教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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礼文華峠(23)

★★★★

礼文華峠(れぶんげとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。長万部から豊浦にかけて大小連なる複数の峠の総称で、それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、筆頭格にして総大将と目されるのが礼文華峠である。かつては死を意識するほどの恐ろしく逝かれた山道であったが、歴史道として再認識されて以降整備が著しく、今では尤も探訪し易い楽勝コースと化している。それが良いのか悪いのかは人それぞれであるが、存在自体がほぼ否定されたに等しい完全廃道時代から、有志による刈り払いが実施された浅藪時代を経て、ハイキングコース化した現在に至るまで武四郎宜しく向こう三度に亘り路の変遷を垣間見た僕なりの視点で、この峠の酸いも甘いも語り尽くす。

 

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◆チェーンゲートを擦り抜け峠の西側降下を開始する

僕の記憶が確かならば、礼文華峠の東側には13ものヘアピンカーブが存在する。その昔は十三曲がりと呼ばれていたかも知れないし、その他のカーブを含め一年曲がりと称され恐れられていたかも知れない。道中は基本的に見通しが利かず、おまけに離合箇所が少ない。

ヘアピンカーブの大方は十分な余白が備わり、コーナーの膨らみを以て車両同士の交換が叶うように設計されている。それにしても待避所の数は極端に少ない。旧道時代の交通量を多少割り引いても間尺に合わない。万に一でも当該区間をして何等かの営業が成されていたならば稀有な事例となろう。

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◆ほぼ横這いの緩勾配でじんわりと高度を下げる

大正12年の暮れに函館本線の長万部より分岐する長輪西線の静狩駅が開業する。遅れて同14年の夏に長輪東線の伊達紋別駅が開業に漕ぎ付ける。両駅には一年半のタイムラグがあるが、大正最晩期には長輪東西線の延伸開業が相次ぎ、そう遠くない将来にドッキングするのは誰の目にも明らかとなる。

そうなると期待せずにはいられないのが鉄道未通区を繋ぐ連絡バスの存在だ。筆頭格となるのが省営バスが疾走した矢ノ川峠で、近隣では水上利次郎が走らせた花石峠越えの連絡バスが記憶に新しい。大正8年の長輪線起工を以て大正年間に静狩に陸蒸気の地響きが轟くのは誰もが予見出来た。

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◆ダブルトラックが鮮明な緑の絨毯に旧国道らしさは皆無

となると長輪東線の動向であるが、それも急ピッチで西進している情報は新聞等でガッツリ掴めたはず。長輪東西線の起工を以て連絡バス業を興す者がしたとしても何等おかしくはない。時は関東大震災でズタズタになった鉄道に代わり、小回りの利くバスがクローズアップされた時期に重なる。

道内に目を向ければ小樽で赤バスVS青バスの熾烈な客争奪戦が繰り広げられたのが大正10年で、2年後の震災でバスは一時的に公共交通の主役に躍り出る。復旧の早さ並びに機動力が世間一般に広く認知されたバス業界に身を置く者にとって、長輪線の連絡輸送は千載一遇のチャンスのようにも思える。

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◆木々の隙間に海岸線に延びる静狩の平地を望む

何せ道中には泣く子も黙る蝦夷三大難所の礼文華山道が立ちはだかる。そう簡単には鉄道を通しますまい。神通力が無くともそれくらいの事は誰でも予測可能だ。大幅な工期遅延は勿論、ドッキングは未来永劫叶わないかも知れない。そう考えた経営者がいたとしてもおかしくはない。

幾つもの横断線計画が練られては立ち消えとなりの歴史が繰り返された経緯を踏まえれば、長輪線の頓挫は有り得なくはない話だ。そうなると延伸開業による退場に怯えずに済む。うまくいけば森蘭航路から覇権を奪取し、ウハウハのドル箱路線にならないとも限らない。

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◆ガードレールの無い一本道は林道と何等変わらぬ規格

誰かが唾を付けてからでは遅過ぎる。馬車業であれば駆逐可能ではあるが、先行するのが同業の乗合自動車業者であった場合、乗り心地の良い最新式の大型バスを投入するとか、長丁場の山岳悪路に長けた余程の精鋭部隊を用意しなければ後発に勝ち目はない。さあどうする?

ところが蓋を開けてみれば実際に連絡バス営業に名乗りを挙げる者はいなかった。その理由として先駆者の存在が皆無というのがある。明治年間は函館と室蘭を行き来するのは札幌本道(森蘭航路含)と相場が決まっており、長万部駅が開業した同36年に於いても不動の地位は揺るがない。

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◆峠の東側に負けず劣らず離合箇所は絶望的に少ない

明治38年に函館⇔旭川間が一本のレールで結ばれ、函館と札幌を乗り継ぎ無しの直通列車で行き来出来るようになると、船舶への乗り継ぎを嫌う乗客が鉄道に鞍替えし、開業以来順風満帆だった森蘭航路に黄色信号が燈る。海線・山線のライバル関係が顕在化したのがまさにこの時だ。

函館本線の全通を以て室蘭経由の札幌本道は主役の座を奪われ、地方の地方同士を結ぶ一介のローカル線に成り果てる。函館と室蘭及び苫小牧を行き来するだけの客に限定された結果、客足は極度に低下する。少ないパイを奪い合う乗合馬車に玉金全力投球する意義は見出せない。

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◆路上を川が流れる元国道にあるまじき醜態

しかも現場は道内随一の難所ときている。リスクを冒してまで馬車営業に挑む理由が見当たらない。明治27年には馬車道が成立しているから、意欲さえあれば長万部と室蘭を結ぶ乗合馬車が疾走してもおかしくはない。

しかしそれを履行する者はいなかった。乗合馬車の前例が無い以上、全てが手探りとなる乗合自動車を走らせるのは至難の業だ。かくて礼文華峠を舞台とする陸上輸送にチャレンジする者はただの一人もいなかった。

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