|
教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
|
|
トップ>旧道>北海道>礼文華峠 |
|
|
礼文華峠(19) ★★★★ |
|
|
礼文華峠(れぶんげとうげ)の取扱説明書 猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。長万部から豊浦にかけて大小連なる複数の峠の総称で、それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、筆頭格にして総大将と目されるのが礼文華峠である。かつては死を意識するほどの恐ろしく逝かれた山道であったが、歴史道として再認識されて以降整備が著しく、今では尤も探訪し易い楽勝コースと化している。それが良いのか悪いのかは人それぞれであるが、存在自体がほぼ否定されたに等しい完全廃道時代から、有志による刈り払いが実施された浅藪時代を経て、ハイキングコース化した現在に至るまで武四郎宜しく向こう三度に亘り路の変遷を垣間見た僕なりの視点で、この峠の酸いも甘いも語り尽くす。 |
|
|
|
◆離合箇所を兼ねた曲率半径10m弱の第9ヘアピン 自著の中でバード女史は「ようやく三人のアイヌが車を白老まで走らせてくれた」と述べている。元々病弱な彼女であったが、基本的に徒歩移動のハードな旅で心身共に疲弊し、見兼ねたアイヌが用意した車で彼女は苫小牧から白老まで移動している。 私はふたたび人力車に乗ることができた 彼女は言う、明治11年当時の北海道に人力車が上陸していたのだと。天皇巡幸の3年前には沿線住民が札幌本道を車両で行き来している事から、明治6年の暫定開通からそれほど経ずして完璧なスーパー馬車道が成立したと考えていい。 |
|
|
◆羆が出そうにない爽快な散策路の様相を呈す旧国道 バード女史が渡道した明治11年の時点で、船舶を含む必要にして十分な快道が成立していた。普通なら整備されて間もない快適な路を往復する、或いは全く別のルートを辿るなどの行動パターンになるはず。しかし彼女は海上輸送を避けた地続きの路で復路を辿っている。 何故彼女は襟裳岬やその先の根室や宗谷を目指さなかったのであろうか?その答えは彼女が持参する地図にある。本国イギリスから持参した地図は、日本の主要港湾に灯台を設置する目的で作成された地図で、なんとその地図では北緯42度を境に上辺が空白となっているのである。 |
|
|
◆離合箇所を兼ねた曲率半径10m前後の第10ヘアピン 彼女にとって北海道とは道南の極一部であり、まさかそれが北の大地の先端部分に過ぎない事実をバード女史は知らぬまま旅を続けた。従って彼女にとって最終目的地である平取は日本の最奥地にあたり、与えられた情報内での日本最深部潜入のミッションは完遂した。 復路に礼文華山道を選んだくらいであるから、仮に彼女が東西蝦夷山川地理取調図、即ち伊能図を閲覧可能であるならば、間違いなく宗谷岬を目指したであろう。しかし伊能図は当時の国家最高機密情報であり、外国人探検家ごときが易々と閲覧出来る状態になかった。 |
|
|
◆同一斜面に段々に刻まれるジグザグ道を捉える 病弱な体で無理した結果道南で音を上げたと思ったら大間違いで、彼女の名誉の為に言えば日本奥地紀行の最終地点は宗谷岬であった可能性が大で、途中で右に舵を切れば国後・択捉の選択も無きにしも非ずで、あくまでも平取ピストンは情弱の結果であって体力の限界ではない。 明治11年の時分にほとんどの者が森蘭航路を頼っているのに対し、復路のみとは言え彼女は礼文華山道に挑んだという実績がある。元々避けられていた山道が札幌本道の成立により更に衰退した時期である点を踏まえれば、褒められていい快挙と言っても言い過ぎではない。 |
|
|
◆離合箇所を兼ねた曲率半径5m強の第11ヘアピン 彼女が辿った道筋は車道の九十九折と幾度となく交差し、ほぼ直登に近い形で頂きを目指している。近年ではハイキングコースとして整備され、多くのジジババが冥土の土産に自身の足跡を残している。古道のスペックは幅員1m前後の刈分道で、結構な数のハイカーが踏み込んだ足跡が認められる。 礼文華古道を尋ねるツアーの参加者は、斜面を上へ上へと攀じ登るが、その間に車道は左右に大きく揺さぶられながら、じわりじわりと高度を稼ぐ。道中幾度となく交錯する二つの道、その両者が実は親子関係にないという衝撃の事実を知り、現場で僕はひとり激しく動揺する。じゃ何なのコレ? |
|
|
◆短いピッチで反転を繰り返し一気に高度を稼ぐ 道中の案内板に礼文華古道と称されるその小径が、実は礼文華山道ではないと指摘したのは、北海道の山に長けたとある登山家である。氏曰くあれは本当の山道ではないという。理屈は単純で礼文市街地から静狩方面へ抜けるのに、旧国道筋は豪く北側に迂回しているという現実がある。 江戸時代から使われる道がそのような迂回路であるはずがなく、車道と絡む古道筋とやらは新設のハイキングコースで、明治初期まで供用された礼文華古道とは無関係であると。それについてミスターは反論するどころか、その通りですが何か?と素っ気ない顔をしている。一体全体何なんだこの展開は? |
|
|
◆垂直壁に等しい斜面を駆け上がる古道は実はダミー 道中で何度も何度も何度も何度も交差する小径は、イザベラバードが歩いた古道筋ではない?センテンススプリングも黙ってはいないスクープである。これに対しミスターは応える。 よう分からんのですよ マジすか?当時の経路がよう分からんから旧国道沿いに新設の山道を拵えちゃったんデツカ?それって二重国籍の政治屋と同じくらい駄目くないですか? 礼文華峠20へ進む 礼文華峠18へ戻る |