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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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花石峠(19) ★★★★★ |
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花石峠(はないしとうげ)の取扱説明書 花石と聞いてすぐに北海道は道南の今金町のあの花石か!と思い浮かぶとしたら、余程の北海道通か当地生え抜きの人間に限られる。しかも花石峠の存在自体を認識しているとなると、もうその時点で廃道コンシェルジュを名乗ってもいい。何せ廃道仙人掘淳一氏率いるコンターサークルSが徒歩による縦走にも拘らず断念せざるを得なかった重鎮御墨付の強烈廃道である。廃道スナイパーの狙撃対象としては申し分ない格好の題材だ。現状を想像するだけでも武者震いするが、ターゲットは美利河峠の終点である花石郵便局から目と鼻の先に位置する。美利河峠の今昔を白日の下に晒した今、返す刀で花石峠を攻略しない手はない。美利河と花石の二部構成による後編の作戦名は、下町ロケットガウディ編に便乗しアウディ計画とする。アウディR8でどこまで突っ込めるのか?その辺も見極めつつ全貌を解明すべく侵攻を開始する。 |
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◆大正末期の駅逓で撮影されたと思われる半島横断馬車 ここに一枚の古写真がある。駅馬車なるタイトルの被写体はその当時唯一の公共交通機関であった乗合馬車で、瀬棚〜国縫間とあるから利別山道を伝い渡島半島を横断した馬車で間違いない。背景に映るモダン建築の建物は駅逓と考えるのが自然で、まだ停車場の無い瀬棚か今金か花石のいずれかだろう。 ここで注視すべきは客馬車の車輪である。小西潔氏は馬車業を営む先代の小西恒吉氏から、大正13年頃に馬車はゴムタイヤに代わったとの証言を得ている。それを補佐するかの如し豊田部落史では昭和2年現在に於いて舗道車の存在を認めている。舗道車とはゴム輪馬車の事を指す。 |
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◆山道の路面そのものが全体的に気持ち傾きつつある 即ち大正末期には馬車が金輪からゴムタイヤへの変換が図られた事を意味する。写真に写る乗合馬車は大正最晩期から鉄道が開通する昭和黎明期の間に撮られたものと推察される。人力車がゴムタイヤに代わった途端好評を博したように、馬車の乗り心地がワンラックアップしたに違いない。 明治・大正と下からの突き上げが必至であった金輪馬車は、凸凹道でも苦にならない御気楽モードへとシフトしたのだ。但し馬車の賞味期限は確実に迫っていた。鉄道の足音はすぐそこまで聞こえていた。鉄道が通じたら定期馬車業者の廃業は免れない。引導を渡されるのは最早時間の問題でしかなかった。 |
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◆木々の隙間から花石道路とその先の農地を捉える 珍古辺峠踏査行もカウントダウンが始まっていた。平成の花石新道はもう手の届きそうな位置にある。来ます、来てます、来させますの大号令の下、一完歩毎に確実に元瀬棚線跡へと鉄馬は肉薄する。今から遡る事百年前も敷設工事中の鉄路へ向け馬車が近付きつつあった。その光景が容易に目に浮かぶ。 平成新道との高低差は10mくらいであろうか。距離は50mと離れておらず雑木林の急斜面を駆け下りてもいい。だが焦ってはならない。道跡が続いている以上そいつを追い続けるのが筋だ。早く現道へ抜け出たいと逸る気持ちを抑え、山襞を伝う旧旧道筋を丁寧になぞる。 |
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◆新旧路の高低差は10mで距離は50mと離れていない こちらからは木々の隙間を通じて現道の状況を具に捉えられるが、恐らくというか十中八九新道から山道の様子を窺う事は出来ない。現場の最前線にいる僕自身が、山肌と道路の境界線が曖昧にしか見えないのだから、地上から樹海を縫う馬車道の軌跡を捉えられるはずがない。 冬の間は馬橇であったが、珍古辺の冬は積雪がひどく、毎年一、二回は人馬不通となり、部落総出で一週間もかかり雪分けをした。珍古辺峠は難所であった。そのうち懸案の鉄道も通うようになり、客馬車の時代は終わった。 |
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◆馬車道は左へ大きく弧を描き一時的に新道から離れる 第三ヘアピン以降長らく山道は蛇行するトラバース区間であったが、ここにきて90度以上左へ大きく回り込むべく舵を切る。恐らく現道へ着地する直前の最後の急降下を、谷奥に待つヘアピンカーブで決めるに違いない。その読み通り馬車道は一旦新道に背を向け離れ行く。 このカーブを機に藪密度は再び増し、挑戦者の行く手を阻止しようとする。だが僕も負けていない。ここまで来たら現道へ突き抜けるまでだ。もうゴールは見えている。急斜面を転げ落ちればそこは花石道路なのだ。北住吉へ繋がっている事実をしかと見届けたい。その一心で激藪に突進する。 |
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◆左カーブの先で山道はほとんど斜面と同化している だが左カーブを曲がり終えた直後に待っていたのは、ほぼほぼ斜面と同化した山道の成れの果てであった。辛うじて道跡は認識出来る。但しそれはあくまでも辛うじて線形が認められる程度であって、単車で突破出来るか否かは別問題だ。徒歩にて確かめるとこれより先は人一人分の通路しか残っていない。 遂に珍古辺峠が牙を向いたのだ。一人分の道幅といっても純粋な山肌に比して傾斜が緩いだけで、堆積した土砂に熊笹が根付いた現場一帯は、周囲の山肌そのものと何等変わらない。著しい環境の変化に少々戸惑ったが、完全に道跡を見失った訳ではなく前進あるのみだ。えいやっ!と障害を乗り越える。 |
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◆遂に大崩壊現場に直面し行き場を失いしばし沈黙する しかし悲しいかなその先に待っていたのは、路盤ごとごっそりと持っていかれた崩壊現場であった。完膚なきまでに道跡は消え去って久しい。もうそこに単車云々の余地などない。茫然と立ち尽くすヘナリワン。さあ、どうする? 上ハカイマップ川支流の沢との高低差は10m前後あり、我が身を下すだけでも四苦八苦する程の急崖である。悔しいがここは素直に諦めるしかない。勿論断念するのは単車帯同の踏破で、僕自身は前進を躊躇わない。このまま侵攻あるのみだ。 花石峠20へ進む 花石峠18へ戻る |