教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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静狩峠(3)

★★★★

静狩峠(しずかりとうげ)の取扱説明書

その昔、猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられた礼文華山道。その行程は長万部から豊浦にかけての気が遠くなる程の長大山道で、一般には筆頭格と目される礼文華峠のみが取り沙汰されるが、礼文華山道とは大小連なる複数の峠の総称であり、その全体像を掴むには個々の峠を丁寧に精査するしかない。それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、僕が本気で死を意識し一枚の写真も収められなかった峠がある。それが静狩峠だ。読んで字の如しサイレントハンターはトラップに嵌まり衰弱する僕を静かに見守っていた。夕刻迫る発狂寸前の渦中でふと我に返った僕は、間髪入れずに敵前逃亡を図る。あれから十余年が経ち機は熟した。あの日あの時あの瞬間の忌まわしい借りを返すと同時に、返す刀で礼文華山道の全貌を白日の下に晒す。

 

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◆新旧道と道道266号線が交わる起点の変則十字路

在来国道は終わりの始まり

これを理解するには道路の賞味期限を意識する必要がある。明治道がそっくりそのままの状態では使用に堪えないように、どの時代の路も経年と共に次世代の交通事情にそぐわない陳腐なものと化す。

一時代前は駅前商店街そのものが主要幹線路で、夕方買物客でごった返す狭隘路にトラックやバスが入り乱れ、それも上下線というカオス状態であるから、国民の大方は日常のようにサバイブしていたという事実がある。

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◆行政施設の裏手を回り込むようにして延びる山道

今それをやったら大顰蹙もので、ヤフーニュースで大々的に取り沙汰された挙句、SNSではどんだけ時代錯誤なん?と大バッシング確定であるが、大方の市街地はバイパス化等の大幅な改善が成されて久しく、昭和30〜40年代に比し交通状況は緩和されている。

未来永劫壊れない夢の材質と持て囃されたコンクリートも、実はそれほど長くない寿命との臨床結果が出ており、鉄筋を配し最適な配合で基礎を打ったとしても精々100年が限界で、将来付替え不要とされた戦前の永久橋や永久隧道は、とっくの昔に過去のものとなっている。

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◆施設の裏手からよく締まった硬質な砂利敷きに変わる

隧道に関しては土壌の影響に大きく左右され、20〜30年で付替えを余儀なくされるケースも少なくない。高度経済成長期の量産型であれば半世紀も凌げば上等で、前後する礼文華峠の隧道が30年強の寿命であった点を踏まえれば、竣工から50年を経た静狩隧道はかなりの長寿と思って間違いない。

人によっては既に死に体と評する者もいるであろうし、細かいメンテで騙し騙し供用すればまだまだ使えなくはないと提言する者もいるだろう。現状は後者の意に従い抜本的な解決策が成されぬまま今に至り、隧道前後の路を拡張するなど微調整でその場を凌いでいる。

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◆定期的に砂利が撒き足されているのかフラットな路面

あの緊張感を強いられる狭いトンネルを、我々はいつまで潜らねばならないのだろうか?そう訴えるのは常日頃礼文華山道を行き来する大型のドライバーで、平成28年現在もトレーラーは留寿都経由の山線への迂回を強いられている。またギリギリセーフの大型車も予断を許さない状況が長らく続いている。

冷静且つ客観的に判断して礼文華山道は近代化の夜明け前にあり、部分的に昭和中期を引き摺っているのが実情で、現代の交通事情に不適格な山道がドライバーを苦しめている。但し昔と違って礼文華山道には代替路となる迂回路が存在する。道央自動車道がそれだ。

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◆山道は一旦内浦湾の待つ真南へと直線的に突き進む

通行料と引き換えに安心安全が担保される高速道路は、いざという時の緊急連絡路として心強い存在ではある。しかしドライバーの多くは日常的に国道を利用しているのであって、利便性云々を言えば静狩トンネルの新設並びに前後の取付道も高架橋で直線化するのが理想だ。

高規格新道の実現性が現実味を帯びてこないのは、並行する道央自動車道の成立が余りにも早過ぎた為だ。もう高速道路があるんだからいいじゃん、必要に応じて金払えば済む話じゃん、皮肉な事に夢の高速道路という既成事実が、生活道路の整備の足枷になっている。

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◆曲率半径25m前後のヘアピンカーブで北へ舞い戻る

道央自動車道の性格は国道5号線と国道37号線及び国道36号線であり、都市間高速移動という観点ではネットワーク化が成立し、函館と札幌圏を行き来する常套ルートとして定着している。その証拠に一般道で函館⇔札幌間を移動すると、下道で?!と驚かれるケースが多々ある。

余程の事情がない限り般ピーは高速道路で移動する。下道という言葉がそれを如実に表している。しかしながら今日現在の礼文華山道の交通量は、5千台強/日という現実がある。平成9年に礼文華山道をパスする高速道路が成立し、一定量の車がそちらに流れても尚毎日5千台の車両が峠道を往来している。

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◆ヘアピンで反転した山道は上昇を開始し高度を稼ぐ

礼文華峠のように本来であれば併走する高速道路の成立以前に、静狩峠も平成新道を竣工させるべきであった。それであれば高速ありきの前提が崩れ議会の承認も得易い。しかし幸か不幸か後先が逆になってしまった。

我々は過去の道を現在進行形で供用する非常に心許無い過程を辿っている。いつ何時余命を宣告されても不思議でない老兵頼みの危ない綱渡りだ。ただドライバー任せの丸投げ運用が今に始まった事でないのは、初代の秘路を辿ればよく分かる。

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