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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>北海道>礼文華峠 |
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礼文華峠(24) ★★★★ |
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礼文華峠(れぶんげとうげ)の取扱説明書 猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。長万部から豊浦にかけて大小連なる複数の峠の総称で、それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、筆頭格にして総大将と目されるのが礼文華峠である。かつては死を意識するほどの恐ろしく逝かれた山道であったが、歴史道として再認識されて以降整備が著しく、今では尤も探訪し易い楽勝コースと化している。それが良いのか悪いのかは人それぞれであるが、存在自体がほぼ否定されたに等しい完全廃道時代から、有志による刈り払いが実施された浅藪時代を経て、ハイキングコース化した現在に至るまで武四郎宜しく向こう三度に亘り路の変遷を垣間見た僕なりの視点で、この峠の酸いも甘いも語り尽くす。 |
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◆峠の東西を通じて道中に人工物はほとんど見当たらない 明治27年の新道竣工により礼文華山道は新時代を迎え、馬車による長万部⇔室蘭間の大量物資の輸送が可能となる。しかしながら本州との連絡が密な函館とは森経由の盤石ルートが確立されており、また明治38年には函館⇔札幌が一本のレールで結ばれ、噴火湾をなぞる湾岸ルートの存在感は希薄となる。 但し当時開発は絶望的とも言われた礼文華の難所に鉄路を通さんとする声は、日増しに増加の一途を辿る。何故か?それは倶知安で採掘される良質な鉱物を室蘭へ運ぶ必要に迫られたからだ。と一般には語られている。教科書での記載がそうなっているのだから仕方がない。 |
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◆離合箇所が認められない緩勾配の一本道が延々と続く 確かに室蘭は古くから製鉄の町として知られ、今も漆黒の闇に浮かぶ不夜城の如し工場の景観は、近未来都市を彷彿とさせる異様な空間を以て存在感を主張する。製鉄の町に鉱物を搬入するという教科書的な説明は御尤もで、理路整然とした理由には非の打ち所がない。 だとしたら倶知安から長万部を経て礼文華山道を越えて室蘭に至る活発な馬車輸送が見られなければ不自然だ。明治27年に敷設された礼文華新道はまさにその為であったとの理由に突っ込み所はない。しかし実際にはピリカ峠で見たダンコマ輸送も無ければ、馬車輸送のエピソードも一切出て来ない。 |
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◆木々の隙間に小幌を橋を捉えた地点が大曲の始まり 何故か?それは室蘭に砂鉄を搬入した所で、肝心の受入先が存在しないからだ。室蘭に本格的な製鉄会社が出現したのは明治最晩期で、明治40年に日本製鉄、同42年に新日鉄が操業を開始し、これを以て室蘭=製鉄のイメージが定着する事になるが、同27年の時点では製鉄のせの字もない。 明治27年の新道開通を以てはるばる馬車で荷を運んだ所で、受け入先は室蘭のどこにも存在しない。何も考えずに荷を運んだ場合、ありゃりゃ・ありゃりゃの大混乱に陥るのは必至だ。安政年間にペリーが良質な港として見出した室蘭は、石炭の積出港として内外にその名を轟かしていた時期に重なる。 |
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◆大きく弧を描いて擂鉢状で内陸側へと深く回り込む大曲 苫小牧が港湾として名を馳せるのは戦後になってからで、室蘭のライバルは長らく函館と小樽であった。特に函館へのライバル意識は根強く、北海道の玄関口の座を奪うべく虎視眈々と狙っていた。函館は良質な港である事に加え、本州の青森とは目と鼻の先に位置する地政学的メリットが大きい。 但し道内の資源を一手に引き受けるには、札幌経済圏から離れ過ぎているという欠点がある。一方室蘭は道内の有力炭鉱と至近距離で繋がる優位性は明白で、地続きでない以上本州との連絡は全て港を以て行う事になるから、港を制する者が北の大地を制すると言っても過言ではない。 |
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◆大曲の突端付近には待避所に成り損ねた膨らみがある 室蘭が地の利を生かして北海道の最重要港湾に躍り出んと躍起になるのも当然の帰結である。室蘭はけして長輪線の開通を良しとしない。そう言い切るのはミスターで、仕掛けたのは函館であると氏は主張する。何故長輪線を歓迎しないのか?それは途中駅(通過点)になるのを恐れたからだという。 長輪線の開通で室蘭を通過点(骨抜き)にし、函館が北海道の一大拠点に君臨すべく仕掛けた壮大な罠だと氏は語る。千歳空港も青函トンネルも無い時代の北の大地の玄関口は、間違いなく港湾にあった。空港でも駅でもなく人々の出会いや別れの舞台は常に港であったのだ。 |
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◆上昇一途の現道&旧道に対し旧旧道は横這いに進行 明治24年の東北本線の全通を機に青函連絡船との連携が図られ、同38年の函館本線の全通によって東京⇔札幌間の貨客輸送が実現する。表向きは函館への一極集中に映るが、その頃函館と室蘭には決定的な差が生じていた。室蘭の貨物輸送がすっかり板に付いていたのだ。 旅客輸送に関しては水を開けられた感は否めない。しかし問題は旅客とは比べ物にならない大量物資の輸送であり、その取捨が命運を決めると言っても言い過ぎではない。石炭での実績に加え日本を代表する製鉄所が根を下ろした事で、室蘭は貨物輸送に於いて盤石な基盤を築く。これを覆すのは容易でない。 |
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◆ダイナマイト必至の堅牢な岩盤が剥き出しになっている 大正14年には青函連絡船への鉄道車両航送が実現し、東京⇔北海道間の貨物列車の直送が可能となるも、鉱物資源の積出港としての室蘭の地位は揺るがない。そこで画策したのが長輪線による室蘭骨抜き構想である。 表向きは倶知安の鉄鉱石を室蘭に運び入れる為となっているが、本音は室蘭を終着駅から途中駅へと変貌させ、貨客の全てを函館経由と総取りする事にあった。またバイパス線の新設による輸送力強化というオマケまで付いている。 礼文華峠25へ進む 礼文華峠23へ戻る |