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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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大岸峠(6) ★★★★★ |
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大岸峠(おふけしとうげ)の取扱説明書 北海道新幹線開業のニュースが世間の耳目を集めているが、JR北海道が入念な最終チェックをしている時分に、僕は最初で最後の一大プロジェクトに取り組んでいた。猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道の完全制覇である。単車による走破、それも豊浦から長万部まで全て旧道を伝い、しかも半日で一気に駆け抜けるという壮大且つ無謀な試みで、計画の段階で大岸⇔豊浦間が最大の懸案事項と目された。海のものとも山のものとも分からぬ未踏区は、難易度は高いが攻略出来なくはない。出足平峠・豊浜洞・湯内峠の長大山道以来の大長編スペクタクル第一弾、オフケシ峠の衝撃・今宵解禁。尚今度こそR8での峠越えを立証すべく最善を尽くす。下町ロケットアウディ計画トラストミー編、始まります。 |
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◆理路整然と建物が建ち並ぶ豊浦のメインストリート 駅前でクランク状に折れ曲がった旧道は、豊浦市街地で最も賑やかと思える繁華街へと滑り込む。病院に酒屋に商店に飲食店とありとあらゆる専門店が立ち並ぶそこは、かつてのメインストリートを彷彿とさせる。駅前にもそこそこの店舗が認められたが、この直線道路の店の数は駅前通りを軽く超えている。 函館本線を挟んで現国道とは150m前後の距離を隔て、街の東西を貫く二車線路がかつての国道である事は最早疑う余地がない。山手側を走る快走路は既存の国道に対する新道、即ちバイパスなのだ。現在の国道からは全く窺い知る事の出来ない未知なる路線との遭遇に興奮を禁じ得ない。 |
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◆駅前旅館らしき三階建ての建物を機に狭隘路と化す かつての繁華街に建ち並ぶ多くの建物が衣替えし、再建築時のセットバック効果もあってか、街全体がきっちりと計算されたかの如し見事な配置で整然としている。区画整理されたどこかのベッドタウンを徘徊しているような錯覚を覚えるが、ある地点からそれが幻想である事を思い知らされる。 三階建ての元駅前旅館らしき建物を機に道幅は縮小し、二車線幅を維持しつつも息苦しい感じがする狭き空間と化す。それは単に歩道付きの二車線路と相対的にという事ではあるけれど、これほど露骨に整備区域とそうでない地域とが隣合わせになっていると、否が応にも前後の様子を意識してしまう。 |
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◆長く続く直線が終わり人家が途切れた先で橋梁を迎える 幅員の広狭の境目を機に寂れ具合は半端無く、町の税金が投じられる区域とそうでない区域の明暗がはっきりと分かれている旧道筋に、どこか納得のいかない理不尽さを感じずにはいられない。ただ道路史家的視点で現状の様子は大変興味深く、歓迎すべき事であるのは言うまでもない。 何故なら一昔前の豊浦のメインストリートは、歩道の無いインチキ二車線規格にあった事実を、未開発区の路が白日の下に晒しているからだ。バイパスが成立する以前の豊浦市街地を貫通する国道は、総じて狭い二車線規格にあった事がこれでほぼ確実となった。それを決定付けるのが豊浦橋だ。 |
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◆貫気別川を一跨ぎする昭和41年12月竣工の豊浦橋 両脇にびっしりと人家が建ち並ぶ直線の狭い二車線路は、いつの間にか歩道が復活し緩い左カーブを迎える。その直前で人家は途切れそこそこの河川にぶち当たる。対岸の道路沿いにまともな人家は認められず、この川が豊浦市街地の西門に当たるとの解釈が妥当だ。 親柱に豊浦橋と掲げられ銘板には昭和41年竣工とある。大凡100mの橋長で貫気別川を一跨ぎするコンクリ製の橋は、いかにも昭和中期産といった単調な面持ちで、装飾の一切が省かれたシンプルな構造となっている。この橋梁の存在はある意味とても貴重だ。 |
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◆函館本線をインチキ二車線規格でアンダーパスする 何故なら豊浦市街地の新旧国道切替時の様子が容易に掴めるからだ。豊浦橋とそれに続く狭いアンダーパスでやり過ごす旧道に対し、現国道は隧道を潜る短絡ルートで抜けている。昭和38年の暮れに竣工したバイパスにスイッチした直後に、豊浦橋の架け替えを行ったと考えるのが自然だ。 豊浦隧道と豊浦橋は連続して竣工したと銘板は訴えるが、気になるのは豊浦橋の先代の容姿だ。ヒントは東の門に当たる新旭橋にある。新旭橋の成立は平成4年であるが、それ以前は恐らく現在の豊浦橋と同様の構造体にあった。それを平成になって化粧直ししたのだ。 |
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◆歩道付きの二車線路で現道が待つ高台を目指す 老朽化を認めつつも致命的な損傷は認められず、豊浦橋は今日現在も騙し騙し供用されているに過ぎない。その先代であるが旧旭橋と同様の1.5車線幅のショボい橋梁であったと考えるのが妥当で、時代背景から恐らく木橋であったのではないかと僕は睨んでいる。 逆算すると先代の豊浦橋は戦前の構造物で、ややもすれば昭和初期、下手こくと大正年間の架設という線も有り得る。そうなるとコンクリ橋というのは考え難く、昭和40年代初頭に永久橋となったと解釈が妥当だ。勿論橋幅は普通車同士の擦れ違いがやっとの1.5車線規格である。 |
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◆豊浦隧道の西側にて十字路で交わる新旧国道 その規格を継承したまま昭和の晩年頃に旧旭橋がコンクリ製に改められたと考えれば全ての辻褄が合う。豊浦市街地を通過する国道37号線はバイパスの成立時に二車線化を果たしたのであり、それまでは総じて1.5車線規格にあった。 その昔から市街地のみはインチキ二車線規格を有していたが、一歩街を出れば擦れ違いも容易でない狭隘路が主であった。この仮説が早晩現実味を帯びてくる。平静を装っていた旧道が豹変する瞬間が遠からずやってくるのだ。 大岸峠7へ進む 大岸峠5へ戻る |