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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>北海道>チャシ峠 |
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チャシ峠(15) ★★★★ |
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チャシ峠(ちゃしとうげ)の取扱説明書 猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。その完全制覇を試みるにあたり外せない区間がある。それがチャシ峠だ。恐らくドライバーの十中八九は現場が峠越えである事実に気付いている。しかしそこに峠名を配した地図は皆無に等しく、その他諸々の書物に於いても完全スルーを決めている為、一般にチャシ峠が公然と語れる事は無い。しかしこの峠抜きに礼文華山道は語れない。道路・鉄道共に難所の痕跡は随所に垣間見られ、長大山道の一角を成す難コースという現実を認めざるを得ない。現場は一時代前の北海道の道路事情を今に伝える格好の舞台で、礼文華峠と大岸峠の中継ぎというよりもチャシ峠そのものが主役級の逸材で、この報告書によって我々はチャシ峠がけして脇役でない事を強く意識するだろう。 |
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◆礼文市街地より美の岬に延伸する二車線の快走路 松浦武四郎の助言 明治2年6月5日、新政府に対し東本願寺より出願が提出される。内容は(1)新道切開、(2)農民移植、(3)教化普及の三点に集約されるが、甲乙共に重要且つ急務であったのは(1)の新道切開であるのは言うまでもない。 アイヌが細々と分布する脆弱な基盤の北の大地に、和人を大量に送り込み日本国の領土を確固たるものにするのも重要な施策であるが、それには入植する為の道が無ければお話にならない。全ては道路があっての政策なのである。 |
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◆かつての線路跡に設置された道道のキロポスト そこで登場するのが北海道の名付け親にして北の大地の酸いも甘いも知り尽くした松浦武四郎である。北海道と命名されて間もない北の大地に、右も左も分からない本土の僧侶がいきなり乗り込んで、一体全体何が出来るというのか。勢いだけで挑めば良くて単なる踏破、下手すれば遭難し計画は未遂に終わる。 江戸時代に五街道を筆頭に間道に脇道と縦横無尽に繋がる道路網が確立された本土とは訳が違う。その事を誰よりも承知しているは武四郎本人であり、氏の助言無しに渡道したところで大した成果は得られない。また露の侵攻を水際で食い止めたい政府側にしても失敗は許容出来ない。 |
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◆視界前方に礼文市街地及び漁港を捉える 甲乙共に失策が許されぬ状況下で、北の大地を熟知した第一人者が登場しない方がどうかしている。かくて東京の開拓支庁にて東本願寺の重鎮が武四郎と面会し、どの経路を拓くのが有用であるのか的確な助言を授かった。その際武四郎が強く推したのが札幌と尾去別を結ぶ中山峠である。 これが一般に流布する通説で中山峠のみがクローズアップされる訳だが、政府の主たる目的は函館と札幌を結ぶ幹線道路の敷設にある。その際当時蝦夷三大難所に数えられた礼文華山道が議題に挙がらなかったとしたら不自然極まりない。何故なら大地に根付く道路という既成事実が重要であるからだ。 |
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◆美の岬の始まりの岩壁に謎の階段を捉える その当時の移動手段としてポピュラーなのは、森⇔室蘭を船で移動する噴火湾ショートカットコースで、イザベラバードも往路限定ではあるが海上ルートで北上している。移動手段の安全性や確実性という意味では海上コースに分があるのは理解出来る。しかしそれは木を見て森を見ていないのと同じだ。 主目的を見落としてはならない。政府の目的は国防である。船で渡った方が楽とかいう次元の話ではない。未開の大地に幹線道路を敷設するのが目的で、最終ミッションは網目の如し道路を張り巡らせる事にある。だとすれば礼文華山道が議題に挙がらない方がおかしい。 |
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◆かつての崖上道に通じる階段と場所的には一致する 僕の経験上あそこは大変だからスルーした方がいいよ、などと武四郎が僧侶にアドバイスするであろうか?馬鹿な、そんなはずはない。北海道をロシアに占領されるか否かの一大事という背景を踏まえれば、道路もしくは鉄道の既成事実を早急に確立したいと望むのが自然だ。 国防の観点から道路網や鉄道網の発達は不可避で、船で移動した方が早いとか楽だというのはあくまでも民間思考であって、対露政策で物事を捉えた場合礼文華山道の改修もしくは新設は、絶対であり急務であるとの解釈が妥当である。従って三大難所だからスルーというのは有り得ない。 |
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◆ミスターは現在の階段が昔の階段の付替と主張する 三大難所だからこそそれをどう克服するのかを考えるのがお上の役目で、それに向こう三度に渡り難所を越えた武四郎は、住民が海岸道路の成立を強く望んでいる事も承知している。それを敢えて伏せる道理などない。政府の思惑と僧侶の救済支援の精神と武四郎の助言は完全に一致する。 そこから導き出されるのは美の岬の岩場に板橋等を架け、チャスとチャシに穴を穿つ新道の敷設に他ならない。即ちチャシ新道の成立である。 チャシ新道(海岸道路) |
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◆JRの礼文浜トンネル上にも長い階段が認められる 幸いチャシもチャスも距離が短い。将来の車道を見据えたものではなく、あくまでも突貫で仕上げる暫定的な人馬道であるから、僧侶は要となる穴だけをざっくりと開け、取付道等の付帯設備は村人に託した可能性も否定出来ない。 風穴は開いた、しかし海岸道路の成立には更なる時間を要した。それであればバード女史が新道の竣工に間に合わなかったという見方も出来る。事実本願寺道路は103kmに及ぶ長距離をたったの1年ちょいで仕上げているのである。 チャシ峠16へ進む チャシ峠14へ戻る |