轄の範囲は余りにも広く、他県と比した場合面積的に振興局を一つの県と見做すのが妥当で、事ある毎にそういった議論がなされてきたが、今尚北海道は日本最大の広域且つ包括的地方公共団体として君臨している。 |
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◆在来国道のノイズから静狩隧道の真上付近を通過 少し前まで支庁が、現在は総合振興局並びに振興局が出先機関として巨大組織の母体運営に寄与するが、明治初期まではそれらがひとつの国として成立していたという事実がある。礼文華山道に関連するのは渡島国・後志国・胆振国の三国で、それらは現在の振興局とは区画が多少異なる。 支庁時代及び振興局時代共に静狩は渡島地方に編入されているが、律令時代は胆振国の管轄下にあった。礼文華山道に連なる他の峠が有史来胆振に属しているのに対し、静狩峠のみが胆振⇒渡島という変遷を辿っている。それひとつとっても行政区画の策定に翻弄されている感が否めない。 |
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◆木々の隙間から光が漏れ届き山頂が近い事を示唆する 更に国境を強く意識せざるを得ない由々しき現実がある。それが後志国の存在だ。現在の地図を開いて見れば一目瞭然であるが、国道37号線の僅かな区間が後志総合振興局の管内になっており、事実国道沿いには黒松内町のカントリーサインが高々と表示されている。 高速走行で走り抜ける現在の国道では一瞬の出来事で、気付かずに通り過ぎるドライバーも多々いると思われるが、静狩峠⇔礼文華峠間の僅か5km弱の区間のみ後志管内に足を踏み入れているという現実がある。そんなん知らんし関係ねーわ!と叫んだところでその事実は覆らない。 |
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◆木々の隙間に真の稜線を捉える最終コーナー 現在の旅行者は県を跨ぐ跨がないレベルでざわつく程度であるが、その昔は国境を越えるという行為は容易い事ではなかった。関所を通過するには身分に応じた証明書の提示が必須で、通行料を徴収される厄介且つ面倒なシステムであった。 礼文華山道の本線上に関所が設置された事実はない。しかし室蘭に至る過程で不可避な関が存在した。渡島振興局管内に位置する八雲町は山越に置かれていたとされる江戸幕府最北端の関所、山越内関所がそれだ。 山越内関所 |
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◆最後の直線の果てに林道標柱&チェーンゲートを捉える 函館から札幌や室蘭それ以遠の地に赴く際に、避けては通れない関があった事実を知る者は少ない。和人とアイヌを隔てる境界線として設けられた山越内関は、文久元年の廃止まで通行に支障を来たし自由往来を阻害してきた。その存在は当然の如し礼文華山道にも暗い影を落とす。 津軽藩の尽力により文化3年に礼文華山道は全通の日の目を見る。その僅か5年前の享和元年に設置された山越内関によって、半世紀以上も八雲以遠の通行制限が成されており、せっかく拵えた長大山道に冷や水を浴びせるような措置が長らく続いた事実は無視出来ない。 |
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◆視界が急激に開け広場が認められる静狩峠の頂上 半世紀超に及ぶ移動の制限は、当時の人々に自由往来の難易度を知らしめ、国境を跨ぐ事の難しさが代々継承されDNAに刻まれた。そのような背景から代々山に近付くなと口承で伝えられてきたとしても何等不思議でない。 それはあくまでも僕個人の考察であって、入山を不適とする理由の一つに過ぎない。山に近付くな、その言葉の裏には実はそれ以上に大きな意図が隠されているのではないか?と僕は睨んでいる。 静狩峠7へ進む 静狩峠5へ戻る |