教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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太櫓越峠(18)

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太櫓越峠(ふとろごしとうげ)の取扱説明書

渡島半島の東側を南北に走る海岸線は、我が国で五番目に重要な路線にして、北海道随一の幹線である事に異論の余地はない。その東海岸線を陽とするならば、瀬棚と江差を結ぶ西海岸線は陰となる。山陽道と山陰道の例を出すまでもなく両者の交通量には決定的な差があり、結果開発は遅々として進んでいない。事実これより挑む山道は昭和の晩年まで直に鞍部を跨いでいたし、鉄道は今も昔も西海岸線を走破した試しがない。結果太櫓越山道が唯一の生命線となる訳だが、山道に注がれた先人の血と汗の結晶は、トンネル開通後も極上の峰越フラットダートなる副産物を齎す。その恩恵に授かったドライバー&ライダーは少なくない。走破済という経験則から今度こそR8での峠越えを立証したい。下町ロケットアウディ計画起死回生編、始まります。

 

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◆ほぼノーメンテで全幅5mの幅広道が露出する浅藪区

場所によっては僕の行動に共鳴した好意的な第三者が、予め藪を刈り払ってくれたのではないかと勘違いするほどの浅藪区が唐突に現れる。気の性かも知れないが出現頻度は南へ下れば下るほど増している。前回踏破した際の印象に酷似しており、ゴールに近づけば近づくほど浅藪区が増えるような気がする。

結果的にそれは期待値込の幻想に過ぎないのだが、トンネルと最接近を果たした地点に比し藪全体の勢力が衰えているのは確かだ。事実路肩弱しの警戒標識を捉えた付近では、標識周辺の僅かな枝葉を取り除いた程度で、僕はほとんど手を加えずして遺構をキャッチしている。

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◆万年日陰か路肩弱しの警戒標識は全く色褪せていない

僕の手を煩わせずして捉えたのは道路付帯設備だけではない。5m幅を有する幅広道もほぼノーメンテでゲットしている。これは今季のみとか今に始まった訳ではなく、路線切替以降ずっとこの状態を保っていると考えられる。堆積した落ち葉が砂利の層を覆ってはいるが、かなり現役時に近い状態を維持している。

山道全体がこのような浅藪区で推移するとなると、半日も経たずして全貌が掴めるに違いない。勿論遺構を余す事無く捉えるのが前提でその都度時間を割く事になるが、浅藪という条件付きなら半日あれば楽勝だ。しかし現実にはこうして二日に跨ぐ踏査行となっている。

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◆廃道をアンダーパスするコンクリ製の水路隧道

路肩脇の窪地を覗き込むとコンクリ製の暗渠を捉える。こうした動き一つ一つが前回には無かったもので、ライダー目線から道路史家目線に切り替わっているのも遅延の要因とみて間違いない。前回は道路遺構が多い路線という漠然とした印象であるのに対し、今回は路線図が描けるほどの緻密さにある。

単車での藪漕ぎという行為そのものは変わらないが、峠道の捉え方はこの十余年で雲泥の差が生じている。ほとんどの調査対象物件は一発勝負であるから、自身の行動パターンを顧みる比較検証は実現不可能である。だが幸か不幸か本件ではそれが叶ってしまった。

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◆再び強烈なブッシュに行く手を遮られ四苦八苦する

僕の辞書には再訪の文字がない。基本的には同じ道はなるべく避けて通るし、まだ見ぬ未知なる路を求めて貪欲に走り倒すのがモットーである。半世紀を経て杖で藪を掻き分けるヨボヨボの爺さんになったら話は別だが、余程の事情がない限り再訪というのは有り得ない。

感慨深げに過去を振り返るノスタル爺になるつもりは毛頭ないし、宵越しの金を持たず今が楽しけりゃそれで良しとする刹那的な生き方の僕に再訪は似合わない。しかし現にこうして僕は完踏済の廃道を再び辿っている。それには深い訳がある。単なる藪道であれば完全にスルーだ。

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◆元バス道とのギャップが凄過ぎて最早笑うしかない

しかし太櫓越は単なる藪道ではなかった。繰り返すがこの道は有史来路線バスが生活基盤を支えてきた生命線である。現況からは想像し辛いが大型の箱バスが日常的に往来していたまともな路線で、それは村人の証言からも覆らない。この激藪道をバスが行き来していたのだ。

激藪と路線バス、そのギャップだけでも十二分に楽しめるし、他の路線に比し過剰なまでの遺構が残存する点でも興味深いが、踏破済の物件に再度挑む動機には成り得ない。実際に今季のスケジュールに太櫓越は含まれていない。国道229号線を通過する際も峠を意識せずに涼しい顔で通り抜けている。

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◆獣道になっているのか1m幅で草木が生えていない

ただ無関心を装っていられない驚愕の事実を掴んでしまう。渡島半島横断線に先鞭を付けたあの水上利四郎が太櫓越に関与しているというのである。それを知った僕はいてもたってもいられなくなり、気が付けばアイドル並みの超過密スケジュールを調整し、僅かだが太櫓越に充てる時間を確保した。

陸上公共交通の黎明期にして鉄道大開拓時代に於いて、国策と距離を置くバス路線に活路を見出した氏の手腕は、ここ太櫓越でも遺憾なく発揮されたというのだから引くに引けない。このまま離道するとなると消化不良に陥るのは確実である。水上利四郎の足跡を辿る、大義名分としては必要にして十分だ。

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◆日焼けして木々に同化しつつある路肩弱しの警戒標識

北檜山と大成の間は有史来道路を伝う車両が主役を担ってきたという現実がある。峠史上主役の座を一度も鉄道に明け渡した試しがないし、今この瞬間も峠道を路線バスが繋いでいる。それを踏まえると氏には相馬眼があったとしか思えない。

氏がこの峠道に足跡を残したと聞いて、ハイそうですかと受け流す訳にはいかない。北海道の公共交通機関史に名を残した水上利四郎が関与したとなれば当然血沸き肉躍るし、再訪の文字無き辞書があっても超法規的措置を取らねば嘘だ。

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