教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>廃道>北海道>大岸峠

大岸峠(4)

★★★★★

大岸峠(おふけしとうげ)の取扱説明書

北海道新幹線開業のニュースが世間の耳目を集めているが、JR北海道が入念な最終チェックをしている時分に、僕は最初で最後の一大プロジェクトに取り組んでいた。猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道の完全制覇である。単車による走破、それも豊浦から長万部まで全て旧道を伝い、しかも半日で一気に駆け抜けるという壮大且つ無謀な試みで、計画の段階で大岸⇔豊浦間が最大の懸案事項と目された。海のものとも山のものとも分からぬ未踏区は、難易度は高いが攻略出来なくはない。出足平峠・豊浜洞・湯内峠の長大山道以来の大長編スペクタクル第一弾、オフケシ峠の衝撃・今宵解禁。尚今度こそR8での峠越えを立証すべく最善を尽くす。下町ロケットアウディ計画トラストミー編、始まります。

 

DSC06580.jpg

◆道の駅とようらに隣接する国道37号線新旧道交点

一時代前のルートは我々の想像を遥かに超える道筋を辿っている事もしばしばで、現地での旧道の発見はいつだって驚きと興奮に満ちている。今回もまた意外性に富んでいると言わざるを得ない展開で、幾度となく往来した国道の道中に迷宮への入口は存在した。

ここ豊浦は単なる通過点に過ぎず、ドライバー・ライダー共に精々道の駅とようらで用を足すくらいで、基本的に足を止めるに値する明確な理由がない。当然ながら信号機のないT字路で停車するはずもなく、わざわざどこへ迷い込むか知れない枝道へ舵を切るはずもない。

DSC06582.jpg

◆一時代前のインチキ二車線規格がいかにもという感じ

青看に旧国道と案内されていれば突っ込む者も無きにしも非ずだが、道の駅の出入口に隣接する何気ないT字路に、意図的に曲がろうとする事にはかなりの無理がある。何等かのアナウンスなり明確な動機が無ければ、まず折れ曲がる事はないであろう何の変哲もないT字路が旧道の起点となる。

その道は時折地元車両が行き交っているに過ぎない。現在の国道筋は駅裏手の高台で豊浦市街地をパスする。その線形自体は市街地を回避するバイパスそのもので、現道に干渉しない全くの別路線の存在を予感させる。しかしながら現時点でそれはあくまでも想像の域を出るものではない。

DSC06581.jpg

◆豊浦市街地へと滑り降りる歩道付きのインチキ二車線

現在の国道筋が古来供用されている道筋を拡げて今に至った可能性も否定出来ない。従って道の駅から市街地へ滑り降りる道が、旧国道である保証はどこにもない。ってか歩道付きのインチキ二車線規格の路は国道らしさの欠片もなく、古来町道だったと言われた方がスッキリするくらい生活臭が漂っている。

誰がどう見ても地域密着型道路、即ち市町村道の域を出るものではなく、忘れた頃に車両がやってくる程度の交通量からも知る人ぞ知る抜け道で、土地勘の無い者が紛れ込む余地はない。但しこの路線がかつての本通り、つまり旧国道でないと言い切れない側面もある。それが無駄に広い幅員だ。

DSC06583.jpg

◆住宅街の変則T字路等を無視して道なりに直進する

御覧の通り当路線は普通車同士の擦れ違いを許すのは当然として、場所によっては大型車同士でも離合出来なくはない仕様にある。路側帯や歩道部分を車道に組み込めば、それなりの道幅をキープしている事に気付く。パッと見はインチキ二車線規格だが、その昔は相応の幅広道であったと考えられる。

この道が仮に国道として供用されていた時代があるとすれば、それはこの界隈に現存する隧道群が竣工する以前の話で、昭和30年代半ばの規格としては至極真っ当な路である。恐らくこのサイズのフラットダートであれば、当時は必要にして十分な路線であったとの解釈が妥当だ。

DSC06587.jpg

◆道なりで踏切に出るのが一時代前の国道37号線

道中には一瞬だけ躊躇する変則T字路があるのだが、そこを迷わず道なりに直進すると函館本線の踏切に差し掛かる。狭い二車線規格を維持したまま線路際に達しており、このまま訳の分からぬ袋小路に迷い込むなどしなければ、線形的には旧道の可能性が大である。

それを大いに予感させたのがJRの踏切で、踏切そのものも二車線規格なのかと思いきや、実は普通車同士の相互通行を許さぬ規格にある所が一時代前の交通状況を彷彿とさせ、踏切の前後で列車の通過待ちを日常的に余儀なくされている車列の一団が目に浮かぶ。

DSC06589.jpg

◆軽自動車同士しか擦れ違えない狭い踏切を渡る

時間帯によっては人っ子一人通らない寂しい場所ではあるが、半世紀前までは全ての通行者が往来する幹線道路であったと思うと胸が高鳴る。その時代の路面は砂利敷きで、交通量は今よりもずっと少なかった。にしてもこの踏切の仕様は頂けない。軽自動車同士の擦れ違いがやっとである。

大型車一台が混じっていれば上下線共に直ちに滞る踏切には、単車にチャリに歩行者とありとあらゆる者が一堂に会す玉石混交であったろうから、今でこそ人の気配すらないこの場所も、通勤通学の時間帯はかなり殺気立った状態にあったであろう事は容易に想像が付く。

DSC06592.jpg

◆踏切直後のT字路を右折するとまともな二車線になる

道の駅以来インチキ二車線規格で下り一辺倒であった道筋であるが、踏切を前後に状況が一変する。踏切を渡り終えた直後のT字路で本線は右90度に折れ曲がり、以降センターラインのある本物の二車線規格となっている。

恐らくそれは後年の拡張と思われ、元々は全線インチキ二車線のダートであったと推察されるが、部分的に大幅な改良が成された結果、昔の面影を残す区間と今風に改められた区間とが混在する継ぎ接ぎ仕様で旧道は豊浦駅を目指す。

大岸峠5へ進む

大岸峠3へ戻る

トップ>大岸峠に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧