教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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礼文華峠(18)

★★★★

礼文華峠(れぶんげとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。長万部から豊浦にかけて大小連なる複数の峠の総称で、それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、筆頭格にして総大将と目されるのが礼文華峠である。かつては死を意識するほどの恐ろしく逝かれた山道であったが、歴史道として再認識されて以降整備が著しく、今では尤も探訪し易い楽勝コースと化している。それが良いのか悪いのかは人それぞれであるが、存在自体がほぼ否定されたに等しい完全廃道時代から、有志による刈り払いが実施された浅藪時代を経て、ハイキングコース化した現在に至るまで武四郎宜しく向こう三度に亘り路の変遷を垣間見た僕なりの視点で、この峠の酸いも甘いも語り尽くす。

 

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◆再び樹林地帯に入るも薄暗さはそれほど感じない

森蘭航路は開業初期こそ帆船による運行で、時刻表が役に立たない不安定な操業であったが、やがて蒸気船による本格的な運行体制を確立する。その契機となったのが明治天皇の北海道巡幸である。

明治天皇の御巡幸

札幌本道は道の屋台骨であるから時刻の正確性は必至であるが、明治天皇の来道が無ければその後もしばらくはダラダラ運行を続けていたかも知れない。襟を正すという意味で早い段階で天皇が来道した意義は計り知れないものがある。

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◆何でもない所で捉えた離合箇所の膨らみ

明治天皇は室蘭より乗船し、森で下船して函館へ向かっている。海上輸送は巡幸ルートに立ちはだかる最大の難所礼文華山道を避ける為の措置であるのは言うまでもない。この一件で確実に言えるのは、札幌本道が正真正銘のスーパー馬車道として成立していたという事実である。

函館から札幌に至る総延長180kmに及ぶ本格的西洋式馬車道に対し、一部に懐疑的な見方がある。というのもたったの1年半で完成させているからだ。この圧倒的な工期の短さに疑問を呈す者がいる。それは分からないでもない。人も金も物も無いナイナイ尽くしで成立するはずがないという意見は御尤もである。

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◆足元に備わる小さな案内板を捉えて急停止

僕もたった1年半で完成に漕ぎ付けたなどとは思っていない。市街地等の最重要工区を先行する形で一部供用を開始し、その他はパイロット道路的な小径で繋ぎ体裁を整えたのではないかと睨んでいる。対露関係で一分一秒を争う我が国としては、一日も早い北の大地の大動脈の完成を待ち侘びている。

物理的に不可能な難題を可能とするには、何等かのテクニカルな方法或いはトリッキーな方法を用いるしかない。超高速参勤交代はまさにその好例で、他大名の一部を拝借し人員を水増しするとか、関所の手前で一時的に仮装した農民を雇う等の涙ぐましい努力によってその場を凌いでいる。

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◆礼文華山道の古道へと導く有志が設置した案内板

新政府にはいついつまでに完成させろと無理難題を押し付けられている。ナイナイ尽くしの開拓使は知恵を絞って何とかするしかない。追い詰められた人間はどう誤魔化すかを必死に考える。とりあえず骨組みだけは確立しておいて、肉付けは後からすればいい。盛土はどうしましょう?そんなん後回しだ!

橋梁は一度の大水で流失する仮橋でOK、御偉方一行が通過するその時だけ保てれば良い。マカダム舗装は馬車一台が通れればそれで良し、対面通行は順次拡大すればいい。削れる部分は可能な限り削り必要最小限の工法に留めた実用性に欠ける暫定路。それが工期一年半の精一杯の賜物であろう。

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◆幅1m前後の登山道らしき小径が認められる

兎にも角にも開通式で御偉方の一行が札幌から室蘭まで馬車で駆け抜けられれば、ぶっちゃけ後はどうでもいいのだ。開拓使の面目は保たれ、新政府も次なる一手が打てる。次なる一手、そう明治天皇の巡幸にて北海道が日本に属す事を国の内外に知らしめるのだ。

第一義的に和人の居住並びにスーパー馬車道という既成事実が重要であるが、そこに天皇の巡幸が加われば箔が付く。道路よりも鉄道敷設の方が対外的に効果は絶大だが、明治黎明期という時代背景及び物理的並びに時間的制約を踏まえれば、マカダム舗装の幹線道路という選択は間違ってはいない。

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◆九十九折を避けた直登コースの礼文華古道

鉄道敷設事業は誤魔化しが利かないが、道路は幾らでも誤魔化しが利く。当時の路は幅員さえ足りていれば車道であったし、例え足腰が浸かるような泥んこ道でも幹線道路であった。それに代わる安心安全な路が存在しないので、利用者は基本的に文句の言い様がない。

我々現代人が田舎の狭隘路で粛々と後退して対向車をやり過ごすように、かつての人々も泥濘に足や車輪をとられ、その都度応援を呼ぶような面倒臭い行動が日常であった。そんな劣悪な環境を一変させたのがマカダム舗装である。札幌本道は百年前の日本人が初めて目にした超快適な舗装路であった。

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◆礼文華山道の古道が一時的に旧国道に重なる

陸蒸気のド迫力にも驚愕したであろうが、それに負けずとも劣らない衝撃がマカダム舗装で、天皇の巡行では鉄道を補って余りある十分な役割を果たした。しかしそれだけでは不十分で、森蘭航路も最新鋭の客船の投入を求められる。

バード女史の通過から僅か3年後の明治14年の事である。新政府に急かされ暫定開業のすったもんだの末、その後の改良により明治14年には馬車同士の相互通行を許す完璧なスーパー馬車道が成立していたのはほぼ確実である。

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