教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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チャシ峠(10)

★★★★

チャシ峠(ちゃしとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。その完全制覇を試みるにあたり外せない区間がある。それがチャシ峠だ。恐らくドライバーの十中八九は現場が峠越えである事実に気付いている。しかしそこに峠名を配した地図は皆無に等しく、その他諸々の書物に於いても完全スルーを決めている為、一般にチャシ峠が公然と語れる事は無い。しかしこの峠抜きに礼文華山道は語れない。道路・鉄道共に難所の痕跡は随所に垣間見られ、長大山道の一角を成す難コースという現実を認めざるを得ない。現場は一時代前の北海道の道路事情を今に伝える格好の舞台で、礼文華峠と大岸峠の中継ぎというよりもチャシ峠そのものが主役級の逸材で、この報告書によって我々はチャシ峠がけして脇役でない事を強く意識するだろう。

 

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◆旧室蘭本線岩見隧道西側付近よりチャシを望む

文学碑公園の正面までは目の前に砂浜が広がるが、そこを過ぎた途端に石ころだらけの歩き難い状態に変化し、瞬く間に海岸線は鋭利な岩盤が剥き出しの磯浜と化す。裸足で歩いたら血だらけになりそうな磯エリアは、徒歩で通行するにはそれなりの準備と覚悟は必至だ。

チャシを乗り越えチャスを俊足でかわしたにしても、流石に美の岬エリアは超の付く鈍足にて慎重に通行する事を余儀なくされる。一定の荷物を背負っているであろう旅人にとって磯浜は、難易度の高いハードなコースと言っても過言ではなく、踏分道や刈分道が可愛く見えるほどだ。

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◆文学碑公園を過ぎて以降は警戒標識のオンパレード

しかも行く手にはなんじゃこりゃ的な岩塊が、これでもかというくらい無慈悲に連なる。旧国道は岩塊の一部を粉砕し、何の苦もなく通過出来るように仕立てているが、昔の人は遥か足元の波打ち際を伝っていたと思われ、時化の日には波をもろに被っていたなんてシーンが想像される。

持参する道具のほとんどが水浸しになるほど悲惨なものはない。生活道具一式を肌身離さず持ち歩き、基本的に雨の日も風の日もテント暮らしを余儀なくされる僕は、当事者の気持ちが痛いほど分かる。家で言ったら床上浸水したくらいの悲惨さで、今なら激甚災害に指定されてもおかしくない悲劇だ。

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◆落石注意するにも防ぎ様のない天嶮の急崖が続く

蝦夷時代の人々が本当にこの奇岩奇勝ルートを辿っていたとしたら、コースミスも甚だしいと言わざるを得ない。現代人は安心安全な路上から波打ち際を達観出来るが、当時は必死の形相で打ち寄せる波を避け、四肢を駆使して磯浜を横這いに進んだのであろうか?

美の岬エリアの磯浜を克服出来るのであれば、チャシも海岸線回りで何とかなりそうな気もするが、立ち泳ぎでも足が付かない深淵に囲まれているから、やはりチャシは馬背を乗り越えねば成立しそうにない。ただ美の岬の磯浜も負けず劣らずの劣悪さで、本当に磯浜を通過していたのかは甚だ疑問だ。

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◆奇岩の合間を縫う様にして進む狭隘路と化した旧国道

現場は御覧の通り四肢を駆使しても乗り越えられそうにない岩塊が連なっている。トップバッターの巨石だけでも克服するのは至難の業で、後方には更なる大物が幾つも控えている姿を目の当たりにすれば、大の大人でも嫌になって引き返してしまうくらいの威圧感がある。

平然と突き進んで行けるのは安全が担保された車道があるからで、岩場を歩けと言われたら誰もがドン引きするであろう事は間違いない。当時は美の岬経由が不可避であったと言われてしまえばそれまでだが、現場を見る限りこの岩場を通行していたとは到底思えない。

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◆江戸年間の礼文より美の岬方面を捉えた絵図

チャシを鞍跨ぎしていたのであるから、美の岬も遥か頭上の高台を行き来していたとしても何等おかしくはない。事実そのようなコースを辿っていたのだとミスターは語る。コースの全容は詳らかとなっていないとの前置きをした上で、氏は最古の路が美の岬を迂回していたのだと断言する。その証拠がこれだ。

これは松前藩時代に描かれたとされる当地の絵図で、絵の象徴とも言えるゴツゴツとした岩場が美の岬で、手前にある番屋のようなものが礼文市街地の外れであるという。そこから岩場を避けるようにして長い階段が山上へと続く様子が描かれている。かつてはそこを上り下りしていたのだとミスターは語る。

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◆巨大な岩塊を打ち砕いた元隧道でもおかしくない掘割

つまりこういう事だ。大岸を発った旅人はチャシを鞍跨ぎし、チャスを小走りで駆け抜け、美の岬を高台でやり過ごし、階段で礼文ヘと降り立ったのだと。何ともアップダウンの激しい変則パターンであるが、絵図が存在する以上その昔は上り下りを繰り返す形で難所を克服していたのだろう。

であれば納得もいく。流石に波がガンガン打ち寄せる不安定な岩場を歩き続けるのは正気でない。しかし僕は見逃さなかった。絵図には赤字で但し書きが記されている事実を。

汐干ニハ海岸通リヲコシ

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◆美の岬の奇岩を目当てに休日は結構な交通量がある

マジか!その昔アイヌは干潮時という限定的ながらも、この岩場を伝って横這いに進んでいた。どんだけタフなん?当然岩塊を砕いて造成した現在の路は影も形もないから、本当に波打ち際すれすれの岩場を這う様にして進んでいたという事になる。

しかも潮の満ち引きに左右される時限ルートには、僕等の想像を遥かに超える決定的な道跡が存在するという。それが海岸道路に穿たれたとされる二つの穴で、驚くなかれ竣工はな・な・な・なんと明治2年であるという。

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