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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>北海道>礼文華峠 |
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礼文華峠(20) ★★★★ |
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礼文華峠(れぶんげとうげ)の取扱説明書 猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。長万部から豊浦にかけて大小連なる複数の峠の総称で、それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、筆頭格にして総大将と目されるのが礼文華峠である。かつては死を意識するほどの恐ろしく逝かれた山道であったが、歴史道として再認識されて以降整備が著しく、今では尤も探訪し易い楽勝コースと化している。それが良いのか悪いのかは人それぞれであるが、存在自体がほぼ否定されたに等しい完全廃道時代から、有志による刈り払いが実施された浅藪時代を経て、ハイキングコース化した現在に至るまで武四郎宜しく向こう三度に亘り路の変遷を垣間見た僕なりの視点で、この峠の酸いも甘いも語り尽くす。 |
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◆山道保存会が設置した古道筋への案内板 旧国道に絡み付くように現れては消えてを繰り返す小径が、実はゼロベースで開削した新道であったという衝撃の事実は、トランプ大統領の誕生と甲乙つけ難い悪夢である。果たして古道縦走ツアーに参加するジジババに、その事実はきちんと伝えられているのであろか? イザベラバードが通った道と謳っている以上、参加者は彼女の足跡を辿っていると信じて疑わない。しかしバード女史は無駄に北寄りに迂回する旧国道筋を通ってはおらず、よくよく考えてみれば彼女はそのルートを逆立ちしたって通えないのだ。何故なら旧国道の供用開始時期は明治27年であるからだ。 |
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◆斜面を駆け上がる人一人分の小径は後付けの新道 礼文華峠初の車道は明治27年竣工 現在我々が辿れる礼文華峠へ通ずる車道の起源は、明治24年に起工し同27年に完工した遠巻きの車道で、海岸線とは一定の距離を置く深山幽谷の樹海を貫く本格的な山岳地帯の真只中に位置する。 当然そこからは噴火湾のマリンブルーを拝めるはずもなく、ただひたすら九十九折を繰り返す激しく実用的な道路で、大量の物資を安全確実に導ける道程として開発されたゼロベースの高規格道路である。 |
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◆待避所は備わらない見通しが利かないカーブ 彼女が日本を発ってから13年後に起工した新道は、測量の時点でも約10年のタイムラグがあり、タイムマシンに乗じた時間旅行でもしない限りバード女史が旧国道筋を辿る事は不可能なのだ。従って山師が指摘せずとも時系列的に矛盾は否めない話なんである。 しかし旧国道筋に絡み付く小径はバード女史が通った古道として大々的に取り沙汰され、町興しの一環として広く内外にアピールされている。バード女史が通った例のない礼文華山道、この公然の秘密を我々はどう解釈すればよいのだろうか?と朴大統領に相談したらそれどころではない!と突き返されそうな勢いだ。 |
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◆見通しが利くが待避所が無い直線区間 ではプーチン大統領はどうか?ヒ・キ・ワ・ケ!恐らくそう答えるであろう。一体全体何を以て引分なのか意味不明であるが、平成になって敷設された山道自体に罪はない。むしろ救急車が進入可能で安全が担保されているという点で、本物の古道よりも格段に優れている。 安全面を考慮した新設のハイキングコースとすれば何等違和感はない。問題は“イザベラ”と“古道”を前面に押し出している点で、バード女史は通っていないし江戸時代から引き継いだ古道でもないのだから、ゆうこりんのコリン星同様潔くそんなものはありません!と白状するというのも一考だ。 |
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◆離合箇所を兼ねた曲率半径5mの第12ヘアピン 道跡が辿れないほど自然に還ってしまっているので、旧国道筋にそれらしき道を再現してみました!といって誰が責めるであろうか?重機のような大型機械が入れない徒歩道であるから、開削は人力に因る他ない。限りなく昔ながらの工法で地道に拓いた道を誰が貶そうか。 イザベラも通ってなければ江戸時代の古道筋でもない、ならば本物の初代礼文華山道はどこだ?という風に謎解きゲームの如し仕掛け、礼文華山道を探せ!的なイベントで挑戦者に探索を丸投げするというのもアリだ。懸賞金を用意すれば大いに盛り上がるに違いない。 |
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◆見通しが良くそこそこの勾配で一気に高度を稼ぐ 複数人が行き来するだけで踏分道が出来上がる。そこを刈り広げれば刈分道の完成だ。あとは津軽藩が拵えた様に板橋等を渡せば、本物のイザベラ道がこの世に蘇る。この方が余程健全かと思うが、行方不明者が続出し毎年遭難者を出し続ける町として不名誉な称号を得ないとも限らない。 そこで切り口を変えて旧国道を前面に押し出してはどうか?幸い初代の車道は辛うじて車両が行き来出来る状態を保っている。それを修繕してGHQも驚愕した鬼山道、鬼県令も脱帽の蝦夷三大難所にようこそ!というキャッチフレーズで、山道大使には豊浦町出身の内藤大助氏を起用。 |
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◆離合箇所を兼ねた曲率半径10m弱の第13ヘアピン 絶滅してしまったのですが昔はイザベラという大型の鳥がいましてね、と何言ってんだか分かんないダラダラ解説は、OK牧場⇒ちょっちゅねーに続く脳神経外科的に稀有な症例として医師の目に留まり、全医連を通じ光の速さで全国に拡散するだろう。 もうそうなると絶滅したイザベラ鳥を巡って日本野鳥の会が重い腰を上げざるを得ず、幻のイザベラ鳥は生きている論争まで巻き起こる空前のイザベラブームに発展しないとも限らない。架空の鳥イザベラが思わぬ経済効果を生み出すかも知れない。 礼文華峠21へ進む 礼文華峠19へ戻る |