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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>廃道>北海道>花石峠 |
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花石峠(18) ★★★★★ |
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花石峠(はないしとうげ)の取扱説明書 花石と聞いてすぐに北海道は道南の今金町のあの花石か!と思い浮かぶとしたら、余程の北海道通か当地生え抜きの人間に限られる。しかも花石峠の存在自体を認識しているとなると、もうその時点で廃道コンシェルジュを名乗ってもいい。何せ廃道仙人掘淳一氏率いるコンターサークルSが徒歩による縦走にも拘らず断念せざるを得なかった重鎮御墨付の強烈廃道である。廃道スナイパーの狙撃対象としては申し分ない格好の題材だ。現状を想像するだけでも武者震いするが、ターゲットは美利河峠の終点である花石郵便局から目と鼻の先に位置する。美利河峠の今昔を白日の下に晒した今、返す刀で花石峠を攻略しない手はない。美利河と花石の二部構成による後編の作戦名は、下町ロケットガウディ編に便乗しアウディ計画とする。アウディR8でどこまで突っ込めるのか?その辺も見極めつつ全貌を解明すべく侵攻を開始する。 |
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◆花石道路との高低差は徐々にだが確実に縮まっている 当初の客取り競争も役場・有力者などが中に入って、解決策として乗合馬車組合を結成させることで幕が下りた。運賃・時間等の打合せを行い統一料金とし、他の業者が入り過当競争が起きないようにした。 瀬棚と国縫を結ぶ乗合馬車は明治43年と遅咲きの部類に入る。明治2年に横浜と東京を結ぶ本邦初の乗合馬車が疾走するが、ここ北海道も負けていない。明治6年に札幌と室蘭を結ぶマカダム舗装による本格的な西洋式馬車道が竣成し、乗合馬車が疾走している。 |
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◆並走する花石道路との距離はなかなか縮まらない 明治最晩期には先行する乗合馬車業の法令等は既に確立されており、先進地域で法令や規律を順守する乗合馬車を経験済の御偉方は、助言や仲裁により組合の発足に尽力する。その結果過熱する一方であった客争奪戦は終息に向かう。 この当時の定期馬車業者は瀬棚二、国縫二、今金小西恒吉・小西長蔵・尾形大進・江川某らで、営業区間は瀬棚・今金・花石・国縫を人馬中継三交替で運行していた。 瀬棚⇔今金/今金⇔花石/花石⇔国縫 |
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◆軽自動車一台分の幅が有るか無いかの狭隘路と化す 渡島半島横断馬車のデビュー当時は1日1往復とあるだけで、その詳細は定かでない。50km超の道程を走り通した可能性も否定出来ないが、その当時はまだ駅逓が現役バリバリであったから、前時代のダンコ馬が駅逓で乗り継ぐシステムが確立されていたように、馬車もそれに倣ったと考えるのが自然だ。 当初はごく粗末な木枠に幌をかけ四輪の金輪馬車六人乗りで悪路を走ると体に激動を与え時には徒歩の方がかえって安全ということもしばしばであった。しかし乗物に乗る利便の魅力は一入深いもので、大いに利用された。 |
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◆大正3年現在の利別市街地で客待ちする乗合馬車 明治の晩年に移動手段が馬車へとシフトし、ダンコ馬時代の落馬リスクからは解放された。しかしゴムタイヤを履いていない馬車は下からの突き上げが酷く、依然として罰ゲームに等しい渡島半島横断ウルトラクイズ状態が続いていた。特に稲穂峠と珍古辺峠の難所が突出して酷かったのは言うまでもない。 毎日二台の定期馬車が運行し、花石で人数の多いときは花石から今金に臨時増発の電報を打ち増発の馬車を待って出発した。時にはそのまま瀬棚まで走る事もあった。四人の業者が一日おきに運行し、冬期は箱橇に幌掛けであった。 |
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◆大正年間に冬期の利別山道を駆け抜けた乗合馬橇 馬車&馬橇の通年運行 冬期はどうしていたのかという僕の素朴な疑問に対し、町史はあっさりと答えてくれる。わざわざ2〜3月と掲げられている点を踏まえれば、雪が降り始めても尚馬車による運行が継続されているという点は驚きだ。 少しでも地肌が露出していると馬橇は役に立たず運行不可能という理屈は分かる。んがしかし多少の積雪ならラッセル走行でOK牧場とする経営方針はいかがなものか。正月を過ぎたら馬橇に切り替えてもいいんジャマイカ? |
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◆道幅は一回り狭くなったが道跡そのものは続いている 知らんけど1月の北海道って普通に雪降ってんじゃねーの?10月中旬にテント泊で凍死しかけたヤバさから、年明けなんて白銀の世界というイメージなんですけど。にも拘らず馬車による運行を継続って、スタッドレスタイヤに履き替えず夏タイヤでどこまでやれるのかの挑戦と何等変わらない。 だが我々は既に知っている。この界隈の人々が道普請を全く苦にしない事を。道路愛護精神に則った地元愛が培われ、それが老若男女に浸透している事実を。彼等は可能な限り率先して雪掻きに精を出した。でなければ1月の馬車運行を実現出来るはずがない。 |
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◆土砂崩れと路肩欠損で斜面と同化しつつある危うい山道 だとすれば完璧な圧雪が叶う1月下旬頃まで、珍古辺峠では花石と北住吉の住民が汗を流したに違いない。冬期通行止で途絶を余儀なくされる峠がある中で、利別山道は沿線住民の尽力により馬車と馬橇のリレー形式で通年運行を確保した。 通年通行は一年を通じて物資が手に入る事を意味する。従って沿線住民にとっても都合の良い事この上ない。四季を問わず半島の横断を望む者達との利害は完全に一致している。ヤル気さえあればどの峠も通年通行が叶う手本のようなものだ。 花石峠19へ進む 花石峠17へ戻る |