教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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大岸峠(21)

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大岸峠(おふけしとうげ)の取扱説明書

北海道新幹線開業のニュースが世間の耳目を集めているが、JR北海道が入念な最終チェックをしている時分に、僕は最初で最後の一大プロジェクトに取り組んでいた。猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道の完全制覇である。単車による走破、それも豊浦から長万部まで全て旧道を伝い、しかも半日で一気に駆け抜けるという壮大且つ無謀な試みで、計画の段階で大岸⇔豊浦間が最大の懸案事項と目された。海のものとも山のものとも分からぬ未踏区は、難易度は高いが攻略出来なくはない。出足平峠・豊浜洞・湯内峠の長大山道以来の大長編スペクタクル第一弾、オフケシ峠の衝撃・今宵解禁。尚今度こそR8での峠越えを立証すべく最善を尽くす。下町ロケットアウディ計画トラストミー編、始まります。

 

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◆切り通しを抜けた直後の三叉路を右が本線

久しく目にする極上のフラットダートを見るにつけ、ようやく生きた心地がするのと同時に、視界が大きく開けた事を強く感じた。僕はそこら辺にある平易な山道を彷徨っていた訳ではない。明確な意図と確かな動機を持って敷設された、かつての幹線道路を辿っていたのだと確信する。

切り通しを抜け出た直後は三叉路になっていて、一方は更なる高みを目指して海岸線へと伸びている。その先が気にならないと言ったら嘘になるが、もう一方が下り坂である以上最早そいつは興味の対象ではない。ターゲットは唯一つ、下り坂の行き着いた先に待つ現役の真っ当な車道だ。

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◆ほぼ一車線分の余白を有する余裕たっぷりの山道

舗装路に抜け出るとそこは単なる市町村道で、実は山道の正体は一介の林道でした!みたいなオチも有り得るが、この先に待つのは明らかな幹線道路、それも九分九里二桁の主要国道であると信じて止まない。道中はこれでもかというくらい山襞を縫い進み、蛇行に蛇行を繰り返している。

方角を見誤ってもおかしくはないほど山中を迷走していた訳だが、当山道にはここはどこ?私は誰?とまでは陥らない一貫性があった。海岸線を左手に山道は常に西進していた。道中に180度反転する箇所もあるにはあるが、それは襞の表裏を行き来するもので軌道を大きく変えるものではない。

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◆九十九折のヘアピン以外の多くは見通しが利く直線

山道の軌跡は一貫して西進しており、ざっくりと見れば海岸伝いを西に進行している。それが大きく北側に舵を切ったのが切り通しの直後で、それ以外に明後日の方向へ舵を切った場面など記憶にない。どこかの政治屋宜しく白を切っている訳ではない。本当にそのような場面が存在しないのだ。

山襞を丁寧になぞるので羅針盤は絶えず右往左往している。しかしながら大局的にはほぼ直線的に西進している印象しかない。それが切り通しを抜けた途端左に大きく舵を切ると同時に、山道が西進を躊躇い矛先を北に向けたのだと強く感じた。何故か?切り通し以降山道が行きつ戻りつを繰り返すからだ。

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◆下り坂のほぼ全区間が相互通行を許す5m幅の幅広道

切り通しを抜けた直後のヘアピンカーブは北を通り越して東を向いている。今来た方向へと逆戻りしている形だ。同じ高度であれば単なる方向転換となってしまうが、ヘアピンの高低差は著しくニュートラルでは止まっていられない勾配がある。勾配のある反転、それ即ち九十九折である。

一回の反転であれば山道は豊浦へと逆戻りとなる。高低差がある上に海側を背に樹海の懐へ突き進んでいるので、一度のリバースで済むはずがない。必ずや何処かで山道は再び反転する。そうして西に軌道修正するはず。早くもその瞬間がやってくる。180度超の大反転で山道は迷わず西へと舵を切る。

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◆大型車同士の擦れ違いを許す曲率半径20mのヘアピン

東へ西へと切り返しながら山道は基本的に北向きに進行している。峠から下界へ向け北側の斜面を九十九折で一気に滑り降りる形だ。ヘアピンカーブの曲率半径は凡そ20mで、大型車でも楽々と曲がり切れる設計にある。この規格は馬車道のそれを大きく上回る。

余裕ある曲率半径もそうだが余白たっぷりの幅員も見逃せない。ヘアピンカーブでは大型車同士が無理なく擦れ違えた。そんなイメージだ。実際にそうだったとしか思えない。何故そう言い切れるのか?それはヘアピンカーブのみならず、切り通し以降ほぼ全ての幅員が5m幅を有しているからだ。

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◆小さな掘割の有効幅も5m前後に設定されている

その姿はダート天国と呼ばれた80年代の北海道を彷彿とさせる。列島全域の道路という道路がアスファルトに覆われてゆく中、国道や道道の一部で砂利道が味わえる最後の楽園として北海道は名を馳せた。既にその頃の未舗装主要路は幅広の極上フラットダートが確立され、山岳エリアの林道とは一線を画す。

あとは舗装を待つばかりの単調な仕様ではあったものの、四輪の相互通行を許す幅広の砂利道は、本州のせせこましい砂利道しか知らぬ者にとっては衝撃で、日本離れした大陸感満載の弾丸ダートに興奮を抑え切れず、狂ったようにフルスロットルで駆け抜けた日々がまるで昨日の事のように思い出される。

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◆樹海を抜け出る頃には砂利道は3〜3.5mへと拡がる

80年代に入ると北海道の幹線路は矢継ぎ早に舗装されるのだが、切り通し以後の山道はその前夜に匹敵する規格を有しており、路の両脇にある1m前後の余白がそれなりの交通量があった事実を物語る。

今でもそこかしこに往時の片鱗が垣間見え、峠以降はほぼ対向車を意識せずに済んだとみて間違いない。樹海を抜けた頃には有効幅が3〜3.5mへと拡がり、この先で我々は山道の真の姿を拝む事になる。

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