教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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花石峠(23)

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花石峠(はないしとうげ)の取扱説明書

花石と聞いてすぐに北海道は道南の今金町のあの花石か!と思い浮かぶとしたら、余程の北海道通か当地生え抜きの人間に限られる。しかも花石峠の存在自体を認識しているとなると、もうその時点で廃道コンシェルジュを名乗ってもいい。何せ廃道仙人掘淳一氏率いるコンターサークルSが徒歩による縦走にも拘らず断念せざるを得なかった重鎮御墨付の強烈廃道である。廃道スナイパーの狙撃対象としては申し分ない格好の題材だ。現状を想像するだけでも武者震いするが、ターゲットは美利河峠の終点である花石郵便局から目と鼻の先に位置する。美利河峠の今昔を白日の下に晒した今、返す刀で花石峠を攻略しない手はない。美利河と花石の二部構成による後編の作戦名は、下町ロケットガウディ編に便乗しアウディ計画とする。アウディR8でどこまで突っ込めるのか?その辺も見極めつつ全貌を解明すべく侵攻を開始する。

 

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◆山道とそうでない箇所の藪の種類が明らかに異なる

T字状で花石道路にぶつかるのかと思いきや、利別山道は左90度に折れ曲がり、10m前後の距離を保ったまま新道と並走する。両者の間には巨大な溝が立ちはだかり、車両での行き来は叶わない。接続並びに干渉しない事に若干の違和感を覚えたが、冷静に考えてみるとそれは至極自然な事なのだ。

何故なら平成黎明期までは花石新道の経路上にはレールが敷かれており、昭和62年までは列車が往来するまともな鉄道路線であったからだ。当然の事ながら道路と鉄路が相見える事はない。直進して踏切或いは跨線橋で鉄路を横断するか、直前で左右に回避するかのどちらかだ。

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◆車両一台分の頭上の空間がゴールの北住吉へと導く

いつかは花石道路に抜け出られると安易に考えていたが、よくよく考えてみると僕は瀬棚線跡に脱出しようと試みていたのであり、花石道路が鉄道由来である以上未接続という最悪の事態も想定しておく必要があった。幸か不幸か僕は並走区間に入る前に単車での踏破を断念している。

仮に落橋現場で草臥れた木橋が踏ん張っていたとしたら、僕は迷わず谷を一跨ぎし利別山道と瀬棚線の並走区間に到達していたであろう。そして渡れそうで渡れない近くて遠いゴールを前に、なんて日だ!と断末魔が轟いたに違いない。現場は全くと言っていい程小細工が利かない。

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◆元道路上に根付くのは笹のみで道跡がはっきりしている

瀬棚線を踏襲する形で敷設された花石道路は、鉄道時代を継承し盛土によって嵩上げされている。利別山道が地表を這い進むのであれば両者の間には一定の高低差が生じる。ところが並走する二つの路はほぼ同じ高さで推移する。それが何を意味するのかは勘の良い読者諸氏ならもうお分かりであろう。

利別山道も盛土による築堤で導かれているのである。行く手には上ハカイマップ川が待ち構えている。普段は所々に川底が見える大人しい河川であるが、大雨の際には荒れ狂うほどの濁流と化し、路盤もろとも橋梁をも呑み込んでしまう。事実峠下にて郵便局員が殉職している。

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◆大正15年に珍古辺峠下で殉職した郵便逓送夫

大正一五年九月十六日、この日は数日来の利別村一帯を襲った豪雨で、利別川は大増水となり、村内の道路や橋梁はいたる処決壊するという状態であった。午前三時頃、郵便逓送の任を終えた今金郵便局郵便物逓送人佐々木貞治は一路今金目指し帰路を急いだ。ちょうど上ハカイマップの赤髭橋付近まで進んだとき、洪水のため決壊した道路に気付かず馬車諸共濁流渦巻く急流の真只中に墜落したのである。馬はかろうじて助かったが佐々木は哀れ職に殉した。

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◆藪の高さ密度共にMAXに達するも道跡は鮮明

真夜中の山道がいかに恐ろしいかは、僕は身を以て知っている。林道の奥で日暮れを迎え仕方なくナイトランした時のあの怖さといったら半端無い。たったひとつのヘッドライトだけが頼りで、それが切れた日には身動きが取れない。樹海の真只中で月明かりはほとんど意味を成さない。

当日はランプを燈しての峠越えであったろうが、何せ記録的な豪雨であるからほとんど役に立たなかったのではないか。そのような悪条件化で道路の欠損に気付くのは極めて困難だ。あっ!と思った次の瞬間には濁流に呑み込まれ帰らぬ人となった。佐々木氏の殉職には元今金町長も胸を痛めている。

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◆郵便逓送夫の殉職を回顧する元今金町長の安部義男氏

大正十五年、利別川大洪水に因る道路橋梁流出騒ぎに尊い人命奪う。今金局逓送夫佐々木貞治君(佐々木酉蔵三男)が夜半珍古辺局の帰路上ハカイ部落旧チンコベ峠道路との分岐点、旧利別川流水路で殉職した。逓信葬を行う。

文脈から町史でも逓送夫は花石から今金を目指していたと読み取れるが、安部氏の回顧録では彼は珍古辺峠を越え峠下付近で絶命したと言い切っている。昭和22年現在の利別村橋梁一覧に赤髭橋なる橋は記載されていない。となると赤髭橋はその時点で本線を外れていたか廃止されたかのどちらかだ。

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◆道跡とそうでない土地との境界が曖昧になりつつある

大正15年現在の本線は珍古辺峠経由の山道で、まだ後志利別川に沿う旧国道筋は影も形もない。従って逓送夫が日常的に峠道を行き来していたのは間違いなく、その経路上に赤髭橋が存在したとの解釈が妥当だ。

当山道に架かる橋は二つ。ひとつは単車を置き去りにした落橋現場、もうひとつが激藪の行く手に待つ上ハカイマップ川を跨ぐ橋梁だ。新旧路の分岐点に近いのは勿論後者である。つまりこの先に赤髭橋が存在するという事に他ならない。

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