教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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チャシ峠(1)

★★★★

チャシ峠(ちゃしとうげ)の取扱説明書

猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道。その完全制覇を試みるにあたり外せない区間がある。それがチャシ峠だ。恐らくドライバーの十中八九は現場が峠越えである事実に気付いている。しかしそこに峠名を配した地図は皆無に等しく、その他諸々の書物に於いても完全スルーを決めている為、一般にチャシ峠が公然と語れる事は無い。しかしこの峠抜きに礼文華山道は語れない。道路・鉄道共に難所の痕跡は随所に垣間見られ、長大山道の一角を成す難コースという現実を認めざるを得ない。現場は一時代前の北海道の道路事情を今に伝える格好の舞台で、礼文華峠と大岸峠の中継ぎというよりもチャシ峠そのものが主役級の逸材で、この報告書によって我々はチャシ峠がけして脇役でない事を強く意識するだろう。

 

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◆国道37号線と道道32号線及び道道608号線の交点

ジャジャ!問題です。チャゲ&飛鳥、シャブ&飛鳥、チャシ&飛鳥、さて業界を震撼させる組み合わせはどれ?正解は全てである。い〜まから〜一緒に、これから一緒に、炙りに行こうか〜♪勿論ホルモンとか豚トロとか鮭ハラスですよ。魚と肉以外基本炙ってはいけません。2016年7月3日長年連れ添った相棒のチャゲ氏が荼毘に付した。

名古屋市の東山動植物園は3日、飼育していた雌のジャガー「チャゲ」が肺炎で死んだと発表した。国内最高齢の22歳で、人間の年齢にすると90歳ぐらいという。

悲報、チャゲ様は天国に召されました。合唱

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◆峠道の豊浦側登り途中に接続する礼文チャス林道

チャゲもいない、シャブも断たねばならない、さあ後がないぞどうする飛鳥?でも大丈夫、彼にはチャシがある。彼が遺した実績は偉大で、このままシャブ&飛鳥で終わっていいはずがない。ここチャシでソロとしてゼロから再出発し、もう一度輝きを取り戻して欲しいと願わずにはいられない。ところでチャシって何?

チャシとはアイヌ語で砦を意味する。砦とは本拠地への敵の進入を食い止める要の建造物を指す。チャシとは敵にとっての障害物であり、障害物というからには普通に行き来が出来ない難所、即ち四肢を駆使しても乗り越えられるか否かの危うく険しい道程を想像せずにはいられない。

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◆稜線目掛けてほとんど休みなく登り続ける現国道

事実現国道筋は海岸線を避けるようにして樹海へと舵を切る。その勾配はけして楽ではなく、息を入れさせてくれない坂が頂上まで延々と続く、所謂ダラダラ坂だ。全チャリダーが悲鳴を上げるであろうなかなかの坂道で、余程のーてんきなドライバー以外は確実にそこを峠と意識する仕様になっている。

豊浦方面からだと大岸峠を越えて豊浦インターのある下界へ着地し、そこから再び跳ね上がる線形に二つ目の峠に差し掛かった事を強く意識する。しかし現場を誰も峠とは呼ばない。何故か?それは頂上付近にそれらしきヒントが何も無いばかりか、古地図等を紐解いても大した情報が得られないからだ。

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◆峠は昭和中期製の古風なトンネルで抜けている

頂上はトンネルで抜けていて、稜線を直に跨いでいる訳ではない。従って峠を越した感は希薄かも知れない。それでもトンネルの前後が直ちに坂道となっている為、車両の如何を問わず誰もが難所を実感するはずで、自身の足だけが頼りのチャリダーは大いなる達成感を得られるはず。

この稜線のどこかに旧道が存在するのではないか?僕は長らくそう思っていた。隧道脇に目を凝らし獣道さえ逃さぬ勢いで睨みを利かせたが、とうとうそれらしき道に在り付ける事はなかった。当たり前だ、この峠道は既設線無しのゼロベースで構築した新設ルートなのだから。

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◆礼文側は見通しの良くないカーブが連続する

そんな事も知らずに僕は左右に存在するであろう旧道の片鱗を探し求めた。向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこに居るはずもないのに。少しだけ言い訳をすると、同じ様な環境の大岸峠では現国道に並走する旧道は確かに存在した。余りの高低差に目視が叶わなかったに過ぎない。

ここもそんなんじゃね?と軽く見積もっていた。しかし現実はそう甘くはなかった。松崎淳氏は自著の論文「1級国道37号線隧道の施工について主として大岸隧道について」の中で、「在来国道は幅員4.0m、最急勾配15%の蛇行した山間悪路であって、鉄道の平面交差が7箇所もあり・・・」と訴えている。

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◆左右に目を凝らしても旧道筋らしきものは見当たらない

幅員4.0m、最急勾配15%の在来国道

氏の論文は昭和38年に発表されている。その時分の国道は有効幅が4mで、勾配がMAX15%に及ぶトンデモ国道であった事実を白日の下に晒している。まさに先の大岸峠で目の当たりにした山道の醜態に重なる。

有効幅員が狭く勾配もきつく踏切が7箇所もあり線形は基本的に蛇行している。聞けば聞くほど大岸と豊浦の間に立ちはだかる狭隘山道そのものではないか。それに待ったをかけたのが大岸隧道を筆頭とする期待の新道だ。

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◆国道37号線と道道344号線及び道道609号線の交点

昭和38年現在では在来国道であった旧道は、近代トンネルを筆頭とする高規格道路に付け替えられんとしていた。昔ながらの道筋に並走して新道を敷設するのであれば、複数の人家もしくはその痕跡が認められて然るべきである。

しかし礼文と大岸の間の現国道沿いに人家は一軒も存在しない。では昭和38年当時礼文と大岸を繋ぐ国道はどこをどう伝っていたのか?礼文華山道という刷り込みによって僕は全く予想していなかった。国道が一旦海岸線に出て、再び山岳エリアに潜り込む変則パターンである事を。

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