教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>旧道>北海道>チャシ峠

チャシ峠(2)

★★★★

チャシ峠(ちゃしとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。その完全制覇を試みるにあたり外せない区間がある。それがチャシ峠だ。恐らくドライバーの十中八九は現場が峠越えである事実に気付いている。しかしそこに峠名を配した地図は皆無に等しく、その他諸々の書物に於いても完全スルーを決めている為、一般にチャシ峠が公然と語れる事は無い。しかしこの峠抜きに礼文華山道は語れない。道路・鉄道共に難所の痕跡は随所に垣間見られ、長大山道の一角を成す難コースという現実を認めざるを得ない。現場は一時代前の北海道の道路事情を今に伝える格好の舞台で、礼文華峠と大岸峠の中継ぎというよりもチャシ峠そのものが主役級の逸材で、この報告書によって我々はチャシ峠がけして脇役でない事を強く意識するだろう。

 

DSC06987.jpg

◆峠道の起点となる大岸駅前の草野商店

現在の国道筋は豊浦インターから内陸部を真西に向かい、樹海の真只中を貫く山岳道路は全くと言っていいほど景観に恵まれない。その代わり礼文と大岸の間を最短最速で駆け抜けられる。その線形は市街地を避けるバイパスそのものだ。事実そのコースは新国道として昭和40年代初頭に成立している。

ではそれ以前の在来国道はどこをどう伝っていたのか?現在の地図を見れば一目瞭然であるが、室蘭本線と付かず離れずで並走する道道がある。それが所謂旧国道筋であるのだが、僕は長らく現国道筋に絡み付く古道筋に狙いを定め、いつかきっと捉えてみせるという思いでいた。

DSC06988.jpg

◆駅前を西進すると直ちに人家は途切れ荒涼とする

旧国道が一度海岸線に出るというシナリオを完全に否定するのではなく、それはそれでアリとしても最古の馬車道は険しい海岸線を避けていたのではないかという想定の下、旧旧道が大岸隧道直上の稜線を直に跨いでいる可能性を見出し、その存在を常に意識していた。

ところがミスターによって僕が思い描いていたピクチャーは、あっさりと否定されてしまう。そんなんねーよ、と。およよ!僕が大事に温めてきた構想を軽く一蹴する無神経さに一瞬イラッとしたものの、やはり氏無くして当報告書は成立し得ないという現実がある。その為今回はライダーキックで水に流す事にする。

DSC06989.jpg

◆海と低山の間の北海道らしい直線路がしばらく続く

氏によると道道608号大岸礼文停車場線がそっくりそのまま旧国道筋であるという。大岸隧道を筆頭とする現在の国道沿いに古道筋が存在しない以上、否が応にも海岸線に注目せざるを得ない。尤も順当にいけばいの一番に海岸線に行き着く訳で、毎度無駄足を踏むのは妄想族の悲しい性である。

それでも僕はこれからも無駄足を踏み続けるだろう。入念且つ用意周到な下調べの下、現場へ急行したら効率の良さこの上ない。ホイホイサクサクと調査は進むであろうし、鼻から海岸線に狙いを定め徹底究明すれば、それなりの収穫が得られ一件落着と相成る。しかし僕にはそれが出来ない。

DSC06993.jpg

◆室蘭本線と立体交差で入れ替わり海岸伝いに踊り出る

一に現場、二に現場、三四が無くて五に現場が基本で、先入観に囚われない大いなる妄想を軸に、市場には出回らない民の声に耳を傾け、そこから如何様にも解釈が出来る妄想ビッグバンに突乳する。まだ成否が詳らかとなる前の悦に入るこの瞬間が堪らない。

大岸隧道の直上には知られざる洞門があり、現代人のほぼ全てがその事を知らずにいる。ナハ・ナハ・ナハ!妄想ビッグバンは∞であるから基本何でもアリだ。江戸時代に試し掘りした幻の隧道なんてのもOK牧場で、仮説はどれほど大胆であっても誰にも迷惑をかけない。

DSC06992.jpg

◆道道沿いには海水浴客用の大規模な駐車場が備わる

波飛沫を避け波の引き際を見計らって素早く移動する。しかし中には波に浚われ二度と戻って来ない者もいた。海岸道路ではそういった昔話は枚挙に暇がない。海岸沿いを伝う道道608号線が旧国道であるにしても、それ以前は険阻な海岸伝いを避け内陸部に活路を見出したとしても何等不思議でない。

僕が大岸隧道の周辺に古道筋を見出したのも全く根拠のない話ではなく、現場が蝦夷地三大難所に数えられる以上、当時の人々は理に叶った経路を辿るはずで、そうなると矛先が樹海の奥深くへと向いたとしても違和感はなく、逆に僕には至極当然の事のように思えてならなかった。

DSC06994.jpg

◆正面に聳える岬の付け根をトンネルで克服する旧国道

その仮説が大きく間違っている訳ではないとミスターは語る。しかし安直過ぎるとも。確かに現国道筋は海岸と非接触の完全なる山岳道路となっている。その起終点は礼文市街地並びに大岸市街地と干渉しておらず、古道筋を見出すにしてもかなり無理がある経路と指摘されても致し方ない。

ならば礼文と大岸を結ぶ最古の古道筋はどこをどう伝っていたのだろうか?ミスターは語る、海岸伝いに聳える低山の中腹辺りを伝っていたのだと。その経路には障害となる馬背が海上に迫り出す形で立ちはだかっていたのだと。海上に迫り出す馬背、それが正面に居座る巨大な岩塊だ。

DSC06995.jpg

◆馬背と呼ばれる岩塊の稜線がターゲットのチャシ峠

確かにこいつは難所だ。道路も鉄道もトンネルをぶち抜く事で障害を克服している。昔はこの馬背を鞍跨ぎする形で人々は右手斜面を上り下りしていたという。この現場をアイヌはチャシと呼び、和人はチャシ峠と名付けた。

この左肩下がりの岩塊がターゲット?つまらん!一瞬でもそう思ったとしたらしめたものだ。何故なら現況と過去の実態とのギャップが、僕等の探究心を擽るに必要にして十分な破壊力を備えているからだ。

チャシ峠3へ進む

チャシ峠1へ戻る

トップ>チャシ峠に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧