教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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礼文華峠(9)

★★★★

礼文華峠(れぶんげとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。長万部から豊浦にかけて大小連なる複数の峠の総称で、それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、筆頭格にして総大将と目されるのが礼文華峠である。かつては死を意識するほどの恐ろしく逝かれた山道であったが、歴史道として再認識されて以降整備が著しく、今では尤も探訪し易い楽勝コースと化している。それが良いのか悪いのかは人それぞれであるが、存在自体がほぼ否定されたに等しい完全廃道時代から、有志による刈り払いが実施された浅藪時代を経て、ハイキングコース化した現在に至るまで武四郎宜しく向こう三度に亘り路の変遷を垣間見た僕なりの視点で、この峠の酸いも甘いも語り尽くす。

 

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◆平成新道の頂上手前にある黒松内と長万部の町界

現在は礼文華橋&小幌橋による空中回廊が確立されているが、その昔は山肌を丁寧になぞる地続きの路であった。礼文華隧道を抜け出た旧道は、礼文華トンネル坑口付近で一旦現道と重なるも100mも経ずに分離する。そして再び深々とした樹海に行く手を遮られる。

その交点から頂上に至る区間も、アスファルトを引っ剥がし植林された人工林だ。その形跡は現道から眺めると一目瞭然で、同年代に植林された植物群の丈は足並みを揃え、断層の如し境界線が斜面にはっきりと浮かび上がっている。勿論昭和道を意識しなければ見過ごすレベルにある。

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◆町界付近より息を吹き返す昭和新道の残骸

指摘すれば誰もが昭和新道のそれと認識出来る軌跡であるが、そうでなければドライバーは完全スルーとなる存在感が限りなく希薄な痕跡だ。元々砂利道であれば踏破する意義はあろうが、平成10年まで供用された真っ当な舗装路であるから、擬物の砂利道に食指は全くと言っていいほど動かない。

擬物という点ではオロフレ峠旧道も同じだが、砂利道がデフォの時代があったか否かという点で両者は異なる。オロフレ峠旧道は未舗装で開通し長らく砂利道の時代が続いた。その歴史を踏まえた上で最終形態が舗装路であったのに対し、ここ礼文華峠の昭和道は舗装化が前提の路として産声を上げている。

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◆かつて走行した元舗装路と思うと進入する気になれない

暫定開通時こそ部分的に未舗装路であったと思われるが、それは早期開通を熱望する世論の空気という圧力によるもので、理想は全線舗装済での開業であるのは言うまでもない。何と言っても函館と室蘭を最短最速で結ぶ夢の高規格道路で、時短快適を謳う以上全線舗装化は必然である。

アスファルトが大前提である礼文華峠昭和新道と砂利道時代を経ているオロフレ峠を比べるまでもないが、結果論だけを言えばアスファルトを引っ剥がして自然に帰した擬物の未舗装路という括りにはなる。しかし両者は似て非なる物である事は覆し様のない純然たる事実で、舗装路に挑む意義を僕は見出せない。

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◆鮮明に残る昭和道の追い越し禁止のセンターライン

一介のライダー時代とは言え、やはり現役時代の昭和道を通り抜けているというのが大きいのかも知れない。昭和道の経験が無ければ別の視点で捉えていた可能性があり、次世代を担う昭和道未経験の若者と同じく踏破意欲が掻き立てられ、密林と化した昭和新道に単車で挑んだ可能性は大いに有り得る。

昭和道に食指が動かない理由は他にも幾つかあるが、元舗装路と並んで筆頭に挙げられるのが曖昧なサミットにある。現道の黒松内と長万部の町界は礼文華トンネルを抜け出た後の長い登り坂の途中にあり、町界=サミットとなっていない点がどうもすっきりとしない。

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◆いつ何時大型車が爆走しても不思議でない現役感

現国道の頭上を伝う昭和道のサミットは辛うじて町界に重なるが、それとて長いトンネルを抜けた後に上昇に転じる不自然さがいまいち釈然としない。礼文華トンネルの直上付近に峠が位置するのに、サミット=洞内とならないのは不自然極まりない。峠のトンネルを抜け出ると普通は下りに転じるか横這いとなる。

間違っても更なる上昇に転じる事など有り得ない。しかし礼文華峠は昭和新道・平成新道共に町界がトンネルよりも随分と高い位置にある。その為礼文トンネル・礼文華トンネル共に峠のトンネルというよりも登り途中のトンネルという印象が強く、さあ下りだと歓喜に沸くチャリダーは奈落の底に突き落とされる。

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◆昭和新道と平成新道の交点が事実上のサミット

洞内でも最長クラスのトンネルを抜け出たというのに、そこからの結構な登り坂に愕然とするに違いない。そこにはちょっとしたカラクリがある。国道は洞内で確実に町界を跨いでいる。長万部と豊浦の町界を越えているのだ。その頭上には旧道の峠道があり、トンネルを抜け出た時点で峠越えを果たしている。

礼文華トンネルの東側坑口までは登り一辺倒であるから、礼文華トンネルより東側は非の打ち所がない真っ当な峠道を形成している。問題は西側だ。頭上から降下してくる旧道に対して新道が横這いで近付けば何の問題も無かった。しかし実際に昭和道はトンネルを抜け出た直後に跳ね上げで処理している。

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◆現代の礼文華峠と言ったらこの交点付近を指す

設計者の意図的か否かは定かでないが、新旧道のドッキング地点は黒松内と長万部の町界に重なり、さも現場が峠のような立ち振舞いで多くのドライバーが錯覚する要因となり、追随した平成新道も曖昧化の一端を担ぐ事になる。

本来の峠は間違いなく礼文華トンネルの洞内にある。現場が先々代の下り途中に位置する事からも疑う余地はない。峠の概念を無視したルート設計は礼文華峠どこ?論争を巻き起こしたが、今日を以て長らく続いた不毛な論争に終止符を打つ。

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