教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>廃道>北海道>大岸峠

大岸峠(2)

★★★★★

大岸峠(おふけしとうげ)の取扱説明書

北海道新幹線開業のニュースが世間の耳目を集めているが、JR北海道が入念な最終チェックをしている時分に、僕は最初で最後の一大プロジェクトに取り組んでいた。猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられる礼文華山道の完全制覇である。単車による走破、それも豊浦から長万部まで全て旧道を伝い、しかも半日で一気に駆け抜けるという壮大且つ無謀な試みで、計画の段階で大岸⇔豊浦間が最大の懸案事項と目された。海のものとも山のものとも分からぬ未踏区は、難易度は高いが攻略出来なくはない。出足平峠・豊浜洞・湯内峠の長大山道以来の大長編スペクタクル第一弾、オフケシ峠の衝撃・今宵解禁。尚今度こそR8での峠越えを立証すべく最善を尽くす。下町ロケットアウディ計画トラストミー編、始まります。

 

DSC06663.jpg

◆片流れの山塊を打ち砕く高岡第二隧道東側坑口

長万部と室蘭を結ぶ国道37号線を一度でも走破した経験があれば頷いてもらえるのだが、この区間は兎にも角にもトンネルが多い。実際にカウントするとそれほどでもないのだが、短いピッチで穴に入って出てを繰り返す区間があると、人はトンネルだらけと解釈する。

常に身の危険に晒されているチャリダーや原付だとその傾向は顕著で、出来れば通りたくないコースとして脳裏に焼き付くに違いない。単車でも70〜80キロ巡行を強要される背後の威圧感を思えば、彼等が感じるストレスは僕等の比ではない。出来れば避けて通りたいというのが交通弱者の本音であろう。

DSC06666.jpg

◆左右に旧隧道が確認出来ない高岡第二隧道西側坑口

事実噴火湾コースをえっちらこっちらと駆け抜けるチャリダーの数は、他のコースに比して圧倒的に少ない。ニセコ・羊蹄山コースへ舵を切るのが賢明で、わざわざ寿命を縮めてまでビジネスコースに挑む理由などない。だが何も知らない子羊達が迷い込み、トラウマになるケースが後を絶たない。

銘板にもあるように連続するトンネルの規格は一時代前のもので、大型車同士がギリギリで擦れ違える程度の有効幅しかない。トレーラーが進入した場合は原則大型車との相互通行は叶わない。また洞内に歩行者及びチャリが居れば、減速もしくは停止を余儀なくされる狭き門となっている。

DSC06665.jpg

◆ちょっとした岩塊を刳り抜いた高岡第一隧道東側坑口

鼻歌交じりに無意識で擦れ違えるのは普通車同士くらいのもので、対向から大型車がやってくれば多少なりとも身構えてしまう。その余裕の無さが連続するほぼ全てのトンネルに当て嵌まるのだから、ドライバーの心象は総じて宜しくない。このコースを快く思っていないのは何も交通弱者に限らないのだ。

トンネル以外の箇所は大概ある程度の余白が用意されていて気持ち的に余裕があるが、洞内に潜り込んだ途端に緊張感を強いられ、それが一定時間断続的に続くのであるから、車両の如何に関わらず通行者は大なり小なりストレスを抱える事になる。室蘭側から見て第一関門は豊浦隧道となる。

DSC06669.jpg

◆左右に旧隧道が確認出来ない高岡第二隧道西側坑口

延長は333mとそれほど長くはないが、洞内は明らかな登り勾配で減速必至のチャリダーはのっけから泣きをみる事になる。その後は延々と勾配の緩いダラダラ坂が続き、高岡第三隧道を筆頭とする延長が100mに満たない短隧道連発区に入る。これより路側帯⇒本線⇒路側帯と短いピッチでの攻防を繰り返す。

背後の車をやり過ごし車列の一団が完全に途切れたのを見計らって、高岡隧道三兄弟を矢継ぎ早に攻略する。これで一安心も束の間、次なる難関が待ち受ける。トンネル連発区の総大将である延長300mの豊泉隧道がそれだ。そこそこの長さではあるが、高低差がほぼゼロと横這いなのが安心材料だ。

DSC06670.jpg

◆稜線との落差50m前後を誇る豊泉隧道東側坑口

このコースを行き来する度に僕は周囲を丹念に見回し、事ある毎に旧道の在り処を探っていた。対象は二つ、一つは現トンネルの左右に隠れている旧隧道、もう一つが山腹をなぞる山道である。そのいずれも片鱗さえ捉えた例はない。旧道の気配すら掴めないというのが正直な感想だ。

だが今回は違う。現場に留まって腹を据えての観察であるから、何等かの物証が得られるはず、そう思っての参戦であったがこれが散々な結果に終わる。高岡隧道三兄弟の前後で全くの不発に終ったのを筆頭に、肝心の豊泉隧道に至ってもそれらしき手掛かりは何等得られぬまま失脚と相成った。

DSC06672.jpg

◆左右に旧隧道が確認出来ない豊泉隧道西側坑口

豊泉隧道には銘板が無い。規格は豊浦隧道から連続するトンネル群と大差なく、パッと見の容姿からも同期と捉えて差し支えない。昭和30年代から40年代にかけての竣工とみてよかろう。トンネルの前後共に旧隧道の存在は確認出来ず、埋められたような形跡も認められない。

旧道は隧道ではなく稜線を直に跨ぐ山道なのだろうか?昭和30年代に旧トンネルを拡張したという線も否定出来ないが、沿道に人家が皆無である事から、現道がゼロベースで敷設した新設路線の可能性は大いに有り得る。旧道がのらりくらりと山肌を縫う山道であれば、相対的に現道はハイウェイのように映る。

DSC06673.jpg

◆豊泉隧道を抜けると国道は直ちに下りへと転じる

一昔前の車両であれば一連の隧道は必要にして十分なスペックで、対向車の存在を気にせず相互通行が叶うというのは、余程画期的な出来事であったに違いない。現場が難所の峠道となれば尚更だ。

豊泉隧道の前後で路は下り勾配となる。つまり豊泉隧道が最高所との解釈が成り立つ。道程から豊泉隧道が峠のサミットに位置するのは間違いない。それを担保する物的証拠の存在を僕は見逃さなかった。

大岸峠3へ進む

大岸峠1へ戻る

トップ>大岸峠に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧