教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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礼文華峠(3)

★★★★

礼文華峠(れぶんげとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。長万部から豊浦にかけて大小連なる複数の峠の総称で、それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、筆頭格にして総大将と目されるのが礼文華峠である。かつては死を意識するほどの恐ろしく逝かれた山道であったが、歴史道として再認識されて以降整備が著しく、今では尤も探訪し易い楽勝コースと化している。それが良いのか悪いのかは人それぞれであるが、存在自体がほぼ否定されたに等しい完全廃道時代から、有志による刈り払いが実施された浅藪時代を経て、ハイキングコース化した現在に至るまで武四郎宜しく向こう三度に亘り路の変遷を垣間見た僕なりの視点で、この峠の酸いも甘いも語り尽くす。

 

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◆意外な盲点となる起点直後に架かる礼文橋

礼文華峠区の車道はざっくりと三世代に大別される。初代の車道はジジババハイカーが大挙して押し寄せる鞍跨ぎの山道で、二代目は初代を踏襲せずゼロベースで敷設された高規格道路で、現道である三代目を構築する際の基軸となった点で、大いに評価されるべき尊い存在である。

だが現実は始めから無かった事にしたいとの思惑が、ひしひしと感じられるほど完璧な形で封印されている。現道を走行中に二代目が勝手に視界に飛び込んでくるほど甘くはない。その逆で意識を集中しても形跡が捉えられないのが実情で、その存在は年を追う毎に不確かなものとなりつつある。

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◆ここ数年内に刷新されたと思われるシンプルな橋梁

僕が旧廃道に目覚めた頃は二代目の足跡は鮮明で、初代隧道の坑口は残念ながら塞がれてはいたものの、そこへ至るアプローチは容易であった。しかし今その道筋は予め古地図等で線形を把握していないと、山肌か道路跡かが判別不能なほどすっかり自然に還っている。

二代目の峠道を辿る事が限りなく困難な状況となっている中で、僕は峠区の起点付近で奇異なものを見付けてしまう。チャシ峠区と礼文華峠区を隔てる道道609号線との交点直後にそれはあった。礼文華川を跨ぐ礼文橋、そこに備わる銘板にはあってはならない驚愕の数字が彫り込まれていた。

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◆何故か銘板には昭和38年10月と刷られている

プレートには昭和38年10月と掲げられている。パッと見ここ何年かに設置されたであろうほぼほぼ真新しい橋は、意匠より機能重視のシンプルな構造で、そいつは誰がどう見ても平成産、それも二桁のものだ。

なにの昭和38年ってどんだけ〜!

鉄筋入りの純白に等しいコンクリート基礎に、鋼鉄製の欄干が備わる簡素な造りの橋梁は、道路工事に携わる関係者は勿論、一般の通行者目線でもそれが半世紀前の代物でない事は直感的に分かる話だ。

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◆登坂車線を増設中の東側の上り途中に仮設事務所

嗚呼それなのに銘板には昭和38年と刷られている。我々の視界に映る橋梁そのものは明らかに平成産なのに昭和中期を謳っているという事は、表面では窺い知れない土台が当時のままである可能性が大で、恐らく迂回路が無いので部分改修に留まっているのだろう。

本当は一旦橋を落として新橋を架設する全面リニューアル、もしくは旧橋を放置して左右どちらかに橋を新設する等のプランもあったかも知れない。しかし現実として導入されたのは二代目の遺構を大規模リノベーションで二次利用する新築そっくりさんプランであった。

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◆美乃覆洞の手前に認められる砂利敷きの膨らみ

今我が国は高度経済成長期に産み落とした様々な道路付帯設備の刷新を迫られている。当時のコンクリートの寿命とされた耐用年数を間もなく迎える、或いはとっくに過ぎている危うい構造物が生活道路の一部として酷使され、それらはいつ何時崩壊してもおかしくはない状況にある。

予算の都合や通行止に出来ない等の個々の台所事情で刷新が追い付いていないのが実情だが、今月は橋桁の一部を強化して来月は欄干を付け替える。そうやって片側一車線の交互通行にて部分改修を進める礼文華ヒットパレード大作戦は、余所も見習うべきしたたかな工法である。

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◆美乃覆洞の外側を併走する非舗装化された先代の藪道

またこの業界的には遺構の温存や再利用といった点で礼文橋は評価出来る。表面上の容姿は一変したものの構造体としては基礎部分が昭和38年当時のままで、礼文橋が今回のリニューアルによって更なる年輪を重ねるのは必至で、もう半世紀踏み止まって百年選手なんてのも夢ではない。

もしも平成の改修で竣工年が改修年に書き換えられていたならば、礼文橋の還暦や百寿を祝う事は叶わない。しかし関係者はやってくれた。竣工当時の年月をプレートに刻む事で礼文橋百年祭のイベントも叶姉妹で、その祝祭はそっくりそのまま二代目の礼文華峠道を祝う催しでもある。

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◆車両一台分が刈り払われダブルトラックが認められる

巷では昭和41年に路線切替が行われたとされる礼文華峠は、昭和30年代後半にはその片鱗が認められ、竣工から逆算して導き出される山道全体の起工日は、昭和35年前後、或いはもっと前に遡ったとしても不思議ではない。

礼文橋の銘板、それ自体は取るに足らない些細なものである。しかしそこから読み解く峠道変遷の背景は奥深く、膨らまそうと思えばいくらでも膨張させる事が出来る。情報が持つ価値は読み手次第で如何様にも変わる好例だ。

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