教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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太櫓越峠(9)

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太櫓越峠(ふとろごしとうげ)の取扱説明書

渡島半島の東側を南北に走る海岸線は、我が国で五番目に重要な路線にして、北海道随一の幹線である事に異論の余地はない。その東海岸線を陽とするならば、瀬棚と江差を結ぶ西海岸線は陰となる。山陽道と山陰道の例を出すまでもなく両者の交通量には決定的な差があり、結果開発は遅々として進んでいない。事実これより挑む山道は昭和の晩年まで直に鞍部を跨いでいたし、鉄道は今も昔も西海岸線を走破した試しがない。結果太櫓越山道が唯一の生命線となる訳だが、山道に注がれた先人の血と汗の結晶は、トンネル開通後も極上の峰越フラットダートなる副産物を齎す。その恩恵に授かったドライバー&ライダーは少なくない。走破済という経験則から今度こそR8での峠越えを立証したい。下町ロケットアウディ計画起死回生編、始まります。

 

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◆強烈な二本の亀裂から解放されも相変わらず狭い山道

峠の広場には巨大な土管を埋め込んだ暗渠が設けられている。頂上付近を横切る時点で水量は豊富で、雪解けシーズンはそれ相応の勢いであるのは必至だ。その昔は橋梁であった可能性もあるが、最終的には暗渠にて処理され今に至る。今日現在も持ち堪えてはいるが、いつ何時粉砕してもおかしくはない。

仮に暗渠が崩壊し峠道の前後が完全に断たれていたならば、美利河峠や花石峠の如し僕はあっさりと手を引いていたに違いない。単車帯同の完全踏破に拘らなくなったというのが最たる理由であるが、やはり踏破済というのが大きい。今更感というか二度手間というか再訪というのはどうも性分に合わない。

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◆長い直線を経て左カーブを描くも空間は1m幅をキープ

初戦が黒星のリベンジであるならば再戦も有り得るが、完踏している物件となると食指は全くと言っていいほど動かない。当然モチベーションなどなく、現場でのテンションもダダ下がりである。特定の路線を定点観察するとか、新たに学術的視点で捉えるというのであれば、再訪は一考の余地がある。

しかし単なる懐かしさとかあの頃を顧みるという点での再訪は有り得ない。過去を振り返るにしてはまだ早過ぎるし、何と言っても膨大な数の旧廃道が待ち受けているから、踏破済の物件を再調査している余裕などない。しかし現に僕はこうして太櫓越へと足を運んでいる。

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◆両側は背丈以上の藪に覆われ戸建の廊下の如し圧迫感

何故か?それは遣り残した事があるからだ。前回は勢いのみで通過したに過ぎない。アナログ時代のカメラに収めた画像はたったの数枚で、後で場所を特定する為に参考程度に捉えた出入口付近や、インパクトのある峠のおにぎりといった印象的なシーンを収めたに止まる。

それらは一度訪問しているという実績及び証拠に過ぎず、観光旅行の撮影シーンの域を出るものではない。今日現在R197やR439といった酷道を走破する際に、デジタルカメラでは膨大なシーンをカメラに収めるであろうし、動画撮影も余裕であろうから一時代前に比し情報量は桁違いだ。

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◆定期的に刈り払われているのか人一人分の空間が続く

イリュージョンおにぎりとBAJAが肩を並べるツーショットは、あの日あの時あの場所に確かに僕は居たのだと主張する。だがそれは公の場では何の役にも立たない。あの頃はヒーヒー言いながらもどうにかこうにか通り抜けは叶ったから、峠に星条旗を掲げた挑戦者は五万といるだろう。

金字塔を打ち立てたというのはやや大袈裟で、この世界を知らぬ者や初心者には通用するが、酸いも甘いも知る猛者であれば太櫓越の武勇伝など鼻で笑うだろう。旧道以上廃道未満の路はたいした小道具を持たない挑戦者の通り抜けをあっさりと許したし、あの頃はその場の勢いだけで何とかなった。

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◆進行方向右手に警笛鳴らせの警戒標識を捉える

今と違って撮れば撮るほどコストが嵩む時代だ。フイルム代に現像料と撮影枚数がそのまま経費に直結するから、コストを抑える為に撮影枚数を控えざるを得ない。今のように撮っては破棄してと無尽蔵に撮影出来る時代ではなかったから、撮影箇所を意図して絞っていたという裏事情がある。

例えばこのショット、画面の左上に警笛鳴らせの標識が枝葉の隙間に見え隠れしているが、あの頃はこの程度の被写体であればほとんど撮影対象には成り得なかった。今でこそ絶対に見逃さない遺構ではあるのだが、当時は取るに足らぬ些細な物と切って捨てた。

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◆坂と感じない緩やかな勾配でS字状に蛇行する山道

そうした事情あっての再訪であるから、単なる踏破の再現ではなく、ここは可能な限り情報を取得したい。ここでの収穫量はそっくりそのまま報告書の成否を左右する。近年稀に見る遺構供給過多路線であるから、包み隠された標識類も丁寧に拾い上げていく必要がある。

二度とこの場所に戻ってくるつもりはないから、遺構を探る嗅覚はいつになく敏感だ。左右の藪に目を凝らしヘナリレーダーが人工物を具に捉えていく。但し時間無制限という訳にはいかない。一時代前に比し撮影枚数の制約からは解放された。しかし当該エリアが羆の巣窟である事に変わりはない。

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◆元主要路と訴える存在感が希薄な足元のポール

余程の乱獲等がない限りそれは不変であり普遍だ。以前よりも確実に藪密度は増しており、通行量の絶対値が著しく減少した今となっては、この山道は鹿や熊が我が物顔で行き来する獣道に等しい。

主導権を握っているのは間違いなく彼等である。だがそれは違うと主張する者がいる。画面左の藪に身を潜めるポールもその一つで、彼等はこの小径が一般車両が往来する主要路であったと強く我々に訴える。

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