教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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礼文華峠(15)

★★★★

礼文華峠(れぶんげとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。長万部から豊浦にかけて大小連なる複数の峠の総称で、それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、筆頭格にして総大将と目されるのが礼文華峠である。かつては死を意識するほどの恐ろしく逝かれた山道であったが、歴史道として再認識されて以降整備が著しく、今では尤も探訪し易い楽勝コースと化している。それが良いのか悪いのかは人それぞれであるが、存在自体がほぼ否定されたに等しい完全廃道時代から、有志による刈り払いが実施された浅藪時代を経て、ハイキングコース化した現在に至るまで武四郎宜しく向こう三度に亘り路の変遷を垣間見た僕なりの視点で、この峠の酸いも甘いも語り尽くす。

 

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◆ロードローラーで均したかのようなフラットな路面が続く

昭和41年の路線切替までこの山道は、唯一無二の生命線にして主要幹線道路であった。直接的な役割としては長万部と豊浦を結ぶローカル線に過ぎないが、大局的には道の主要港湾である函館と室蘭・苫小牧を結ぶ大動脈で、道の経済基盤を支える上で必要不可欠な路線である。

当然そこに圧し掛かる期待値は相当なもので、戦後の国道再編ではいきなり一級国道のポストに就いている。思えば長万部と室蘭を結ぶ室蘭本線も今でこそ幹線扱いだが、開業当時は長輪線という一ローカル鉄道に過ぎなかった。それが今では特急列車が九割を占める大動脈と化している。

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◆対向車を捉えられない小カーブが断続的に現れる

札幌延伸の前倒しが決まった北海道新幹線が、最後の最後までルート争いで鍔迫り合いを演じたのも室蘭経由であったし、僕等の目の黒いうちに実現するか否かは定かでないが、早晩室蘭・苫小牧・千歳経由の新幹線も日の目を見るであろう。何故なら北海道屈指のビジネス路線であるからだ。

実に運行列車の九割が特急という室蘭本線(長万部⇔豊浦間)は、特急列車飽和状態と化す新幹線開業前夜の幹線路に似ている。本来であれば無条件に室蘭経由となるはずだが、現実には定期特急が一本も走っていない鈍行限定の倶知安経由に軍配が上がる。

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◆落ち葉以外に路面に目立った障害物は見当たらない

首都圏からの集客のみで言えば新幹線がどこを経由しようが大勢に影響はなく、ニセコや小樽といった知名度の高い観光地を繋げば、観光客にとっては利便性この上ない。それに買収する土地は二束三文であろうから、過疎地を繋いだ方が費用も安く工期も短いというメリットがある。

それに何と言ってもJRにはライバルである航空業界とは距離を置きたく、千歳空港に新幹線を直結させたくないという思惑がある。しかし室蘭・苫小牧・千歳連合も黙ってはいない。水面下では着々と噴火湾経由の第二ルート実現へ向け奔走しており、整備新幹線のリスト入りを虎視眈々と狙っている。

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◆伐採済にて視界前方が急激に開ける解放的な区間

観光立国を目指す上で倶知安経由は悪くない選択肢ではあるが、主要都市を繋ぐ従来の慣習に従えば自ずと室蘭経由となるはずで、有珠山の再噴火リスクを割り引いても、高を括って胡坐を掻いた室蘭経由連合の失策と言えなくもない。しかし間違いなく新幹線はそう遠くない将来室蘭市街地を通過する。

室蘭は北海道初の新幹線奪取には失敗した。しかしそれは今後の新幹線誘致の終わりを意味しない。旭川延伸計画と共に噴火湾ルートをほぼ確実に盛り込んで来るだろう。そして内浦湾経由の海線が開業した暁には、乗車率の違いを指摘して倶知安経由の存在意義を問う。

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◆実際に今この瞬間も利用されている現役の待避所

何であんなもん創っちまったんですか?と。かつて倶知安経由にも定期特急が存在した。それが今では鈍行のみという有様で、廃止云々も議論されるほど凋落している。そこに降って湧いた新幹線話であるから沿線住民が喰い付かない訳がない。新幹線と併走するローカル線は切って捨てられる。

遅かれ早かれ倶知安経由のローカル線は廃止される運命にある。ならば新幹線と引き換えにと考えるのが人情というものだ。地元では俺らが村には新幹線があるという自負がある。しかしそれとて無用の長物と非難される時が来る。まだ完成してもいない新幹線が既に終わっているオワコンだとしたら・・・

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◆この先で反転し低い稜線上を伝う山道を前方に捉える

倶知安経由の新幹線が無用の長物とは俄かには信じ難い話ではある。しかし始まる前から終わっているという話は珍しくない。総力戦研究所は昭和16年夏の時点で日本必敗を政府に進言したが、机上の演習に過ぎないと時の政権に却下され日米開戦を強行するに至った。

時の首相が観光立国を高らかと宣言し、それに呼応するように北海道新幹線を前倒しで整備する。客観的且つ冷静に第三者の立場で捉えた場合、総力戦研究所が推すのは室蘭・苫小牧・千歳経由である。当時外相だった東条英機は日米開戦シミュレーションの結果報告に対し以下ように一蹴する。

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◆棚田のような小刻みな段差の斜面を伝う旧国道

日露戰争で勝てるとは思はなかつた。然し勝つたのであります。勝てる戰争だからと思つてやつたのではなかつた。戰といふものは、計畫通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がつていく。

意外裡、この不確定要素満載の根拠無き自信が国家存亡の危機を招いた事は周知の通りで、だからといって軽々しく変更し難い現場の空気が蔓延しているのも事実。そこから倶知安経由は前に進む為の捨て石という見方が出来なくもない。

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