教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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太櫓越峠(2)

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太櫓越峠(ふとろごしとうげ)の取扱説明書

渡島半島の東側を南北に走る海岸線は、我が国で五番目に重要な路線にして、北海道随一の幹線である事に異論の余地はない。その東海岸線を陽とするならば、瀬棚と江差を結ぶ西海岸線は陰となる。山陽道と山陰道の例を出すまでもなく両者の交通量には決定的な差があり、結果開発は遅々として進んでいない。事実これより挑む山道は昭和の晩年まで直に鞍部を跨いでいたし、鉄道は今も昔も西海岸線を走破した試しがない。結果太櫓越山道が唯一の生命線となる訳だが、山道に注がれた先人の血と汗の結晶は、トンネル開通後も極上の峰越フラットダートなる副産物を齎す。その恩恵に授かったドライバー&ライダーは少なくない。走破済という経験則から今度こそR8での峠越えを立証したい。下町ロケットアウディ計画起死回生編、始まります。

 

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◆新道の成立に欠かせない橋梁群のひとつ丸山橋

北の大地の郊外では徒歩移動している者など滅多に御目に掛かれない。原住民の多くは自動車に依存しており、自転車を乗りこなすように普段から四輪を足として使っている。学生の通学シーンを除くと市街地以外で徒歩移動する姿は稀で、ましてや峠道となると皆無に等しい。

太櫓越峠を越えるバスが存在するから、マイカーを持たない者はそれに身を委ねはするが、徒歩や自転車で越そうなどという考えは毛頭ない。従って沿線で撮影の為にうろちょろしていると、行き交う者はほぼ例外なくこちらの動きを不思議そうに眺めている。そりゃそうだ、基本的に見るべきものがないのだから。

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◆見通しの利く緩勾配且つ緩やかなカーブが続く

この峠道にはわざわざ車を停めて観る史跡旧跡等は存在しない。ただただ単調な山並みが続くのみで、観光客が望むような代物は一切見当たらない。紅葉真っ盛りのシーズンはどうか知らないが、通常モードであればただ通り過ぎるだけの通過点に過ぎない。

峠区はブレーキを踏むのも勿体無い快走路で、信号機のひとつも無い二車線路で時間を稼がない方がどうかしている。忙しい現代人にとって基本ノーブレーキの爆走路は有難い事この上ない。貴重な一週間の休みをレンタカーで走り倒す急ぎ旅では尚更で、恐らく峠を越えたことすら印象には残らないだろう。

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◆新道の成立に欠かせない橋梁群のひとつ青山橋

それくらい現場は急勾配&急カーブとは無縁の快走路と化している。ゼロベースでトンネルと橋梁群を駆使した高規格路を新設した御蔭で、僕等は知らず知らずのうちにその恩恵に授かっている。意識するしないに関わらず西海岸線を行き来する全ての者が文明の利器を享受している。

受益者たる一般のドライバーはその有難さを意識しない。その昔はどのようにして交易を図っていたのかなど般ピーは知る由もないし、トンネルが出来る以前はどうやりくりしていたのかなんて知ったこっちゃない。また遥か昔から現在の快走路であったと、ほとんどの者が漠然とそう思っている。

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◆昭和後期に新道が成立したと訴える青山橋の銘板

冬期を除けば一般車両は峠下〜峠下までたったの5分で走り切る。そこを難所と気付けと言う方に無理がある。現実として今の太櫓越山道は難所とは言い難い。そうなったのは今から30余年も前であると銘板は語る。当時産声を上げた赤子は、いまではメタボ全開の中年のおっさんである。

物心付いた頃には既に快走路であったという証言が多いのも頷ける。幼少の頃の曖昧な記憶で40代後半から50代前半である事を踏まえれば、自らの運転で峠を越した者は還暦前後に達しており、旧道が現役バリバリの時代を知る者となると、最早ジジババダンサーズに頼る他ない。

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◆峠下に位置する臼別温泉へ通じる併用林道とのT字路

太櫓越峠の着地点は臼別温泉へ通じる併用林道との分岐点で、この交点を出入りする車両は少なくない。砂利を積んだダンプが日常的に行き交う他、週末になると温泉目当ての車両が大挙して押し寄せる。交点付近には人家が疎らにあるが、原住民の動きは限定的且つ少数派だ。

金ヶ沢以降臼別温泉との交点に至るまで、廃屋や住居の跡らしき更地も含め人家は一軒も見当たらない。それは昭和50年代半ばに新造した路線沿いを、人は安住の地と見做さなかった事を意味する。軍資金の有無にもよるが、利便性を考えると新道沿いに居を移さない手はない。

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◆長生園停留所付近の海岸線まで続く長い直線区間

曲りなりにも本線は国道であるから、沿道に人家が点在していてもいい。しかし実際問題として峠区の人家は皆無だ。臼別温泉との交点以降も人家は疎らで、ようやく集落らしきものを捉えたのは海抜50m以下の海岸線に程近い直線路で、そこは旧大成町の市街地の外れに位置する。

バス停でいうと長生園前で海岸沿いまで田園地帯が続く。次の停留所である宮野は道道740号北檜山大成線との交点で、学校に郵便局に地銀にガソリンスタンドにセイコーマートといった公共施設や商業施設が集中している。一見するとそこは旧大成町の中心地に映るが、人口密集地帯は全く別の場所にある。

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◆道道740号北檜山大成線との交点である宮野地区

路線バスは三叉路を右に折れ国道から離脱する。海岸線を伝う道道740号線を西進した先には、瀬棚と比肩するほどの漁村が待ち構えている。久遠郡久遠、そこが北檜山よりはるばる太櫓越峠を越えてきたバスの終着点だ。

本件の起終点を道道42号線と道道740号線としたが、峠史に欠かせない路線バスは北檜山と久遠とを結んでいる。それは今に始まった事ではなく、桧山トンネルを含む新道の敷設より遥か以前からの慣習であったと村人は語る。

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