教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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大岸峠(14)

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大岸峠(おふけしとうげ)の取扱説明書

北海道新幹線開業のニュースが世間の耳目を集めているが、JR北海道が入念な最終チェックをしている時分に、僕は最初で最後の一大プロジェクトに取り組んでいた。猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道の完全制覇である。単車による走破、それも豊浦から長万部まで全て旧道を伝い、しかも半日で一気に駆け抜けるという壮大且つ無謀な試みで、計画の段階で大岸⇔豊浦間が最大の懸案事項と目された。海のものとも山のものとも分からぬ未踏区は、難易度は高いが攻略出来なくはない。出足平峠・豊浜洞・湯内峠の長大山道以来の大長編スペクタクル第一弾、オフケシ峠の衝撃・今宵解禁。尚今度こそR8での峠越えを立証すべく最善を尽くす。下町ロケットアウディ計画トラストミー編、始まります。

 

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◆獣道以上車道未満の幅で一定の空間が確保されている

隧道連発の現在の路線が成立する以前は、こんなんが長万部と室蘭を結ぶ幹線道路でした!と安易に公表などしたら、北海道経済に激震が走るのは間違いない。時の政治家は何をしていたんだ!と議会が紛糾するのは不可避な情勢だ。高橋はるみ知事も完全スルーを決め込めまい。

居ても立っても居られず衝動的にSP同行の下ママチャリで現地視察となるだろう。その際フロントバスケットに10品目の野菜が詰め込まれ、商品を安全確実に輸送可能か否かのテスト走行を兼ねているが、1分と経たずに路上に野菜をぶちまけ、散乱した野菜の残骸を見て知事はこう呟くに違いない。

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◆落石で埋め尽くされた離合箇所と思わしき膨らみ

カ・イ・カ・ン

勿論当時からこのような惨状だった訳ではない。この道が主役を張っていた時代はそれなりに整備の行き届いた未舗装路で、道路看護人の弛まぬ努力によって24時間通行が可能なフラットダートであったはず。僕等が休日に追い求める美味しそうな砂利道という非日常も、当時は砂利敷きの長大山道が日常そのものであったのだ。

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◆人為的に刈り払われたかの如し笹が路肩側のみに密生

あの時代は相互通行を実現すべく努力に努力を重ねていた頃で、先行開業した高規格道路の一部区間では対向車を意識せずに済むようになってはいたものの、まだまだ対向車と八合う毎に道を譲り合う交互通行が普通であった。実際に当山道の有効幅は3m前後と狭い。

対向車を捉えればどちらかが直近の待避所で道を譲る、そんなシーンがそこかしこで見られた。その都度ブレーキを踏み込むから、道路には自然と窪みが出来る。その窪みを後続車両が踏襲する事によって深みが増す。結果穴ポコだらけのガタガタ道となる。所謂算盤道路だ。

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◆大型車同士の擦れ違いを許容する5m幅の膨らみ

当山道の有効幅が二車線に及んでいれば、当時からスムーズな離合が叶ったと察せられ、それ相応の快走路であったとの解釈が成り立つ。しかし実際は一度対向車と対峙すればどちらかが延々と後退を強いられる過酷な道程であったのは道路規格から疑う余地がない。

見てくれ、この広場を。大型車同士の擦れ違いを許す貴重な5m幅の路であるが、これは一瞬にして縮んでしまう離合箇所のひとつに過ぎない。大蛇が生卵を呑み込んだかのようなこうした膨らみが道中には幾つも見受けられるが、それがひとつとして長距離に及んだ例は無い。

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◆進行方向左手の法面に最新工法の擁壁を捉える

離合ポイントは複数箇所に用意した。あとはドライバー諸君の度量に任せる!この利用者丸投げ状態が戦後日本の道路事情の実情で、一度発進したが最期帰還するまで全ての責任をドライバーが一身に背負うという点で、昔はプロドライバーの意識は相当高かったであろう事は想像に難くない。

今のようにコンピュータ制御によるサポート体制も無く、全ての操作がドライバーの腕一本に託されていた。ハンドルは重く非力な女性ではまともに車両を操る事さえままならない。大の大人でもそれ相応の力を要するから、長大山道を走破したらもうそれだけでヘロヘロだ。

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◆山道に目立った障害物は無く浅藪状態をキープ

全線舗装済の快走路である今だから大曲という呼称に違和感を覚えるが、全線未舗装の1〜1.5車線の狭隘路で操縦するだけで四苦八苦する当時の状況を踏まえれば、屈曲に等しい折れ曲がりを三度経験する長大山道を大曲と称し、行き交う人々が恐れたとしても何等不自然ではない。

本当にこの樹海を彷徨うかの如し山道が国道37号線の旧道であるならば、このクネクネと蛇行し続ける線形こそが、当時の人々に大曲と呼ばれ恐れられた所以であると僕は確信する。この時点で山道はある程度の高低差を隔て国道と並走する道でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。

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◆遂に山道上から国道37号線の隧道の坑口を捉える

今のところ旧道の証左と成り得る決定的な証拠は見付かっていない。但しこの道は国道と付かず離れずで西に延びている。垂直に近い断崖絶壁に引っ掻き傷の如し山道は続いている。これをどう解釈するかだ。

遂に山道上から国道が地下に潜り込む瞬間を捉えるに至った。やはり全ての屈曲シーンは短隧道の直上に位置する。それがはっきりとしたのがこの場面で、そこは伸るか反るかのターニングポイントでもあった。

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