教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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チャシ峠(11)

★★★★

チャシ峠(ちゃしとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。その完全制覇を試みるにあたり外せない区間がある。それがチャシ峠だ。恐らくドライバーの十中八九は現場が峠越えである事実に気付いている。しかしそこに峠名を配した地図は皆無に等しく、その他諸々の書物に於いても完全スルーを決めている為、一般にチャシ峠が公然と語れる事は無い。しかしこの峠抜きに礼文華山道は語れない。道路・鉄道共に難所の痕跡は随所に垣間見られ、長大山道の一角を成す難コースという現実を認めざるを得ない。現場は一時代前の北海道の道路事情を今に伝える格好の舞台で、礼文華峠と大岸峠の中継ぎというよりもチャシ峠そのものが主役級の逸材で、この報告書によって我々はチャシ峠がけして脇役でない事を強く意識するだろう。

 

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◆美の岬の一部は素人でも容易く歩けそうな場所もある

明治2年に穿たれた二つの穴

俄かには信じ難いが豊浦町発達史にはそのような記述が認められる。またミスターも年代は不確定としながらも、礼文と大岸の間に古隧道があったのは間違いないという。これはセンテンススプリングもまっ青の一大スクープである。

江戸時代の終焉からたったの二年しか経過していない時分に、このような僻地に隧道が穿たれたのだとしたら、道路トンネル史上最上位にランクされる大変貴重な遺構という事になる。もしもそれが事実であるならばの話だが。

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◆一部を除き美の岬区の見通しはそれほど悪くはない

チャシ峠という存在が確かなものとなっただけでもネタとしては必要にして十分だが、チャシ峠区には鉄道と道路の旧トンネルが存在する上に、北海道でも一二を争う古洞が実在する可能性をも秘めているというポテンシャルの高さは、流石蝦夷三大難所に数えられる秘境だけの事はある。

そう言えばこの界隈には秘境駅で名高い小幌駅もあり、何気に秘境度は群を抜いているという見方も出来る。ただ単に海岸線を通過するのが勿体無いほどに、このエリアはネタに事欠かない萌えルートなのかも知れない。さて明治黎明期に産声を上げたとされる二つの穴はどこにあるのだろうか?

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◆チャスの先端に謎の穴蔵を捉えるも勘違いに終わる

普通に考えるとチャシとチャスに穿ったと捉えるのが妥当で、僕は間髪入れずに旧旧トンネルの在り処を探るべく今来た道を舞い戻る。すると早速チャスの先端付近に高さ5m、幅2m弱の穴蔵を捉えた。これか!と思ったらそいつは隧道でも何でもなく、天然の侵食により自然に出来たと思われる窪みであった。

そいつは波打ち際から10m前後奥まった箇所にあり、時期的に人道トンネルであろうし初代のトンネルとしては位置は適当と思われる。従って何の疑いもなく縦長の穴へ近付いた訳だが、反対側が見えないのは勿論塞がれた形跡もなく、残念ながらチャスの初代隧道は未発見に終わった。

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◆最狭区を除けば幅員はある程度確保されている

その後もチャスの岩塊を裏表共に丹念に調べたが、残念ながらそれらしき物の発見には至らなかった。チャシには何等かの物証が認められるかも知れない。そんな淡い期待を抱きつつチャシに向かうも、これまた隧道らしき穴は影も形も見当たらず、全くの不発に終わる。本当にあんのかそんなもん?

僕は鼻から存在そのものを疑っていた。明治2年が竣工年であるならば、起工は当年もしくは前年即ち明治元年と考えられ、下手こくと慶応年間から掘削していた可能性も否定出来ない。仮に突貫で仕上げたにしても計画⇒出願⇒認可⇒着工のタイムラグを踏まえれば、明治2年度内での完結は至難の業だ。

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◆旧室蘭本線の岩見隧道のスノーシェッドを右手に捉える

明治元年は慶応4年とイコールで、1月1日から9月8日までが慶応4年、9月9日から12月31日までが明治元年、即ち明治元年とは実質4カ月弱しかなく、その年の大方は江戸時代と思って差し支えない。となると竣工が明治元年であるとすれば、それは慶応年間を多分に含んでいる可能性を排除出来ない。

仮に計画段階で特に不備もなくスムーズに事が運んだとしても、不慣れなはずの道路隧道を一年以内の短期決戦というのはどうにも納得がいかない。範囲を明治2年度内に拡大しても一年と数カ月という短期、しかも二つの穴を掘削するのであるから、同時進行にしてもそれなりの期間を要するはず。

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◆かつて室蘭本線と国道が平面交差していた踏切跡

そうなると益々江戸時代を起源とする隧道の可能性があり、そう簡単にあるはずのない江戸ッチャーに行き着いてしまうチャシ峠の二つの古洞への見方は懐疑的にならざるを得ない。竣工年に関しては甚だ怪しいものがある。但し存在自体は不確かなものではないようだ。

何故なら北海道道路誌にもその存在が記されているからだ。北海道道路誌と言えば道路業界の聖書云わばバイブル的存在で、そこには岩見隧道並びにタッコブ隧道の二洞の存在が記され、共に明治3年竣工とされているのである。

岩見隧道&タッコブ隧道

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◆洞内で曲がっている為か対向の光が見えない岩見隧道

明治2年と明治3年、たった一年されど一年である。道路トンネル黎明期に当たるこの時期の一年は神経質にならざるを得ず、可能性が限りなくゼロに近付く事もあれば、一年ずれただけで可能性が飛躍的に高まる場合もある。勿論本件は後者だ。

僕は“二つの”という具体性を帯びている点に注目する。単に礼文と大岸の間に隧道があったという表現であれば存在自体にクエスチョンが付く。しかし二箇所と言われてしまうと説得力はぐっと増す。何故ならチャシとチャスの二大障壁に重なるからだ。

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