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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>北海道>チャシ峠 |
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チャシ峠(14) ★★★★ |
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チャシ峠(ちゃしとうげ)の取扱説明書 猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。その完全制覇を試みるにあたり外せない区間がある。それがチャシ峠だ。恐らくドライバーの十中八九は現場が峠越えである事実に気付いている。しかしそこに峠名を配した地図は皆無に等しく、その他諸々の書物に於いても完全スルーを決めている為、一般にチャシ峠が公然と語れる事は無い。しかしこの峠抜きに礼文華山道は語れない。道路・鉄道共に難所の痕跡は随所に垣間見られ、長大山道の一角を成す難コースという現実を認めざるを得ない。現場は一時代前の北海道の道路事情を今に伝える格好の舞台で、礼文華峠と大岸峠の中継ぎというよりもチャシ峠そのものが主役級の逸材で、この報告書によって我々はチャシ峠がけして脇役でない事を強く意識するだろう。 |
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◆近い将来道路トンネル化が予定されている岩見隧道 バード女史は往路を船で噴火湾を横断している。従って礼文華山道の踏破は復路のみの一発勝負となっている。彼女が通った軌跡には人為的に掘削された道路隧道は皆無に等しい。人や物が往来する為の道路隧道の掘削禁止令が解かれて間もない頃であるから、当然と言えば当然だ。 ただライン上にその当時唯一存在したとされるのがタッコブと岩見の二洞で、道程のほぼ全てに於いて御天道様を拝んでいるであろう彼女が、昼尚真夜中の如し漆黒の闇に包まれる事態は非日常であり、周囲の植物等を具に観察している彼女がその事に触れないというのは余りにも不自然だ。 |
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◆新設の防波堤が設置済で線路跡も消え失せる運命 となると普通に考えて彼女は崖上ルートを迂回した事になる。蝦夷時代から余程条件が揃わない限り山越えが定石ルートであったから至極自然な成り行きとも思えるが、腑に落ちないのは連続する二つの洞門の成立によって海岸ルートに覇権が移っていたと推察され、それに逆行する点に首を傾げざるを得ない。 二つの穴は開けたんであとは宜しく。一堂解散!みたいなシーンも無きにしも非ずだが、穴開けっぱなでトンズラというのはちょっと考え辛い。やはり前後の取付道もセットで敷設するのが常識で、竣工が明治2年か3年かは置いといて明治一桁には海岸道路が本線を名乗っていたと考えるのが自然だ。 |
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◆路肩は海側に迫り出し改修後は線路跡を丸呑みにする バード女史の通過が明治11年である事を踏まえれば、やはり彼女は薄暗い人道隧道を潜ったとの解釈が妥当であるが、手記のどこを見渡してもそれらしき表現は見当たらない。やはり彼女は美の岬の崖上を越えたのであろうか?だとしたら何故二つの洞門は生かされなかったのであろうか? 浮上する幾つかの仮説で筆頭と目されるが洞門未開通説である。考えてもみて欲しい、明治2〜3年は世の中の森羅万象が江戸時代を引き摺ったままの状態で、まだ散髪脱刀令も廃刀令も発せられていない時分で、これまでの日常と何一つ変わっていないというのが実態であろう。 |
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◆旧国道と旧室蘭本線と新道道の擁壁の競演 見た目にはほぼほぼ江戸時代という渦中にあって、果たしてこのような辺境の地に人馬往来に供する洞門が穿たれたであろうか?と考えた時、常識人であれば疑問を抱かざるを得ない。だがその常識を打破する事象が認められるのも事実で、頭ごなしに二洞の竣工を否定出来ない側面がある。 明治2〜4年という極めて早い時期に、北海道を代表する長距離路線の片鱗が現れる。札幌から中山峠を越え尾去別に至る本願寺道路がそれだ。 本願寺道路(現在のR230) |
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◆1.5車線から歩道付二車線へ拡張される海岸道路 古来朝廷に忠誠を誓い多額の献金をしてきた西本願寺に対し、東本願寺は徳川家との結び付きが強かった。その癒着が仇となったのが明治維新で、新政府軍の勝利がほぼ確実視される中で、左幕派と見做された東本願寺は廃仏毀釈の対象となり、存続の危機に晒される。 そこで強きを助け弱きを憎むタケちゃんマン思想に則り、幕府を裏切り朝廷に鞍替えする事で廃寺の危機は免れた。しかし勝ち馬に乗ったはいいが一朝一夕に薩長側の信頼を得られるはずもなく、東本願寺は新政府への忠誠を誓うべく自ら北海道の道路開削を申し出る。 |
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◆昭和初期製の石垣も地中に埋もれる運命にある ロシアの南下政策に対し北海道の開拓は急務とする政府と、新政府への信頼を勝ち取らんと躍起になる東本願寺の利害は完全に一致した。東本願寺の僧侶は津軽海峡を除くほぼ全てを陸路に頼り、北の大地を目指した。このほぼ全ての移動手段が陸路という点がミソだ。 その当時の札幌⇔函館の移動手段は噴火湾をショートカットするのが常で、バード女史も往路は森から室蘭へ船で移動している。しかし北海道の開削が目的で上陸した僧侶は、陸路を伝い道路を拓きながら札幌を目指した。尾去別に至る過程で当然の如し礼文華山道の難所が立ちはだかる。 |
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◆礼文市街地側は既に二車線の拡幅工事が完了している その際美の岬の難所と対峙したのは確実で、海岸道路の開通を望む村人からの陳情もあったかも知れないが、それ以上に彼等は礼文華山道を無視出来ない特別な事情があった。遠征前に松浦武四郎よりアドバイスを授かっていたのだ。 向こう三度に亘り礼文華のゲロ道を踏破した武四郎が、海岸道路開削の助言をしたとしても何等不思議でないし、氏がこれを機に海岸道路へ覇権を移す事を強く望み、それが二洞開削の動機であったとしても何等不自然ではない。 チャシ峠15へ進む チャシ峠13へ戻る |