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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>廃道>北海道>花石峠 |
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花石峠(20) ★★★★★ |
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花石峠(はないしとうげ)の取扱説明書 花石と聞いてすぐに北海道は道南の今金町のあの花石か!と思い浮かぶとしたら、余程の北海道通か当地生え抜きの人間に限られる。しかも花石峠の存在自体を認識しているとなると、もうその時点で廃道コンシェルジュを名乗ってもいい。何せ廃道仙人掘淳一氏率いるコンターサークルSが徒歩による縦走にも拘らず断念せざるを得なかった重鎮御墨付の強烈廃道である。廃道スナイパーの狙撃対象としては申し分ない格好の題材だ。現状を想像するだけでも武者震いするが、ターゲットは美利河峠の終点である花石郵便局から目と鼻の先に位置する。美利河峠の今昔を白日の下に晒した今、返す刀で花石峠を攻略しない手はない。美利河と花石の二部構成による後編の作戦名は、下町ロケットガウディ編に便乗しアウディ計画とする。アウディR8でどこまで突っ込めるのか?その辺も見極めつつ全貌を解明すべく侵攻を開始する。 |
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◆崩壊現場より谷向かいの斜面を注意深く観察する 崩壊現場より谷底を覗き込むも直に川面は拝めない。何せ現場は垂直壁に等しい急崖となっていて、登山経験の少ない般ピーでは容易に近付けそうにない。まずは自身の立ち位置を確かめるべくへなりレーダーで周囲の状況を探る。日常的に隣の部屋に住む女子大生の生態を探る壁コップの本領発揮だ。 対岸の雑木林に全神経を集中する。無い、山肌を横這いに進む路の続きは見当たらない。山道は珍古辺峠全道程の1/20程を残してプツリと途絶えている。既に19/20を消化しているのだから利別山道の続きがない方が不自然だ。このまま行方不明というのは納得がいかない。 |
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◆崩壊現場より川上の木々の隙間に人工物を捉える 馬車道は上ハカイマップ川支流を橋梁で跨いでいたか、或いは川を跨がずに同じ斜面をヘアピンで反転していたかのどちらかだ。対岸に道跡らしき軌道は見当たらない。ならば足元にそられしき遺構が認められるはずであるが、谷底を覗き込んでも断崖にて取り付く島がない。 橋の土台だけでも残っていればあとは芋蔓式で現道へと抜け出られるであろうが、その手掛かりさえ掴めない。崩壊現場と同じ斜面に路の続きがないか確かめてみたが、ただただ傾斜の厳しい斜面が続くのみで埒が明かない。八方塞である。と思ったら木々の隙間に不自然な物体を捉える。 |
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◆廃道の秘奥で息を潜めるコンクリート製の擁護壁 コンクリ橋か?いや、違う。コンクリート製の建造物には違いないが橋梁ではない。そいつが砂防ダムと気付くのにそれほど時間は掛からない。斜面伝いに近付くと滝のような水を叩き付ける音が聞こえる。ここに砂防ダムがあるという事は、建設車両が入り込む余地がある事を示している。 現場には橋梁の欠片も無ければ山道の続きも見当たらない。しかし砂防ダムは当現場へ通じる路の存在を主張する。関係車両はどこをどう伝ってこの現場までやってきたのだろうか?普通に考えて花石道路からブル道を拓いてのアプローチとなるであろうが、本件の場合はちょっと訳が違う。 |
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◆コンクリ塊の正体は上ハカイマップ川支流の砂防ダム 当現場へは二通りのアプローチが叶姉妹で、ひとつは花石道路から支流沿いを遡上する最短コース、もうひとつが中里よりはるばる稜線を跨いでやってくる回り道で、建設コストが距離に比例する現実を踏まえれば、工夫やミキサー車が珍古辺峠越えを日課とするのは少々無理がある。 やはり冷静に考えると北住吉からのアプローチで、裏を返せば下界へ通じる路は確実に存在する。しかもその道筋は砂防ダムの為に新たに付けた作業路ではなく、その昔から利用されていた古道筋を再利用したに過ぎない。この治水事業は昭和50年代に実施されたのだと銘板は語る。 |
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◆治水工事が昭和50年代初頭に行われたと訴える銘板 四肢を駆使して崖を滑り降りると、巨大なコンクリ塊にぶち当たる。ミキサー車が何十往復すれば成立し得るのか想像も付かない肉厚の壁は、並々と水を湛え溜池を形成する。コンクリ壁の前後左右どこにも道跡は認められず、引き際に取付道を消し去ったというのも無きにしも非ずだ。 だがその後のメンテや補強等でアプローチする事を思えば、わざわざ取付道を断つというのはちょっと考え辛い。精々放置プレイで済ませるのではないか。そう考えると今でも道跡が残っている可能性は大だ。それより何より昭和50年代初頭に山道の一部が息を吹き返している点は大変興味深い。 |
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◆砂防ダムよりへナリワンの待つ崩壊現場を捉える 何せその下地は渡島半島初の横断道路である。恐らく治水工事に従事した者のほとんどがその事実を知らずに現場で汗を流したに違いない。この谷に土建屋が分け入った時は既に廃道同然であったにしても、現役の時分は村人総出で雪掻きをした唯一無二の生命線である事など想像も出来まい。 ただ彼等は単なる廃道ではないと気付いたかも知れない。それはこの谷に橋梁が残っていた場合だ。治水工事が執り行われたのは今から30余年も前の話である。その当時灌木を掻き分けた先に朽ちた橋梁が風雪に耐え辛うじて踏み止まっていたとしても何等不思議でない。 |
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◆砂防ダムより対岸を伝う山道の続きと思われる平坦路 美利河峠の東側では半壊した橋梁が往時の様子を今に伝えている。また地形図に釣橋と記される花石橋の袂には、今も珍古辺橋時代の石組の土台がほぼ完璧な形で現存する。その事を思えば昭和50年代まで橋梁があったとしても全く驚けない。 治水工事が始まった時分に橋があったか否かは定かでない。ただ彼等が馬車道を伝って現場入りしたのは確かだ。何故そう言い切れるのか?それは崩壊現場の向かいの斜面にL字の平坦路を捉えたからだ。 花石峠21へ進む 花石峠19へ戻る |